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Uターン
テディベアはご機嫌ななめ

「……バラバラ死体?」
「ええ」
ヒルダの城にお邪魔をし、テーブルを囲む三人。魔界の飲み物……、地上で言うコーヒーのようなもの、ベノムティを淹れてもらっていた。ベノム、なんて言うだけあって、虫を煮詰めたモノだとかウサギの目玉やらネズミのはらわたが入っている。だいたいの大人の悪魔は苦みの強いベノムティを有り難がって飲むのだけれど、オレはあまり好きではない。甘党だし。そういう訳で、一回も口にしないまま話は続く。
「少なくとも、それを見つけてからはずっと此処にいたんですよね」
チラリと水の怪が眠っている巨大水槽が目に入る。胎児のようにくるりと丸くなって、水の中を気持ち良さそうに漂っていた。
「……ごめんなさい。わからないわ。でもね、この子を見つけた時の事はほんとによく覚えていてね。親がまるで人が変わったみたいになったって、言っていたの」
「じゃ、そいつの親がバラバラ殺人犯ってわけ? 街が混乱してる時じゃ、やりやすいかもしれないけれど……。一人で短期間に何体も川に流せるものかな」
「いいえ。その日、川は魔法の臭いがした。それも強力な……」
早くもおかわりのベノムティを飲み干したアッシュは、すぐに否定されたからなのか、眉を歪めた。
「……そんなに強いのなら今も残っているはずでは……」
アッシュが話すかと思ったが、オレのベノムティを横取りして飲み始めたので、代わりに口を開いた。
「川よ。臭いなんてすぐ流されてしまう。で、その臭いなんだけど。昔の知り合いだったのよ」
「という事は、悪魔……?」
「いいえ。一回くらい聞いた事があるんじゃないかしら。天使、セオドア」
その名前を聞いた瞬間、全身に巡る血が飛び上がった。時間が経った今でも鮮明に思い出せる。嫌になるほど整った顔つき、中性的だがなよなよとした印象は持たせない。緑色に染めた長め髪から覗く、眉から顎へ伸びる、大きな真っ直ぐの傷。今にもはちきれて皮膚の奥にあるものが飛び出してきそうだった。
「……知ってるみたいね」
アッシュも名前は聞いたことがあるのか、難しい顔をして頷いた。
ヒルダが居ればセオドアを倒せるかもしれない。そうすればオレたち悪魔の勝利に近づくだろう。これから起きるだろう全面戦争で、セオドアはかなりの難関になるはず。計画が上手くいけばこちらはかなりの数になるのだが、数をもって制するのはあの魔力の持ち主には……、難しいというか、不可能に近いだろう。さっさと不意打ちをして殺してしまいたい。
「手を貸していただけませんか。オレ達だけではセオドアを殺す事はできません」
「……殺す? ああ……。けーさつとやらかしら」
「それだけではありません。天使が魔界に攻めて来ている事はご存じでしょう。いずれ、全面戦争になる。あれはその時にかなりの難関になるはずです。あなたとなら……」
ヒルダはじっとカップを見つめたまま、黙ってしまった。空気が凍りつき、アッシュは睨んでくる。ああ、駄目だったか。ティに浮いていたらしい骨を、爬虫類のように鱗だらけの指で摘んだ。ほたりと骨から赤黒いティの滴が落ちたのを確認すると、スナックみたいにひょいと口に入れる。ガリガリと噛み砕く音、ゴリゴリとすり潰す音。
「やめておきなさい。私たち悪魔は、自ら神を裏切ったのよ。迫害される覚悟で、あなた達の先祖は決断をしたの。戦争なんて、ばからしい……。神を裏切った挙げ句殺そうとするだなんて、おこがましいにもほどがあるわ……」
「考えが古いね、ババアは。ぼくらは平和な魔界で暮らしたいだけだ、そう思う事のどこがおこがましいのさ。ぼくらだけで平和に暮らすために作った魔界にわざわざやって来るんだよ。別に放っておいてくれたらいいのに、別に悪さしてるわけじゃないのに、どうしてそんな理不尽な理由でぼくらは殺されなきゃならない。先祖がなんだ。そんなものに縛られて振り回されて、永遠に迫害されるなんてごめんだね。おじさんも、みんなそう考えてる」
普段へらへらとしているアッシュが、きちんと意見するのは珍しい。ヒルダも驚いたのか、目を丸くして、それからゆっくりとまばたきをした。
「……ルシファーも? そう。彼は変わってしまったのね。私の頭が堅いだけなのかしら……。セオドアもルシファーも私の大切な友人、殺すなんてそんな事できない。私はどっちにも手を貸さないから、……放っておいて」
一瞬にして空気が抜けてしまった、風船のようにへたりと机に倒れこんだヒルダ。
「好きなだけゆっくりしていくといいわ。世話はできないけど、あなたたちなら寝場所さえあればなんとでもするでしょう?」
ズルズルとそのまま椅子から引きずり落ちたかと思うと、這うようにして部屋が出ていってしまった。ドアが閉まる音で水の怪は目を開ける。視界にヒルダが居ないからだろう、不安な表情を作り、でも睡魔に勝てなかったのか、身体を抱えて再び夢の中。アッシュはだるそうに足を組み直した。
「スネちゃったみたいだ。いい歳して、みっともないや。……で。さ。天使退治は」
「どうかな。倒せるとは思えない。前に、ちょいと、戦った事があるんだけどさ、全く歯が立たなかったよ。お前と一緒でも変わらないだろうな」
「グレイちゃんがかなわないような相手、絶対に無理だよ。どうしたもんかなあ……、最後に此処に来たのはいつとか、まだ近くに居るのかとか、そんな事も分からないんでしょ。出会う事がまず難しいね」
「……いいや……」
ハロルド爺さんの寝室の惨状、あまりに強い娘達の霊、あれはずっと昔のものではなかった。そして臭いがしない理由……。前にドロシィと一緒にセオドアを誘き出した時、奴はいきなり現れた。ふつう、強い魔法使いが近くに居れば嫌でも魔法臭のせいで分かるのだが。強すぎる魔法臭が一瞬したかと思うと、いきなりドロシィに触れてきたはず……。
「奴は最近来てる。爺さんの娘の部屋の様子、昔に殺されたとは思えなかった。問題はどうやって誘き出すか……」
「ばか言わないでよ。爺さんちは全く臭いがしなかったけど」
「臭いを消せるぜ。前会った時、臭い無しでいきなり現れたんだ。消せるかかなり弱められるかだと思う」
「恐ろしいなあ、天使って奴は。倒せる気がしないよ。でもなんとかしなくちゃいけないんだろ……。困ったな……」
ティカップを手で寄せながら机に倒れこんだアッシュ。アッシュは本体が死んでも、さっき森で飛ばした蛾がいれば再生できる。オレはそんな力は持ち合わせておらず、死んだら終わりだ。体は結構頑丈に出来ているとはいえ、あんな魔力の持ち主の攻撃に何回耐えられることやら……。
頭を抱えていると、短い叫び声。アッシュが左手を掴み、震えている。
「どうした!」
「……死んだッ! 蛾がッ!」
「鳥にでも食われたんじゃあねえか」
ピンと指を伸ばした、なくなっていた左手の小指がゆっくりと生えてくる。汗をダラダラ垂らして、目を見開き、歯を食いしばっている。こんなアッシュ、見たことがない。
「駄目だ、一匹じゃあ鮮明に分からない……。強い、天使……。姿までは……」
おいでなさったか。なんだ、探さなくても向こうから来たじゃないか。心臓が早歩き。死なないよう、死なないように。そう歩きながらつぶやいていたのを聞いた。




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あきゅろす。
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