し
惣次は、兄に見付からないよう細心の注意を払ってその場を後にした。
それにしても。
果てる瞬間、兄はなんと言っただろう。
濡れた声で「惣次」と、そう呼びはしなかったか。
自分があそこにいたことに、彼は気付いてはいなかったはずだ。
それならば何故。
その夜、彼はなかなか寝付くことが出来ず、熱っぽい身体とやけに冴えた頭を抱えて布団の中で煩悶する羽目になった。
弟として兄を気にかける心が、その兄の痴態によってどこか僅かに捩曲げられた気がする。
これからどのように兄に接すればよいのか。惣次はどうにも芯を持ってしまう自分の雄に絶望さえ感じて、大きく息をついた。
×××
それから数日、惣次はなるべく何も考えないように兄の世話をこなした。
藤太も弟の様子がおかしいことに気付きはしただろう。だが、なにも問うことはしなかった。
それからまた数日。
この状況に、惣次は耐え切れなくなってきていた。
床に入れば、毎夜のように兄の姿が虚空にちらつき、耳には自分を呼ぶ兄の声が、やけに生々しく甦るのだ。
頭がおかしくなってしまいそうだった。
今日も兄は自分の名を口にして果てたりしたのだろうか。
性欲を処理する行為そのものはともかく、惣次は兄が自分の名を呼んだことが、気になってたまらなかった。
どうしてそんなに気になってしまうのか、自分にも分からない。
だけど、そんなこと聞き出すことも出来はしない。
覗かれていたことを知れば、兄とていい気分はしないだろう。
ましてや、果てる瞬間に弟の名を呼んだ理由などと。
このことは忘れるべきだと思い、惣次は努めて頭から追い払おうとした。
だが忘れるどころか、いよいよ気になって藤太の顔をまともに見ることすら出来なくなっていた。
(駄目だ、このままじゃ)
いくら惣次が悩んでも埒があかない。
座敷牢に兄が篭っている限り、ずっと身の回りの世話をせねばならないのだ。
こんな悶々とした気持ちのままでは、これから先、平穏になどやってはいられない。
惣次はついに、心を決めた。
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