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Uターン
俯いてそれからダージリン

金が織り込まれた趣味の悪い絨毯に、白い花の薄汚れた壁紙。年代もののチェストと、埃が飛びそうなソファー。緑の天使はひび割れたカップに紅茶を注ぐ。たぶん、きっと、近づいたらいいにおいがするのだろうけど、それを許すような魔法臭さではなかった。
「僕と一緒に帰ろう。帰ったら体を洗わないと、すっかり悪魔臭くなっちゃって。ねえ?」
玄関に立っているオレを、奥の部屋から睨みつけている赤い目玉が二つ。五歩も歩けば部屋に入れるくらいの距離。
「ドロシィは無事か!」
それを聞いて俯く倫太郎の奥に、無残なドロシィが転がっているというのは勘弁したかったが。
「女は生きてるよ。なあ、クリス」
「……はい」
曖昧なこと言いやがって、うっとうしい。自分の目で確認してやればいいのだ。
加速して、倫太郎の後ろに回り込み、手を燃やして首を掴む。
「あ……」
肉の焼けるにおいと音がどうしようもないくらい好き。ビリビリとした痺れは炎のおかげか、くすぐったいくらいに弱くなっていた。
「ドロシィを置いて帰れ! こいつの首の皮を全部燃やしてやってもいいんだぞ」
「クリスを連れていけないと僕は困るんだけど?」
「死んだらもっと困るな」
「……よおくご存知で」
やれやれといった様子でソファーから立ち上がった緑髪の天使。ふわっと埃が舞って、それが炎に当たってチリチリ燃えていく。壁一面といっていいほどの大きな窓を開けると、突風が飛び込んできて炎が流れていった。
「昼にあれだけ痛い目にあったのに向かってきた勇気を買うよ。帰ったげる。べつに、急ぐ事じゃないしね。きみのそばで生きていればそれでいい」
じゃね、と手を振り、窓から落ちていった。大きな羽音と一緒に突風も消える。
「……っ……」
「ごめん!」
倫太郎の首から手を離すと、ソファーにばったり倒れてしまった。カップに入っていた紅茶に埃が潜っていく。煙を出す首には手の痕がくっきりとついて、痛々しい赤に染めあがっていた。
「大丈夫です、これくらい。それより、あの女性が……」
ソファーの後ろから青白い手足が伸びていた。足がぴくりと動いたのを見て安心する。
「ドロシィ?」
後ろに回ると、ドロシィが仰向けになって絨毯の上で眠っていた。特に目立つような傷は見当たらない。服も昼見たものと同じ、長袖のシャツにロングスカートで乱れた様子は全くない。攫われただけ、か。軽く体を揺らしてやると、すぐに目を覚ました。
「……グレイさん! お父さんは大丈夫でした!?」
「怪我はしたが軽い怪我らしい、大丈夫だ」
「そうですか。よかったぁ……」
力を抜いて投げ出した腕に手を差し伸べる。右腕は反応しない。ぬっと左手が伸びてきて立ち上がる、左利きかと聞こうとすると、右腕が落ちた。別に痛そうな顔をしているわけでも、まわりに別の誰かがいるわけでも、倫太郎が何かしたわけでもなかった。一瞬構えたが、すぐに戻す。
「あっ……」
忘れてた、なんて言うみたいにとぼけた顔。絨毯に落ちた青白い腕は静かに佇んでいた。ドロシィの右腕を確認すると、最初から腕が無かったのではと思うほど綺麗に傷が塞がっていた。
そういえば、女の死体から傷をつけずに内臓を抜く、なんて書いてあったっけ。べたべたとしつこく触っても痛くないようだ。
「切られたのか」
「くっつきますかね」
なんて、軽い様子で苦笑いを浮かべていたけれど。大きくってガラス玉みたいな瞳からは、今にも水が漏れだしそうだった。
「利き手は」
「……右です」
「そうか……」
無い腕を見つめて、左手でぐいと顔をこする。美大生にとっての利き手は、命のようなものだろう。せっかく頑張って描いて描いて学校に入ったろうに、本当に、切ったようにできなくなった。再び風が吹き出して、ドロシィの右腕がはたはたと揺れていた。
「大丈夫です。まだ、一本ありますから。きっと生活にはそれほど困りませんよ。絵だって……、右で描いていた時より……、よくなるかも……。しれませんし」
医者に見てもらえば同じように動かせるのだろうか。天使が塞いだ傷を再び開くことができるとは思えない。今の医学がどこまで進んでいるかは分からないけれど、使う本人でさえ理解できないし説明できないような力が働いているのだ。
「ごめんなさい、俺が……」
俺が地上に来なければこんなことにはならなかったのに。多分こんな感じのことを言いたかったのだろうけど、きゅっと口を結んだ。
「お前のせいじゃないよ。ずっと前からあいつは、こっちへ来て悪さをしてたんだ」
「ええ。もう過ぎた事ですから……、ね」
「ごめ……なさ……」
必死に涙をこらえるドロシィと体を震わせて謝り続ける倫太郎の姿が、どうしようもないくらい涙を誘ってくる。誤魔化そうとして湿った空気を思い切り吸い、肺をじっとりと濡らした。

もうこんな所に居るのはよそうと、落ち着いたころに自分の部屋へ戻った。モニカにはかいつまんで説明できる所は説明をしたが、納得がいかない様子だった。ドロシィは念のため医者に見てもらうのと、警部の様子を見に病院へ。モニカはドロシィを病院へ届けた後に署へ行って一人で居るモーガンと一緒に居てやることにするとか。オレは自宅待機。まだ十分に傷が塞がっていなかったらしく、いきなり激しく動いて腹がキリキリ痛みだしたからだ。
自分の部屋でベッドに転がりながらぼうっと蛍光灯を眺めていると、ノック音。
「入って大丈夫ですか」
倫太郎の声、少し考える。部屋には入れたくなかったが、一回入ってしまったのならもういいか、と思った。
「かまわん」
申し訳なさそうにドアから顔を見せた。縁の赤い眼鏡の奥は、澄んだエメラルドグリーンの瞳が二つ。
「本当に……、すみません」
「謝らなきゃいけないのはこっちなんだ。お前の首に立派な痕を付けてしまって」
「いえ、こんなの気にしません。まだこっちにいられるなんて、俺だけじゃ無理でした。ありがとうございます」
すっと伸びた白い石の柱のような首に、痛々しい火傷の痕がふたつ、浮かび上がっていた。間違いなくオレがつけたもの。
倫太郎の顔を見て、ミニテーブルの上に置いていた要注意天使リストを思い出した。おじさんに必ず確認しておけと耳にたこができるかってくらい聞かされていたはずなのに、こっちに来て初めての夜にパラパラと流し読みしただけだった。
布団から這い出てその紙の束を引きずった。めくると案の定、あの男の絵。実物とはちょっと違うし、ドロシィの描いたものよりも随分下手だけど、大きな特徴は掴んである。緑色で男にしては少し長めの髪と整いすぎた顔に、両頬に真っ直ぐ走る痛々しい傷。
「知り合い?」
紙の束を倫太郎に渡すと、苦虫を潰したような顔をした。
「俺の両親と仲が良くて、小さい頃よく面倒を見てもらっていたんです。両親がいなくなった後もたくさん助けてもらいました。さっきも俺の為ってそう考えてやってくれたのでしょうけど」
「とんでもない奴だってのは知っていたのか」
「気に入ったものにはすっごく、優しくするんですよ。それ以外は……。実質あのひとがいわゆる神、ですから。誰も逆らえないしそんな力がないんで、どうする事もできない」
「神……」
「一番最初に生まれた天使だって話です。お気に入りなんですよ、あのひとの言いなりになってます。最近ひどくって、堕天も多くなったし、悪魔狩りでストレス発散する天使も多いみたいです」
「迷惑な話だな……」
奴を殺しちまえばすべて丸く収まるって、そういうわけか。すべて殺さなくたって、大将の首を切り落とせばそれで戦は終わりなのだから。
「そんな奴に面倒みてもらってたら、普通にいい暮らしをしてたろ。逃げてきたのはさ、やっぱり、嫌がらせとかあったんだよな」
「そうですね。まわりの恨みを買ってますし、お母さんだって毒を盛られて死んだんだ……って、噂もあります。俺ならやりたい放題できますから。テディくんだって、いつも俺のそばに居て守ってくれるわけじゃありませんし」
紙の束を布団に放り投げた。クーラーをつけないでいたから、背中がべたついて気持ちが悪かった。それ以上にこの空気が気持ち悪くて、早くなんとかしたいと思っていたけど、口を開きたくはなかった。



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