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Uターン
月蝕はバイオテクノロジ

影の世界に長居は出来ない。影の中から飛び上がる。この瞬間、部屋にオレの魔法臭が充満する。すぐに気づかれるだろう。何か、何か、ないだろうか。周りにある物は……、ソファーにクッションと本棚、ラック、テーブル、ダメだ。何か……。
廊下で物音がした。オレに気づいたらしい。部屋に入る夕日が消えてゆく。暗くなっていく部屋に、眩しく輝くのはテレビ。音が完全に消えるモードに設定されている。
「あれぇー?」
居間から廊下に繋がる開いた扉から、顔を出した。テレビの輝きに照らされた先にはテーブル。その上にはテレビのリモコン。素早く掴んだ。
「こんな所に居たんだ? まあ……、その傷じゃあ遠くへは逃げられないかあ?」
テレビのリモコンのボタン配置を記憶する。老人向けに設定されているためか、暗くても見えやすい表示に押しやすいボタン。ゆらゆらとゆっくり歩くセオドアの言葉には耳を傾けない。そんな価値はない。リモコンを背中に隠して、ボタンを連打する。セオドアがおしゃべりなおかげで、時間が稼げた。大丈夫。
「僕、悪魔とセックスしたことってないんだ……」
口で息をするというか、肺で息をしている感覚。ズタズタの腹の中に詰まった内臓を引きずって目を開けていられる時間は少ない。セオドアの視線はこちらに集中している。気づかれていないみたいだ。頭の中はただひとつ、セックスに支配されているに違いない。
右足を踏み込み、オレ目掛けて飛んでくる。テレビの前を通った瞬間、影に溶け込み姿を隠した。リモコンは、そっと床に置いておく。
「同じ手が通用するとでも?」
さっきと同じように目を瞑った。弱い視力に神経を使うのをやめ、ほかの力に集中するつもりだ。
腕を空振りすると、反応する。
「どこからでもどーぞ」
消していた体を再構築、目の前に立つ。足元にはリモコン。力を振り絞り、殴り、抜ける!
「馬鹿め!」
「馬鹿はそっちだ、馬鹿!」
寸前にテレビのリモコンを踏む、そして分解。リモコンのボタンを踏むと、『消音』モードが解除された。音量ボタンのプラスを連打しておいたので、爆音が鳴り響く。
今度こそ、フルパワーで殴り、抜ける!
「!?」
大きく吹き飛んだが、殴るのをやめない。何回も何回も殴り、蹴る。体力の続く限り。
セオドアは攻撃を避けようとも受け止めようともしない。なぜか? テレビから流れるのはふざけたくらい大きなアナウンサーの声。
「う、う、耳が!」
フローリングの床に叩きつけられたセオドア。すかさず追い詰め、首に影の斧を当てた。
そう、視力の弱い奴が頼るのは聴力や嗅力。その二つとは情報量のレベルが違う視力を補うにはどちらかひとつでは難しい。それならばどちらかを潰してしまえばいい。頼らなければならない微かな音をかき消すため、大きな音を流し続ければいい。
「こ、この僕が! なぜ!!」
アナウンサーの声に負けないくらい声を張り上げた。ああ、みっともない。これが勝者の喜びか。格上の相手を、オレはここまで追い詰めているぞ。心臓が高鳴る。腹の痛みなんてどうでもいい。気持ちいい、気持ちいいぞ。全身を巡る血液の1ミリリットル1ミリリットルが喜んでいる。
「ぅ、うう、があああああっっ!!」
首に当ていた斧を首に押しつけた。皮を、肉を、骨を、血を、切り裂いてゆく。炎が焦がし、切断を手伝った。
「お前は、呪うだろう! お前がお前であることに!! お前の父を! その血を呪うだろう!!」
虫が燃えてゆく。セオドアは斧を握り必死に抵抗するが、力のかける方向では完全にオレが有利だ。
「そしてお前は自分の手で自分を殺すのだ!!」
響くのは高笑い。のどを潰せばおさまるだろうか。思い切り体重を乗せると、真っ赤な目が飛び出るぐらいに見開き、開いていた口が閉じてゆく。
『だ、ま、れ』
声を出す力も、腕に加える。出しても聞こえないだろうし、口だけ動かして、最後の言葉。
斧を引くと、完全に首の離れたセオドアがあった。切り口からは虫が這い出ている。出血は、していない。虫の体液らしき粘液だけが、少しだけ床に伸びていた。
目は閉じている。少し伸ばした緑の髪をフローリングに散らして、……まるで、眠っているようだった。頬の傷から飛び出してきていた虫は、すっかり引っ込んでいた。
本当に、死んでいるのだろうか。肌に触れると、冷たかった。
テレビを消して、セオドアの横に体を投げ出した。腹が痛い、足がフラフラする。誰か、いないか。
「ぁ、アッシュ……。いるか?」
セオドアを殺したのなら、操られていたアッシュも元に戻っているハズだ。
「いる、んだろ……?」
もしかして、死んだか? セオドアの思う通りになるのなら。セオドアを追い詰めた時に、道連れとしてアッシュに『死ね』と命じたかもしれない。
「アッシュ……」
ダメだ、目の前が暗くなってくる。死ぬのだろうか、とは思わなかった。
気をつけろと、あいつは強いと、そう言われていた奴をこの手で殺してやったのだ。強いんだ! オレのほうが!
どうしようもないくらいの幸福感。それに埋もれて目を瞑った。
これ以上のピンチにだって生き残って、後から『や、久しぶり』なんて顔を出してきたんだ。アッシュなら大丈夫。あいつが死ぬ時は世界の終わりと言ったって過言ではないだろう。
今度は自分の設計図をどこに潜ませているのやら!


「グレイ、グレイ」
「!?」
目が覚めた。体が濡れている。低い男の声が響く。
「だ、誰だ……」
何も見えない。自分の姿さえも。真っ黒で真っ暗な空間……、まるで影の世界。似ているけれど、違う。どこからか手(おそらく、だ)が伸びてきて、頭を撫で、消えた。
「私の……、娘よ。愛しい、私の、娘。やっと私の声が……」
「……お前、オレの親父か……?」
「ああ、ああ、そうだとも。会いたかった……。私のたったひとりの娘……」
ここは一体どこなのだろう。もしかすると、オレはくたばったのか。
「マジかよ……」
感覚はある。視覚はともかくとして、声は聞こえるし、臭いも感じていた。なんだか、鉄臭い。足元に広がる液体の冷たさを感じることができるし、自分の頬をつねれば痛い。
「ここはどこだ? 暗くて何も分からない……」
「私の『影』だ。お前も持っているだろう、『影』を」
「なら、出口を教えてくれよっ。同化しちまったらどうする」
「私の『影』なら大丈夫だ。お前はまだ成長途中なだけ、直に『影』はお前自身へと変わるだろう」
納得できないけど、大丈夫ならいいや。ふと腹を触ると、傷口はすっかり塞がっていた。影の中に来たから治ったのだろうか。
「ふーん……。オレの親父は生きてたのか」
「ああ。地の下に、私は何時も存在している」
「……どういう事だ? ただ単に地面に埋まってんのか? それとも影そのものだとでも言うのか?」
「どちらも正解、だ」
「なんだ、そりゃ……。今更オレに何の用だい、親父サンよ。埋まってる親父を発掘しろって、そういうヤツか?」
「いいや……」
ぺしゃぺしゃと水が跳ねる音。何かが近づいてくる。
「グレイ、お前が私を呼んだのだよ。そして私もお前を呼んでいた……」
「はぁ? オレなお前を呼んでいないぞ。ついさっきまで、親父は死んでると思ってたんだ。来るのが遅すぎるんだよ!」
「……私は深い地の底に閉じ込められている……。天使ルシファーさえも、私を解放させるのは難しいだろう。お前の『誰でもいいから助けてくれ』という叫びは、そこまで聞こえてきたのだ。それほどまでに大きく、切実で、魔力と願いのこもった叫びだった。そして私はそれが実の娘からのものだと知り、『影』を使って助けた。私は娘と話がしたいと、そう思い……、呼びかけ続けた。きっと喜ぶだろうと。呼びかけに気づき目を覚ましてくれたが……、私は、間違った事をしたようだ」
あぁ、セオドアが言っていたっけ。オレの親父はとんでもない殺人鬼で、それで堕天したと。まさか地上に居るとは……。
「助けてくれた事には感謝するけどよ……」
複雑だった。何年もの間、孤独に晒されていたのやら。おじさんの存在は大きいものだったが、やはり、親が居ないというのは子供には悲しすぎる。向こうにだって訳があったみたいだけどさ。素直に『会えて嬉しい』と言う気持ちにはなれない。
「すまなかった」
ぴしゃぴしゃという足音が止まった。急に体があたたかくなる、何かに覆われたように。
「お、親父か。これが……」
太い腕だ。ゴツゴツとした、岩のような腕の中にオレがいる。ただでさえ真っ暗な視界が、濡れて歪んでくる。
「親父……。オレの」
「ああ、そうだとも。これからはずっと一緒だ。私は影、お前の影」
「そ、それじゃあ、今までと一緒じゃないか……」
「私の名を教えよう。私は、月蝕。エクリプス・ルナ・キンケード。辛い時があれば、私の名をよびなさい。お前の話を聞こう。お前と共に戦おう」



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あきゅろす。
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