[携帯モード] [URL送信]

最遊記ドリーム
青い空だけ[三蔵]






 五人目のメンバーが、好んでよく着る服の色がある。


 雨の日というのはやはり鬱陶しいもので、宿に籠もって小さな明かりで過ごす一日は、どこか普段より精彩を欠く。
 カードで時間を潰す二人、忌々しげな雨音に笑顔を消す二人、部屋の一部で気配を消す一人。それでもそれぞれに失われていない意欲もある。雨で窓を開けられないのに煙る空気、その中でもめげずに山積みとなっていった空の皿、それらを次々と消して美しい部屋に戻していく忙しなさ、すでにいくつか手に入れた宿の娘達の名、そして人間の三大欲求の一つも。
 三蔵は音声だけを部屋から拾い、ひたすら窓越しから灰色の空を眺めていた。
「へーへい、五連勝。てめェの運は俺が貰ったね」
「ホントに運だけかよっ悟浄ー?怪しすぎんぞーっ。またズルしてないだろうなー?」
「バーカ、小猿相手にそんな必要あるかってーの」
「少し静かにしませんか?由希が起きちゃいますから……」
 八戒が言い終わるより前に、ベッドの上から細身の塊がのろのろとした動作で起き上がってきた。毛布もかけずに転がっていた五人目のメンバーは、居眠りというよりすでに熟睡に入りかけていたらしい。
「あ……」
 思わず三人は寝坊助由希を見守った。まだとろんとした目がぼんやりと天井を見上げている。が、数秒もするとまた音も無くベッドに沈み込んでしまった。
「おやおや。『雨の日の由希はとことん眠い』といった感じですねぇ」
「雨の日はいつもこうだよなー。由希ってネコみてェ…。電池切れるんかな?」
「眠って充電してんじゃねーの?由希ちゃんて太陽電池なのかもな」
「それだと充電は晴れの日でないと」
 下らない会話など興味無さそうに、三蔵はまだ空を睨んでいた。だが実は由希が起き上がった一瞬だけ、彼女の方へと目を向けていたのだ。この日の三蔵は精彩どころか心の安定も少しばかり欠いていた。
 本日の雨は遠慮というものを知らないようだ。まだ夕刻だというのに、どんよりとした闇を落としてざんざんと降り注ぐ。自分という者の存在意義を、雨粒が流そうとしているのか。この天候だけはやはり気が滅入るのだ。自分を見失いそうな感覚に襲われて苛立ちが募る。ここしばらく青空を見ていないせいだ。こんな日には、愛しくなる物があった。
 ……あいつはまた外へ出るのか。ちょっとやそっとじゃ止みそうにないこの雨は、夜中になれば嵐へ変わるだろう。となると今夜は、どうにも引き止めたい気分なのだ。もしも明日が晴れるならば…。
 自分の機嫌は他人を使って人に取らせるのが玄奘三蔵のやり方。
「俺が俺である為の道具が必要なんだよ。今夜はフラフラしてねェでおとなしく捕まりやがれ…」





 由希が来てから、三蔵は雨の日があまり辛くは感じなくなった。というよりも由希は晴女らしく、雨に遭遇する事自体が明らかに少なくなっていたのだ。勿論乾期には迷惑極まりない人物となるのでハリセンでどつき回していたりはしたが、律儀に詫びを入れているつもりなのか、雨の夜には決まって彼女は外に出る。例えどしゃ降りであったとしても、由希が外に出たその瞬間から雨足は弱まり、少しの間だがいつもと同じ静かな夜が出来上がる。その隙に安らかな眠りに就ける者がいる事を知っているのだ…。
 就寝時刻を過ぎてしばらく、物音を聞いた三蔵は壁に目を走らせた。由希の上着がない。すでに出ていった後だ。いつも通りに夜の儀式を始めるつもりらしい。この日はたまたま充電不足だったのか、あるいは珍しくも天候の方が勝利を収めたのか、やはり雨は弱まりそうも無かった。
 暗い窓の外を見上げて三蔵は物思いに耽り出す。
 十数年前、彼が寺を下りる前日。あの雨の中で、自分は全てを無くしてしまった。重い雨の音と共に、大切な人との日々も砕け散ったのだ。殺して殺して生き延び続けた。それでも心は埋まらない。止まない雨は無いとはいえ、やはり長雨になると辛かった。だからこそ、晴れた時にはよりいっそうの充電ができなければならないのだ。太陽電池は彼の方。三蔵の太陽とは光であり、その光のかけらを持っているのが彼女だったのだ。今夜は必ず手に入れる。
 どうせ濡れるのだからと服もろくに着ず、ジーンズ姿で外に出た三蔵は、雨の中に明るい色の人型を見出す。夜も昼も目立つ色の上着は、街の中などでよく目印代わりに使われていた。
 由希の場合『女性の夜間一人歩き』などというものには当てはまりはしない。彼女を探して人に尋ねる時も、八戒ですら「男の人を見ませんでしたか?」と聞くくらいだ。だが男だろうと女だろうとこの時世、更にこの一行には安全など無い。
 心配などしている訳ではないのだが。その点に関しては由希も他のメンバー同様、意外と機転が利く。それに心配してやる義理もない。心配というより、今夜は三蔵の我が儘が優先されただけの事。ただし、いつもの我が儘とは少し違っていた。
 久し振りの雨は、自分を追憶の世界へと誘い出す。眠る事が苦痛な夜は、こんな気まぐれもいいかもしれない。雨空に呼びかけるよう夢中で天上を見つめる由希に、三蔵はゆっくりと近づいて行った。





「よお、三蔵」
 夕方の熟睡のお陰か、少しも眠くなさそうな由希が元気に笑顔を見せた。
「傘も差さずに夜の散歩か?また変わった趣味の持ち主だな」
「貴様はどうなんだよ」
「僕の場合はいいの。どうせすぐに止むんだから」
 三蔵も空を見上げてみたが、今回ばかりはそのセリフにも無理がありそうだった。それでも由希は部屋に戻る気配を見せない。晴女だからと言って雨が嫌いとは限らず、ばしゃばしゃと楽しそうに音を立てて歩き回る。そのまま本当に散歩へ向かうつもりのようだった。
 三蔵は小さく舌打ちすると、自分を無視して歩き去ろうとする由希を、ドスの効いた声でしっかりと引き止めた。
「おい」
「……ん?」
 肩越しの屈託無い笑顔に多少苛つきながら、三蔵は由希の後ろに立つ。由希の立ち位置は、真横の木と半裸の三蔵に挟まれた状態になってしまった。どうにも居心地悪そうに移動をしようとした時、由希の手をとっさに三蔵が掴み上げた。
「……!?」
 突然の思いがけない行動に、由希は驚いて彼を見返す。三蔵は静かに由希を見つめていた。
 雨は嵐へと変わってゆき、激しさを増す。見慣れた筈の三蔵の顔が雷光を背負って、いつもとは違う迫力をかもし出していた。由希は思わず、焦って手を振りほどこうとする。しかし腕力があまりにも違いすぎた。引き寄せるような動きが生じ、反発して後ずさったが大木に邪魔されてしまう。闇の中、温もりと感じる筈の三蔵の体温が、由希には恐怖にも近い感覚となって伝わってきた。三蔵が彼女を見つめたまま、静かな声でゆっくり問いかける。
「まだ、戻らねェ気か?」
「あ、ああ……」
 その返事に、一瞬何かを言いあぐねているようだったが、結局何も言わず彼は手の力を抜いた。何とか腕を振り払って距離を取る由希から、視線を外し黙って俯いてしまう。三蔵が何を伝えたいのか理解できず、由希は恐る恐る近づくと、彼の顔を覗き込んだ。その途端にまた捕まってしまう。今度は上着の襟に掴みかかってきたのだ。
 苛つくというより少し怒った表情で、三蔵は雨の中にまで待ってきた用件を、ようやく伝える事ができた。非常に簡潔な要望。
「脱げ」
「……………………………はっ?」
 悟浄ならともかく、三蔵の口から出るには信じ難い言葉だったので、流石の由希も絶句してそのままの姿勢で固まってしまった。その為、三蔵は抵抗無く由希の体から服を引き剥がす事に成功したのだった。


 丁度その頃、雨が一向に止まないせいか、もう一人目を覚ました者がいた。散らかったカードを囲んで眠りこけている者が二名。人数が足りない事に気づく。かなり酷くなった気配の空模様が、鳴り響く窓枠から伝わってきた。
 折しも雷が鳴って、八戒の目の前で二つのシルエットがカーテン越しに影を作り出した。それを見た八戒はあえて窓には近づかず、またそのまま寝床に潜り込んでしまった。
「こんな天候の中で何をしているのやら…。まあ三蔵がついているなら平気でしょう。襲われる訳でもなし…」





 嵐の中、二人は立ち尽くしたままだった。濡れた着衣は摩擦が大きい。ゆっくりと、そして彼らしく多少乱暴に肩から上着をずり下ろす。固まった由希は目を見開いて息も止めたまま、ただ黙って近距離になった三蔵の首元を眺めやっていた。雨と距離とで呼吸すら困難である。由希の頬をかすった金髪が、そのまま水滴で張りつく。三蔵は手を止めず、時々舌打ちの音と共に濡れた服が強く引っ張られた。
 完全に上着が奪い取られた時雷光が走って、由希は反射的に肩をすくめた。それを合図に体の自由が回復した事を悟る。彼女は行動を開始した。
 相手が悟浄なら思わず攻撃してしまうところであったが、三蔵相手にはいまいちそれはためらわれた。お綺麗な顔の迫力が心理的な盾となったのだろうか。とにかく大きく飛びすさって、三メートル程の距離を取る。そしてなぜか、スペシウム光線ポーズの構えでバリアを張って睨みつけた。
 三蔵が一歩踏み出す。すると由希も一歩後ずさる。深夜に出没した金髪の狼男は、風に流されるように態勢を変えると、雨音にかき消されない程度の静かさでもう一言を付け足してきた。
「別に変な意味で言ってんじゃねェよ」
「……うお?」
 それを聞いた由希が、やっとバリアの下から顔を半分覗かせた。表情はちんぷんかんぷんといった様子ではあるが。彼がそう言うなら、きっと本当なのだろう。しかししっかり一枚脱がされた後である。とっさには猜疑心を拭い切れないようであった。三蔵の方はというと、一応この女にも警戒心があったのか、などとそれほど興味も無さそうな顔で考えていた。どう見ても誤解を招く行動だろうに、不器用も度を越すと、流石に相手は困惑せざるを得ない。意外とお騒がせな人物である。
 一応気まずそうな表情も一瞬見せてから、軒下の方へと歩いて行く。雨がさほど当たっていない木の枝から、かけてあった別の上着を引きずり出すと、それを由希に投げつけてきた。多少湿って重くは感じたが、すでにびしょ濡れだった上着の代わりには確かになる。やっと状況を把握した由希は、自分の上着を雑巾搾りする三蔵から目を離さずにそれを着込んだ。
(何だ、何々だ……?)
 三蔵らしくもない行動を不気味に感じて、やはり警戒してしまうのだった。意図がさっぱり掴めないのだ。一体何がしたいんだ。もしかしてその上着に何かあるのか……?
 ぱん、と由希の上着を片手で一振りしながら三蔵が話しかけてきた。
「嵐は今晩限りだな」
「ん、ま、まあ……、明日は晴れるんじゃないかな?」
 比喩で言ってるんじゃないだろうな、と由希は一通り思案を巡らせてみる。だが、思い当たる節は無かった。三蔵と「良い天気ですねえ」的会話をするとは思わなかったので、どうも対応がワンテンポずつ遅れてしまうのだ。
 眉間の皺を見ての事か、上着を持ったままきびすを返すと、三蔵は最後に奇妙な命令を下してきた。
「……これは晴れた日に着ろ」
 それだけ言うと、上着を持った金色は静かに闇へと消えて行った。
 由希はその場から動かず、いや一歩も動けずに、一生懸命三蔵の頭蓋骨の中身を考え始めていた。雨も雷もいつの間にか遠ざかって、ようやく彼女の隠れた能力が本領を発揮してきたようだ。
 いくら考えてもさっぱり分からない。何だったんだ、結局?
 かすかに白んだ東の空に、下手をすれば睡眠を取り損ねると気がついて、由希は答えを無理やり出す事にした。この結論に決め込んだ後は、考えるのをやめて綺麗さっぱり忘れる事にしよう。
「……要するに、三蔵が気に入ってたんか、あの服?」





 翌日は快晴。水滴の檻に閉じ込められていた猛獣達が元気な姿で解放された。出発の朝である。
 雲すら流された空は青一色に統一されていた。三蔵が回収した由希の上着もすっかり乾いている。着ている者の踊るような動きに合わせて、その綺麗な色を皆に見せつけていた。
 青い空に良く似合う橙色の服。
 三蔵は晴れ渡った空を見上げた。するといっぺんに時が戻って、そこに見えたのは青を割って飛ぶ橙色の紙飛行機。すいすいと背を向け飛んで行く。
『相反する色だからこそ、お互いの持ち味を引き立て合う…』
 あの時師匠が飛ばした紙飛行機を見て、それをどう思ったかなど、そんな事はもう忘れた。ただ、たった今地上を飛び回っている紙飛行機は、自分の色と明らかに違う。相反する色彩。
 夕べの行動など三蔵にすら説明がつかない。ただ昨日までの気分としては、久々に晴れた空で、常にパワーを振りまいて飛ぶ橙色の紙飛行機が見たかった。ただそれだけ。それだけでこごっていた気も晴れる。自分という青空がより青く爽快に見える。生きる為の力を、確実に手に入れられる。そんな気がしただけだ。
 悟空と笑いながらジープへ走る由希を、三蔵はじっと見つめていた。彼女は気づかずに一度もこちらを振り返らなかった。構わない。いつもと何ら変わりの無い一日。
 けれども三蔵は、他の三人に抱いているのと同じ気持ちを由希にも向けていた。それは、最後にジープの上で振り返って自分を呼んだあの女の笑顔が確信させたのだろうか?たったそれだけが証となっているのだろうか……?ずっと欲しかった、守らなくていい物。
 橙色の紙飛行機は、目を離せば視界から消えてしまうだろう。真っ直ぐ飛んで鮮やかな背を見せながら、ただ飛んで行くだけ。だが三蔵が必要とする時には、その姿を必ず青い空にさらして来る筈だ。それは示し合わせた訳でもなく、けれど示し合わせたようにきっと。それまで自分はただ空を見上げていれば良い。ただひたすらに色を深めていれば良いのだ。あの橙色の紙飛行機がいつか向こうから青空を求めて飛び込んで来る。わざわざ招き入れる必要も、追い払う必要も無い。ただ奴は自分の一線を描く為に飛んでいるのだから。そして自分はその時まで、紙飛行機がいつでも映えるよう、青い空も橙色に映えるように、ひたすら空を仰ぐ。見つめ続けるのだ
 青という自分の色を。青い空だけを。ずっとずっと……。


 ジープの上は相も変わらず賑やかな面々。天気が良いのはやはり元気に繋がるようだった。夕べは何があったのか、いつもと変わらぬ由希からは八戒にも想像できなかったが、それでもそっぽを向いて空を見上げる隣席の後ろ姿が何だか機嫌良さそうにさえ見えて、八戒も青空を背景に自分の笑顔をミラーに映した。
 雨上がりの清々しい空はどこまでも青く、青く。そして力強く全てを包み込んでいる。居心地の良い、空の下。それが玄奘三蔵一行。


 '04/07/07


《了》



ピックアップ三蔵ヴァージョン終了。三蔵様って難しい…。狙った訳ではないが天体シリーズとなりました。八戒→月、悟浄→風、悟空→星、三蔵→青空。ま、そんなところで。



TOP



[*前へ][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!