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Uターン
ピンセットで歯医者さんごっこ

「……なんで早くブザー鳴らさなかったんですか」
「ほっといて大丈夫なのか、ND」
「とっくの昔に交代時間過ぎてますけどね」
「……」
いつの間にか自分の部屋に居て、いつの間にかベッドの中。えぐられた腹はもうほぼ塞がり、頭がまだぼんやりと雲がかかったようだけど、朝まで眠ればまた仕事に行けそうだった。
「……部屋がこんなに綺麗なんて、珍しいですね。他の部屋も。……あの金髪の育ちの良さそうな子ですか」
はっと飛び起きて、部屋を見渡す。床に散乱していた雑誌やら服やらが跡形も無く消え、壁にかかっていたり机に積んであったりした。少し貯めていたペットボトルだって無くなっていた。
「野郎、勝手に部屋入って掃除しやがった!」
「なんで怒るんですか、男同士でしょう。見られて恥ずかしい物なんて持ってるんですか。怪我してるんですから、ほら、寝てて」
流石に下着類は散らかしていないはずだし、他に見られて恥ずかしい物はタンスの中にあるはずだけれど。勝手に男が部屋に入ってきたというのが、なんとも、つっかかる。
「どうしたんですか、あの子」
「……いや、なんというか、家出してきたみたいな」
「へえ、そうなんですか……」
ああ、絶対ウソだってバレてる。いや、ウソではなくてある意味事実だけれど。
ドアが開いて、声も同時に入ってきた。
「調子、どうですか。ご飯できたんで、食べるかなって……」
「倫太郎、てめえ!」
モニカに口を押さえられ、続きはもごもごと聞き取れないものになった。
「食べますよ。ですよね?」
「そ、そうですか。お姉さんのぶんもありますから、是非食べていって下さいね」

オレが無言で倫太郎の作ったパエリアを食べている横で、モニカと倫太郎の会話が弾んでいた。スイーツの話やら、ファッションの話やら。全く入る余地が無く、やっぱり倫太郎は女のようだと思った。
昨日のよく分からない魚のソテーといい今日のパエリアといい、味はもちろんのこと、見た目だってお洒落。一日で家中の掃除をしてしまい、女と話が合う。いいとこの坊ちゃまかと思ったが、そうでもないのか、それともしっかりなんでも教える家なのか。座るポーズ、物の食べ方、喋り方、全てがお上品。
「あ……、グレイさん、傷のほうはもう大丈夫なんですか?」
モニカと話していた倫太郎をぼんやりと眺めていると、目が合った。気を使ったのか、口を開く。
「治った」
「すごいですよね、異能者って。骨が見えるくらい酷い傷なのにすぐふさがっちゃって」
死にたくとも、なかなか死ねない。死なないんじゃなく、死ねないんだ。笑うモニカの口をふさいでやりたかった。体がどんなにボロボロになったって、堕天使とその子を絶対に神は許さない。死という安息をなかなか与えてもらえないし、死んだとしても魂は永遠に地をさまようとか。
「オレが倒れた後、どうなった」
初めての二連敗で気が立っていた。無意識に感情をこめないきつい口調で喋ってしまうが、特にやめようとも思わなかった。
「え、えっと。ドロシィさんから聞いた話では、あの緑髪の男……、セオドアでしたっけ。普通に歩いて帰っていったそうですよ。それからあたしとドロシィさんで頑張って家に運びました。途中で見てられないって、何人か助けてくれたんですけどね。ドロシィさんは今警察に居ます、家に戻ると一人らしいんで、そばに人が居たほうがいいと思いまして」
嫌な予感。そばに異能者がついていても、ただの人があんな奴から女を守りきれるものか。夜に働いているもう一人の異能者が悪魔や天使なら連絡が来ているはず。いわゆるオレ達の言葉で『魔女』や『魔人』と呼ばれる者だろう。悪魔や天使と契約をして魔法を使えるようになった者達で、ただの人から守るぶんには一人で充分。だが、オレがかなわない相手には触れることさえ厳しいはずだ。
「……どうかしました?」
子どもみたいな無邪気な顔で、もごもごと頬を動かしながらなんとか聞き取れる言葉で。
「今すぐ、中央署に電話をかけろ」
「わ、わかりました……」
嫌な予感だけはよく当たるんだ。かすかに聞こえて覚えていた言葉、『お父様によろしく』。これがどうも胸の中でもやもやとしていて、警部の身に何かありそうな、そんな気がしてならない。口の中のものを飲み込んでから、ポケットからピンクの携帯を取り出す。
「直接NDでいいですかね」
「ああ。かけたら貸してくれ」
すぐに渡された携帯を受けとる。なかなか出なかったが、少し待つと受話器を取り、もう一人の部下の声が聞こえた。
「……モニカ? モニカか!?」
「すまん、オレだ。グレイだ。モーガン?」
「はっはいッ! モーガン・ヘイルですッ!」
いつものん気で調子のいいモーガンが声を荒げるなんて、やはり何かあったな。
「大変なんですッ、いきなりNDに緑髪の男が入ってきて、警部が倒れてしまってッ! リズさんは、や、やつざき……。ドロシィさんは攫われてしまって、俺、どうすることも……」
「落ち着け、警官が落ち着かなくてどうする。その男、なんか言ってたか。警部は無事か」
リズというのは異能者だろう、八つ裂きならもう命はあるまい。予想以上の展開で、冷や汗が滴る。ドロシィを攫っていく可能性はあまりないと考えていた。たしかに、事を済ませず殺すだけなら、十分ありえた。
「さっき、救急隊がやって来て……、リズさんは、もう、ダメだと……。警部は、大丈夫だって言ってました。緑髪の男は『天使を連れてくるよう伝えて欲しい』って、いまいち、俺にはよく分からないんですけど……。言ってたのはこれだけです」
「ありがとう。何もできない事、責めなくていい。なんせ、向こうは異能者だ。そっちはもう安全だろう、他の署のNDに逃げるよう連絡して。何かあったらモニカに電話するんだ。何でもいいから、絶対体を動かしておけ、何もしないと悲しくて仕方がなくなるからな」
「……了解です。ありがとうございます」
モーガンは新人の中の新人だ。取り乱すのも無理はない。電話が切れたのを確認すると、モニカに返した。
「ど、どうしたんですか、一体」
慌てるモニカを無視し、会話を思い出す。『天使を連れてこい』……、倫太郎のことか。あの緑髪の天使、セオドアは倫太郎を取り返す餌にドロシィを攫っていったのか。そうとしか考えられない。
「グレイさんったら!」
肩を揺さぶられるが、無視。どこに行けば分からない以上、下手に動くのは危険だ。倫太郎ならどこに行けばいいか分かるかもしれないが、あれだけ帰るのを嫌がっていた倫太郎を、気の狂った天使に引き渡すのは気が引ける。命の恩人だっていうのもあるし。
倫太郎をちらりと見ると、じっと壁を睨みつけていた。
「……グレイさん、俺、もうダメみたいです。迎えが来ちゃいました」
「……は?」
むっとする死のにおい。魔法臭い。うるさかったモニカも黙り、じっと音を聞いていた。
「ごめんなさい、ありがとうございました。ほんとに短い間でしたけど、こっちで過ごす夜は最高でした。楽しかったです。一応話はしてみますけど……、多分無理だと思います」
においの続く先、玄関の向こう。走り出す背中を追った。
「ちょっと、どこ行くんですか!?」
「電話持って待ってろ! オレが出たらドアと窓の鍵を全部閉めとけ!」
吐き捨てて家を飛び出す。すでに倫太郎の姿は消えていたが、きつい魔法臭は消えるはずなく。
隣の部屋。昨日誰かが引っ越してきたばかりの部屋からあのにおいがする。ドロシィが生きていればいいが……。
ドアノブに手をかける。簡単にノブは下がった。開くのに勇気が必要だったが、こんな所でうじうじしていられる状況でないのは髪の毛の一本から小指の爪まで理解できていた。




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