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Uターン
汚れちまった悲しみに

ハアハアと犬のように舌を垂らしていなければ呼吸ができないらしい。背中をさすり、汗を拭いてやると落ち着いたようで、ゆっくりと床に滑り落ちた。
「……ありがと。もう大丈夫。や、まさか、あんなに強い天使が居るなんてね……」
「場所は?」
「それがさ、移動してるんだ。風で飛ばされたような移動の仕方じゃない。景色がさ、まるでヒトが歩くみたいにゆっくりで……」
ひとつ、アッシュは深呼吸をした。手を差し出すと、立ち上がって再び垂れた汗を拭う。
「喰ってる……」
また足がふらつきだして、水の怪の水槽にぶつかりそうになった。支えてやる、ガラスが割れずにすんだ。
「う、ぅ、ぼく……。うぇ……」
「おいおい、大丈夫かよ?」
「ぁ……ダメ、かも……」
おでこに触れると、焼けるように熱い。困ったな、怪我に関しての知識はあるのだが、こういう事にはうとい。ヒルダに頼めるだろうか。気づくと、コツコツという音が鼓膜をノックする。振り向くと、水槽の中から水の怪が見つめていた。
手を水の外に出すと、大きな水の塊が浮かんで、アッシュの額に触れた。硬く苦しそうだった表情が、少し優しくなる。
「お前……。頼まれてくれるのか」
ニコニコ笑って手を振る水の怪。ここは任せるしかあるまい。心配だし、一応ヒルダには声をかけるつもりだが。
「アッシュ。場所、わかるか?」
「ぁ、えっと、……。川……、下流。街の、ほう。近く……、に……、大きな建物。なんだろう……。わからない。でも、……汚れて、ずっと前から使われてないみたい……」
「オッケー、それだけわかれば充分だ」

部屋を飛び出してヒルダを探しまわるが、返事が無い。どこかへ出かけてしまったのか。セオドアを逃がすのも勿体無いし、そこそこで切り上げて城を出た。足の炎を燃やし、飛び上がる。森の上。下流にある、汚れた大きい建物。ここからは見えないし、とにかく川を下っていかなければ。
茶色いくたびれたトタンの屋根が見えた。周りにはそれらしい建物どころか、何も無い。これか。降りようと炎を弱めると、きつい魔法臭がした。背中に冷や汗が伝う。
「あ、こんな所で会うなんて。偶然だね? さっき、悪魔臭い蛾を捕まえたんだけど、……君のかな?」
短い悲鳴を上げて、地面に落っこちてしまった。髪の毛と同じ、緑色の大きな翼を腕に生やした天使。先には鍵爪、まるではるか昔に地上に存在したと言われる始祖鳥のよう。頭上にふわりと浮いていた。オレとは違い、優雅に着地する。
「驚かせたみたい。ゴメンね。僕の『子供』は、元気にしてるかな」
痛む体をゆっくりと持ち上げた。顔の大きな傷をゆがませ笑顔を浮かべる天使、セオドア。纏うのは強い魔力。勝てる気がしないが、やるしかないのだ。
「勿論さ。元気がすぎて、困るくらいにね」
「そりゃあ、よかった。……早く取り返したいんだよね。あの子の気持ちは良く知っている。それが現実になる……、そうしたら僕は……。子供を傷つけられるような親が居るかい? 僕は戦えない……、でも君たちのように主の愛を裏切りたくはない……」
眼球に当たるか当たらないかの位置に、鍵爪があった。今すぐ離れたいが、空気と一緒に吸っていた魔力が体を鉛のように重くする。怖い、恐ろしい、動けない。唾を飲むことさえ、できなかった。
「でもあの子はこっちが嫌いだからな。無理やり引き離したらかわいそうだろう。君が手放してくれれば……、生きて戻るくらいは許したげるんだけど」
手を下ろした。乾いた眼球を潤すために必死でまばたきに励む。体を巡る血がびくついていた。逃げたくなるのを抑え、地に足を縛りつけた。
「……オレは関係ないだろ。あいつはあいつの意思でこっちに居るんだ。子供だって言うんなら、キチガイじみた殺人なんてやめてちゃんと守ってやれよ」
「へえ、知ったの……。まあ、そうだよねえ。こんな田舎に来る理由なんて、それくらいしか……」
明らかに、空気が変わった。ふわふわと舞う緑色の羽が強い風に吹かれて飛んでいく。
「いいじゃあないか。ヒトがいくら死んだって。僕にも君にも関係ないことだよ。いくらでも居るんだしさ」
「お前には関係なくてもオレにはあるのさ。ヒトを守らないといけないんでね」
そう、本当は関係ない。悪魔、天使、ヒト。違う世界に住んでいて、本当は会うはずのない存在だから。心があるからこんな事になるのだと思う。戦争なんて、勝ってもその中でまた戦争が起きる。そういうものだ。では、オレは何のために戦っているのか。勝つためじゃない。
「君が? 主を裏切った悪魔の君が、主に愛されたヒトを守ると?」
「裏切ったのはオレじゃないぜ。親父たちだろう」
「じゃあ君は、主を愛しているのか?」
太陽がギラギラと照りつけているのに、体が冷たい。失ったドロシィの右腕や、命は戻らないけれど。オレの目に移る世界で零れ落ちていくヒトをすくってやれるなら。そこに種族なんて関係あるものか。
「名前も姿も知らないんだ、そんな事できないね」
「……なら君は僕の敵だ」
「此処から出て行ってもらおう。またヒトが住めるようにしてやらなきゃならないんでね」
風の中、飛びかかり振るう鍵爪をギリギリでかわした。ヒヤヒヤして、反撃をかます余裕すら見えない。追撃を見て、後ろに大きく下がった。
手から漏れる影で銃をつくり、握る。こんなものでダメージを与えられるとは思えないが、牽制には使えるだろう。
「面白いことをするね、君は」
構えて、じりじりと後ろに下がる。一発も撃っていない今、ハッタリにも使えそうだ。寂れたトタンの建物(どうやら昔使われていた倉庫らしい)におびき寄せられれば少し有利にはなるだろうか。そして、もう一つ、ねらいがあった。銃を構えながら、ちらちらと中を倉庫の中を確認する。窓が無く締め切られている上に、立地の関係で、倉庫の中にほとんど光が入って来ない。つまり。
足元を狙って発砲した。できた隙を使って、小さな入り口から倉庫の中に飛び込む。追いかけて走る音が聞こえてきた。
……予想通り!
セオドアは扉の近くから動こうとせず、じっと構えたままキョロキョロとしている。目の前にオレが居るって言うのに!
鳥のような姿をしていたのに賭けて良かった。奴は、鳥目らしい。さらに、暗い場所で姿を隠すのが得意なオレ。普通の目をした奴を騙せるレベルだ、見つけるのは不可能だろう。
臭いで追われる可能性も、もちろん解決済み。倉庫の中は真っ暗で、影の世界と環境がほぼ同じなのだ。倉庫の空気に溶け込み、今のオレは実体を持っていない。体を構築するのは一瞬ですむ。腕や足だけならもっと少ない時間でこなすことができる。
体の構築、攻撃、分解を繰り返せば相手の攻撃を受ける事無く一方的に仕掛ける事が可能だ。
そうなれば、完全にサンドバッグ状態。実力はまだまだかなわないが、自分の得意なフィールドに引きずり込めば勝利だって見えてくる。
安全に見えても、何があるかはわからない。落ち着いて行動しなければ。ゆっくりと力をためる。全身を再構築した。一発、重いのを入れてみよう。隙だらけの今、フルパワーで攻撃するしかあるまい。



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