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Uターン
神の贈り物の子

男子トイレ。地上では、オレは男として通っている。書類にはきちんと女であると書いたはずなのだが。まあ、背は成人男性の平均ほどはあるし、胸はほぼない。声だって低めで髪も短くしているので、パッと見で判断されたのだろう。
魔界に居る時も同じ、男扱いされる事が多かったので気にはしていないし、困ることはあまりない。トイレの心配も、ない。
なぜなら、天使や悪魔は摂取したものを吸収する力がヒトの数倍はあるからだ。なので摂取したものの残りカス……、排泄物は少ないというわけ。一日に一回も行かない日だってある。魔法の行使に使う魔力と呼ばれるエネルギーは、食べ物からくる。なのでよく食べ、できるだけ無駄無く吸収し、わずかなカスを出す。強い魔法使いになればなるほど、吸収率は高くなる。
あと、もうひとつ。体のつくりはだいたいヒトの女性と同じだが、生理は来ない。では、どうやって子を作るかというと。女性側が子が欲しいと思うと、子宮に卵子がポロッと作り出される、というしくみになっている。らしい。大昔の悪魔や天使は、ヒトのように生理が来ていたらしいが。こういう風に進化したのには、わけがあるらしい。詳しくは知らない。
「小さな部屋が沢山あるが……、誰もいないね?」
「いねえよ」
サマエルを連れてトイレにやってきたわけだが、サマエルは地上にはあまり慣れていないらしい。トイレの個室を一つ一つ見てまわっている。
濡れた手を乾かす温風乾燥機を見つけると、べたべたと触りだした。手を突っ込み風が出ると、声を出して驚いた。
「ヒトの技術にはびっくりするばかりだな。昔は俺がヒトに教育をしていたというのに、これでは教えられる側になりそうだ」
乾燥機から手を引っ込めた。機会は風を出すのをやめ、停止する。おもしろかったのか、手の出し入れを繰り返した。
「で、話があるんだろう」
「……なぜNDに……」
「何回も言わせるないでくれるか。君と共に戦うためだ」
「セオドアは死んだぞ。オレが、この手で殺したんだ。倫太郎を狙う奴はもう居なくなった。お前に戦う理由はないんだ。つまりお前は何か企みがあって此処へきた……、そうだろ」
「そう、セオドアはたしかに君が殺した。そして死体も存在する」
「ああ……」
姿や魔法臭はまるで違うが、雰囲気はセオドアそっくりで腹が立つ。わざとらしく表情をつくって喋る所とか、本当に、まんまだ。
「どうやって殺したんだ?」
「……首だ。首を切って、落としたよ」
「それだけ?」
乾燥機で遊ぶのをやめ、鏡を見つめるサマエル。大きな手で鏡に指紋をつけてゆく。三歩ほど離れた場所に、立ち尽くしているのは影の悪魔だ。セオドアを殺しきれなかった? でも、さっきサマエルに言われたように死体は安置所でカチコチに冷えているはずだ。
「なら、見たろう。首の切り口に詰まっていた、おびただしいほどの虫を」
「ああ、見たさ。それが、なんだよ……」
自分が唾を飲み込む音に、骨が震えた。思い出すだけで気持ちが悪くなる、ピンク色の虫。糸状で、せわしなく動きまわっている。顔の傷からも出てきていた。
「……君は、なぜセオドアが地上で大量にヒトを殺すか、わかるか。神がそれを許している理由が」
「そりゃあ、倫太郎から聞いたさ。奴は神同然の存在なんだろ。楽しくてやってて、それを止めるやつが居ない……。ただそれだけなんだろ」
セオドアは神の『お気に入り』『右腕』的な存在であり、神はセオドアの言いなりになっている、と。確かに前聞いた。
ヒトを殺してはいけない……、というのは天使側でも同じ決まりのようだ。なんというか、悪魔は解釈が少々違っているのだが。
魔界で悪魔同士が喧嘩を始める時は、双方の同意があってからだ。同意無しにいきなり襲いかかったり、弱い悪魔を強い悪魔が支配することは許されない。それを取り締まるために、おじさんは地上で言う警察を作ったというわけ。若い悪魔は、弱いものいじめは、高貴な悪魔の血を裏切る事になるんだぞと、しつこいほどに教育される。そのおかげか、地上に降りてヒトを好きに殺してまわり、地上を混乱状態に陥れるなんてことはごくまれにしか起こらない。
「いいや、違う。セオドアの持つ魔力ははるかに大きい。君が殺せたのはまぐれのまぐれ。その魔力を閉じ込めておくのに、たんぱく質の膜ではもたないのさ。すぐ、破れてしまう。悪魔狩り……、あれで狩られた悪魔はセオドアの皮になったろうな。それだけじゃ足りないから、足りないぶんをヒトで補うことにしたんだよ。若くて美しい娘を狙っていたのは、肌がきちんと管理されているからだ」
鏡に向かって息を吐くと曇る。元に戻ろうとする鏡を素早く拭いた。
「セオドアは呼吸をするようにヒトを殺すだろう。それは殺人がセオドアにとっての呼吸と同等であるからさ。そうしないと、弱った皮が破れて、詰まっている虫が出てきてしまうからね」
どうしてここで虫の話とセオドアが殺人をする理由を出したんだ? セオドアが殺人をする理由は、体に虫を閉じ込めておくため……、自由に這いずりまわる虫をひとつにまとめておくため?
「虫こそがセオドアの本体だなんて、……言うんじゃないだろうな」
そう、アッシュのようにあの一匹一匹がセオドアの設計図を持っているとしたら。まだセオドアが生きている……、『新しいセオドアが生まれている』……、なんて、恐ろしい事が。
「おしい。でも、さすがだ。セオドアの本体は、見えないんだよ。思念としてこの世界に存在している。魔力を虫にして分けて持っていたほうが、ひとつにまとめるより負担が少ない、それだけ。まあ……、天使は魔力が本体のようなものだし……、君の言ったとおり、虫が本体だってのも間違いではないだろうね」
「……じゃあ、奴は生きてるのか?」
「そもそもな、死んでるんだよ。あいつは。君は死んだ者を殺せと言われたら、どうする? 今はまだ……、死体を演じているようだが、タイミングを見つけたらすぐにでも起き上がるだろうね」
死んだ状態で動いているのなら、死体安置所でカチコチにされていても動けるだろう。そしてそばには沢山の異能者の死体がある……。
「ヤバい、奴の死体は安置所にあるんだ。モルグだよ!」
「モルグ?」
「ああ! 死体置き場! 新鮮な死体が冷凍保存されてるんだ、大量に! 皮なんて取りたい放題さ!」
早く行かなきゃ、急かすオレを止めるサマエル。
「なら、もう死体はもるぐとやらに無いと考えたほうがいい。時間の無駄だよ、冷静になるんだ。戦いは冷静さを失ったほうが負ける……、そうだろう?」
蛇口の存在は知っているんだ、そう得意気に言う。蛇口をひねり、出てきた水に触れて、前髪を手櫛で整えた。痛んでいるのか、スムーズに指は入らない。
「つけた傷は、首に一発。完全に切り落とした。……それなら、1カ月は下手に動けないはずだ。向こうは、君が自分を殺したと完全に思っている……、その前提で動く。俺が寝返るなんて、頭のすみにすら考えてないよ。冷静に、そして予測できないような行動をとるんだ。格上に勝つんならそれしかない」
確かに、そうだ。セオドアに勝つには、オレの身体能力だけじゃダメだった。視力の弱さを前の戦いで見抜き、聴覚や嗅覚に頼らざるをえない状況を作り出した。そしてそこで聴覚を使えなくしてしまう。
その時オレは、腹をぐちゃぐちゃに裂かれていた。痛みと、アッシュを取り返したい、その思いでしっかり意識を持っていた。打開策を探す時――、オレはびっくりするくらい冷静だった。策を見つけた瞬間、勝てる、その思いで意識を持っていた。
奴はこのまま勝てると思っていた。そうだろう、裂かれた腹は見るも無惨な姿だったし、これからどうしてやろうかと、未来のことで頭が一杯だった。
「……同じ天使だとしてもさ、なんでそんなに詳しいんだ? 別に、家族とかそういうわけじゃないんだろ?」
言われたとおり冷静になると。知りすぎていると思った。
「何千年も同じものを見ているとね、やっぱり、色んなものが見えてくる……」
「……千年!?」
「君んとこと時間の流れが違うのさ。その印、ルシファーやヒルダは老いが見えるが……、彼らの数百年後に生まれた俺はまだ、若い」
オレが生きたのは73年だ。魔界で大人だと扱われるのはだいたい80年あたりから。サマエルはオレよりいくつか年上には見えるけれど……。
「それにな、君と同じ、若い頃に何度かセオドアを殺したことがある。一回は俺が殺してやろうと思ったのさ。それからは『殺してくれ』と……、自分から頼みにくるんだ。わけがわからないだろう……。本当に、頭がおかしいんだ、セオドアは」



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あきゅろす。
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