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Uターン
その。ボーダーライン。

ベッドの上に立ち、アッシュはオレに顔を近づけた。涙のせいでしょっぱいにおいがする。オレはどうしようもないくらい恐ろしくなってきて、どう逃げようかと考えている最中だった。しかし考えをまとめても、実行する勇気が出るだろうか。
なにかが、おかしい。アッシュが、……いや、アッシュじゃない。あの緑髪の傷付き天使のクソったれのせいだ。あいつがいなければ、悪魔狩りが行われることもなかったろうし(悪魔狩りで狩られた悪魔は、セオドアの皮に使われているらしい)、倫太郎やサマエルがおびえなくてもいいし、アッシュがおかしくならなかった。
「ねぇ、返事して」
鼻と鼻がくっつくのではと思うくらい、近く。少しのけぞった。むっとしたアッシュは手を伸ばして肩を掴んだ。目を、合わせる。くすんだガラス玉みたいな、濁ったピンクの目。ずっと顔を近づけて、唇と唇が触れそうになった瞬間、振り払った。
「……」
「お、お前、どうかしてるよ」
「どうしてそんな酷いこと言うの。どうかしちゃうくらい、ぼくは君を愛してるのに」
そう言ってベッドを降りようとしたアッシュが、布団の上に崩れ落ちた。声をかけても、揺すっても、何も反応がない。ただ生きてはいるらしく、すうすうと寝息をたてていた。
ぞっとするような魔法臭が背中をなめる。間違いない、ヤツのお出ましだ。
「……セオドア」
「ばれた?」
窓の外、窓枠に組んだ腕を乗せている。たしかここは五階のはずなんだけど……、空中で一時停止するとは。
「何をした!」
「やだなあ、人聞きの悪い。彼には何もしてないよ。ただね、彼は自分に正直になっただけ」
そうなるのに何をしたのかが聞きたいのに、それを向こうだってわかってるくせして。緑色の髪が風に吹かれて揺れている。傷がチラチラと見え隠れ、口元が歪んでいるのが見えると、ぞっとした。
「心配になって見に来たけど、あんまり調子がよくないみたい。僕の腕もまだまだってことかな……」
「何をしたんだって言ってる」
「『蛾』を……、食ったろう。それが僕の体から抜けてしまった。だから術がとけかけてるのさ。その衝撃で少し記憶が飛んだり自分がよくわかんなくなったり……、何も信じられなくなったりしてるみたい。ま、つらいのは二日くらいだから、それを乗り越えれば何も問題はないさ。元通りにね」
嘘だろうか、本当だろうか。セオドアは簡単に嘘を……、呼吸をするように嘘をつくような、そんなヤツだとは思えなかった。オレに対して嘘をついた事はほぼなかったはずだし。
胡散臭く、いかにも嘘をつくのが大好きって姿をしているくせに。嘘なんてつかなくても十分に苦しんでいるわけだが。
「僕と彼は自分自身のように繋がっているのさ。彼の記憶が、まるで自分のこと、昨日のことのように思える。だからよくわかるよ……、気持ちが……」
操った相手の記憶をもとりこむことができる? なかなかやっかいな力だ。秘密なんて筒抜けなわけだし、オレたち悪魔の作戦も知られてしまったろう。誰かひとりの悪魔が人類を導くリーダーになるという作戦が。
それを防ぐため、ヤツらの取る行動とは。新しい病気のウイルスや寄生虫をバラまき、どんどん人を殺していく……。これが一番楽だろうか。
人類の歴史の中に、何万人ものヒトが感染症で死んだ事件がいくつもある。それほどウイルスはヒトを大量に殺すのに都合がいい。
ヒトを大量に殺すと聞いてミサイルや核などの兵器が思いうかぶことだろう。しかしそれはヒトたちからの反感を買うし、数発で地上のヒトをすべて殺せるわけではない。それに、兵器には高度な技術と沢山の努力が注がれている。それを大学に行ったことがない天使たちは、すぐに理解し複製をつくることができるだろうか? 答えは、ノーだ。
使えそうな『不気味な寄生虫』は、この男のタンパク質で作られた膜の中に、ぎゅうぎゅうに詰められているではないか。
「……そうだね。彼との関係、もう少し考えてあげてよ。アッシュには君の支えが必要だ」
「言われなくても、支えてやるさ」
アッシュを守るように構えた。もし戦いになっても、少々狭いが暗いのでセオドア相手には有利だ。
「君は絶対、漫画のようなヒーローにはなれないよ。大切な人たちや仲間を守ってるつもりかもしれないけど、守れてない。守れない。サミュエルだって、アッシュだって助けられてない。警部と警部の娘もそうだ。仕方ないって、諦めちゃえばいいのに。血がそうなのさ、ヒーローになれる素質があるのに、なれない。君の父親もそうだった」
「諦めたら死んでしまうから。すべてを守りきるのは難しい。オレには死なないように守ってやるのが、せいいっぱいだ。それはちゃんと分かってるよ」
言いかえすと、予想外だったのか目を丸くした。ふーん、とわざとらしく鼻を鳴らす。つまんないとでも言いたげに、ギロリと睨みつけた。
「いつか後悔するよ。僕の忠告を聞くべきだったって」
「そりゃ、どうも。頭の片隅にでも置いておくさ」
むっとした表情のまま、セオドアはどこかへ飛んでいった。しまったな、ここでアッシュを庇いながらの戦いに突入しなくてよかったが、怒らせたのはまずかった。
とんでもない事がこれから起きるような……、そんな気がしてならなかった。ヤツは首の件に対してもかなり怒っているだろうし、そろそろオレを殺しにきてもおかしくない。遺書でも用意しておくべきかな、とのん気に思う。
看護婦にペンと紙を貸してもらい、『仕事が終わったら迎えに行くから大人しく待ってて』と書き置きをした。素直に従ってくれるといいのだけど、そう上手くいかないのがアッシュだ。書き置きとしての役割より、『ちゃんと待ってろって書き置きしただろ』という保険の役割のほうが大きい。
病室の窓から飛び出し、自宅を目指して飛ぶ。言うほど時間は経ってないし、倫太郎はきっと待っていてくれてるだろう。アッシュとは違い、倫太郎は素直で言うことを聞いてくれるし。
でも最近、だんだんと自分の意見やわがままを押すようになった。事件の現場に行きたがるのは、出会った時の印象がまだ強いらしいので、仕方ないと思う。『おれでも力になれた』、と、そんな感じに思っているのだろう。
事実、ロボット暴走事件の時は倫太郎がいなければオレは死ぬ所だったわけだし、今でも感謝している。バイトに行く(自分の生活費のため、稼ぎは半分ほどオレに渡していた)、事件についていく、家事をこなす等、行動がオレのサポートばかりだった。
それが『ネコが飼いたい』『強くなりたい』なんて言い出したので、オレとしては少し安心している。やっと心を許してきたかと。わがままや要望を言うようになれたのかと。
信頼関係と意思の十分な疎通は、これから先絶対に必要になってくる。オレを信頼してもらい単騎で動く、オレが倫太郎を信頼して単騎で動いてもらう事が絶対にあるはずだ。方針について全面的に理解して同意してもらわなければ。
言い方は悪くなるが、倫太郎はオレたち悪魔の盾だ。こちらに倫太郎がいる限り、リーダーが(おそらく)セオドアである天使たちは下手に動けない。広範囲の攻撃で巻き込んでしまえば、その天使はセオドアによって殺されてしまうだろう。倫太郎を守っていれば、単騎や小さなグループでしか襲いにこないのだから、優秀な盾だと言える。倫太郎だってセオドアから守ってもらうという形で悪魔を利用しているわけだし、こちらが倫太郎を利用しても問題はないはずだ。
個人への感情は、味方を殺す。戦いの場では、常に冷静でいなければならないし常に冷酷でなければならない。憎き神サマから頂いた、よく働く脳みそとそのせいで生まれた邪魔な感情があるかぎり、それは難しい。
そうなると、どちらがより冷静に冷酷になれるかという話になってくる。指導者はそうあらねばならない。
セオドアはもちろんだが、オレだってそのあたりは微妙だ。
アッシュを操られ人質に取られた時、その前にセオドアに操られていたハロルド爺さんを殺したにも関わらず、アッシュは殺さなかった。
あの時、アッシュのことが、好きだった。友達としてではなく男性として、好きだった。アッシュは、オレに好きだと言ったあと、オレの気持ちを聞かなかったけれど。気づいていたはず。
今は、今のアッシュは、そう見ることができないけれど。戻ることがあれば、きっと。
オレに無い部分をうまくカバーしてくれるし、アッシュにとってもそう。
なんというか、足りない部分がうまく噛み合っていて、隣に置いてしっくりくるんだ。凹凸みたいに、お互いはまるで違うけど合わせてみたら案外合う、ってこと。

オレは、後悔することになる。



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