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いち
 
 ゆっくりと月を見上げた。

 六畳ばかりの広さの座敷牢。
 唯一明かりをもたらす小窓から月の光がさやかに零れ、牢の主の細面を蒼く冷たく照らし出していた。

 裏山から生温い風に運ばれてくる竹林のさざめきが、牢の静けさと孤独を際立たせる。
 牢の主は目を閉じ、耳をそばだてて孤独の音に聞きいった。



×××



 不意に聞こえた金属音に、牢の主は目を覚ました。
 いつの間に眠ったのか、畳に格子の模様を描く月光はたいして動いてはいない。

 音のした方に視線をやると、牢を牢たらしめている太い木枠の隅が開き、一人の青年が窮屈そうに体を折り曲げて小さな牢の入口を潜っているところだった。
 牢の主がぼんやり見守る中、青年は湯気をあげる桶と共に畳の上に鎮座し、小さく声を発した。
「眠っていたのですか、兄さん」
「……ああ」
 青年の言葉に、牢の主はもたれていた壁から離れ姿勢をただした。
 烏の濡れ羽のような漆黒の長い髪が、さりさりと音をたてて背中に流れる。
 それはとても美しく、青年の持参した燭台の灯を纏わせて、ちらちらと輝いた。

 美しいのは髪だけではなく、眠たそうに半眼を畳へ落とし、それでも背筋を伸ばす牢の主。
 彼自身が、冗談のように綺麗な姿をしていた。

 青年はそんな兄に一瞬見とれてから、用事を口にした。
「寝起きで申し訳ありませんが、湯を持って来ました。冷めないうちに体をお拭きなさい」
「うん、いつもありがとう。手を煩わせて申し訳ないね」
「いえ……やりたくてやっている事ですから」
 言いながら青年は兄の元へ桶を運ぶと、手ぬぐいを湯で湿らせて固く絞り、それを兄に差し出した。

 こうやって兄の世話をするのようになったのはいつからだっただろう。
 幼い頃はあまり疑問にも思わずよくここへ遊びに来ていたが、知恵がつき、大人の年齢に近付くにつれて、罪悪感に苛まれるようになった。

 牢の主と青年は双子の兄弟であり、同等の生活環境を与えられてしかるべきだと知ったからだ。
 兄が、なぜ牢に入れられているのか。
 あまりにくだらないその理由に、青年は憤りながらも親を哀れに思った。

 それくらいからだ。彼が兄の世話を進んでするようになったのは。

 だけど、今日はそんな用件でここへ来たわけではない。
 彼はひとつ、重大な決心をしてここにいた。
 

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あきゅろす。
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