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最遊記ドリーム
月下美人[八戒]






 夜中に八戒は目を覚ました。ぐっすり眠っていた筈なのに、なぜかふと、その流れが途切れてしまったのだ。
 開いた瞳に最初に映ったのは白い円。起き上がり、暗闇色を見渡す。聞こえるのは梟の鳴き声と、風に揺れる葉音だけ。見上げれば、空は紺色、星は光色。夜の森は妙に静かだった。
 八戒のすぐ横、満月に照らし出された金糸の髪が目に飛び込んで来た。淡い光に輝いている。八戒にはそれが確かに金色に見えた。
 残りのメンバーも確認してみたが、どうやら転がりすぎて行方不明になっている者が数名いるらしく、人数分の塊を発見する事が出来なかった。静寂が平和を物語っているようであるし、気にかける必要も無いだろう。
 八戒は立ち上がると物音を立てないように歩き出した。少し行った所に泉がある。水音は子守歌になってくれるだろうか。引き寄せられるように真っ直ぐと歩いて行った。
 晴れた夜空に降るような星が、満月を修飾している。一人で見るには勿体ない程の光景だったが、これからもずっと、一人でしか見る事はないだろう。
 花南。君がいないこの世に、僕が居続ける限りは…。





 広い泉の中央に満月が映っていた。丁度天頂辺りにさしかかった白い円を眺めながら、八戒は上半身だけ服を脱ぐ。靴をきちんと揃えると、水の中へと入って行った。
 暫く小さな水音を立てながら水面の王冠を楽しむ。月の光をもっと浴びたくなって、沖へと泳ぎ出したその時、葉陰から別の水音が重なっている事に気付いた。驚いて振り向く。泉に入っていたのは自分だけではなかったのだ。
「誰だ……?」
 声は女性の物だった。薄着で同じく水浴びをしていた長身の人物が、目を細めて逆光の中の自分を見ている。八戒からは月光に照らし出された彼女の細い姿がはっきりと判別できた。
「僕です。驚かせてすみません、由希がいた事に気が付きませんでした。すぐに上がりますから」
 八戒は紳士ぶりを発揮して岸に向かおうとしたが、それを受けた女性の方が淑女ではなかったようだ。
「いいよ。こっちは気にしない」
 興味無さそうな言い方で横を向くと、由希は両手で水をすくって遊び始める。まあお互い裸という訳でも無いのだし、と八戒もそのままそこに居残る事にした。
 木々の間から見た時より、月は小さく遠くに見えた。時々背後からするドボンドボンという音に気分を壊されはしたが、一人で花南を思いながら見る月よりも二人で楽しく見た方が月も綺麗に明るく感じるだろう。それは彼女を忘れる事に他ならないのだろうか…?守る事すら出来なかった血まみれの自分が、これほど美しい月を見る。守られる事のなかった君は、今あの世で何を見ているのか。
 掌に視線を落として八戒は立ち尽くしていた。





「本当に綺麗な手をしているな、八戒は」
 そのセリフは頭の中の花南の映像と重なって、八戒は一瞬息を飲んだ。あっさり背後を取られる程にのめり込んでいた自分をうかつに思う。
 由希は八戒の背中から右肩に移ると自分の両手を月にかざした。
「由希の方がずっと綺麗な手をしているじゃありませんか」
 明らかに愛想笑い。八戒は水に手を浸してみたが、結局諦めたように呟いた。
「それに、僕の手は…」
 二度目の八戒の作り笑いを由希は見ていなかった。数歩進み出ると、泉に映った白い円の中央に入りそのままシルエットと化す。輪郭だけが青白く輝き、空へと向けられた顔は月を故郷として懐かしんでいるかのようだ。
「そうしていると、まるでかぐや姫ですね」
 少し男勝りですが、と後に小さく付け加える。由希は八戒の世辞にほんのわずかだけ顔を向けた。しかし何も言わずにまた、食い入るように月を見つめ出す。少し気障だっただろうか、と八戒はこっそり笑ったが、その笑いはすぐに力を無くして消えてしまった。目の前の人物が、いつもの姿をしていなかったからだ。
 短い頭髪の一本一本が柔らかそうな光の曲線を描き、それがさらさらと流れる様は風に舞う木の葉を思い起こさせていた。傷一つ無い白い肌は更に白さを増し、水を添えて光を放つ。音の少ない動きは普段からは想像も出来ない程スローで、仕草一つを取ってもその軌道は滑らかである。はっきりとした目鼻立ちの横顔が、月の姫と言うより月光に映える月の妖精を連想させていたのだ。
 これが由希…?
 昼間の顔とは打って変わった雰囲気に、八戒は目を疑った。いつもは性別すら感じさせない迫力の由希が、今やどこから見ても完全に女性である。常に外へと放出されていたエネルギーは闇で集められ、体の内側から高密度となって溢れ出しているかのようだ。別の意味での迫力となっていた。
 月の光の化粧を施した彼女は、何を思って満月を見上げるのか。静かに光の時を過ごしていた。月夜に出会った妖精から八戒は目が離せずにいた。思考を止め、消えてしまいそうな程に淡くて白いシルエットをただただ眺めやっていた。





「月の光は浄化作用を持っているね」
 おもむろに由希が語り出す。八戒も、目が覚めたような顔の後で笑って会話に応じた。
「浄化…?逆でしょう。狼男も犯罪率も、満月の夜がピークですよ」
「だってほら、僕の髪の色は今、何色に見える?」
 日の光の元で見る由希の髪は、はっきりとした茶色であった。そう答えようとして開いた口を八戒は閉ざしてしまう。
 影の部分は闇と同化しているが、その他の部分は…色が無かったのだ。光で輝くだけの白。
 口を結んだ八戒をしっかり見つめて、由希は力強く微笑んだ。半分下りた瞼は、普段ならば小生意気な印象しか与えない。同じ笑顔である筈なのに、月光がそれを妖艶な物へと変えていたのだ。
「例えば今、この場で血を流したとしても…」
 思わず八戒は両の手を見つめてしまう。白い筈のこの掌はいつも、頭の中では鮮やかな赤に塗り込められた状態でしか見えた事が無かった。その色を、今夜の妖精は変えてしまう事となる。
「血の色なんて見えない。見えてもきっと赤じゃないよ。月が、色を消してくれるんだ」
 色を消して、輝く白に。浄化?この僕の手が?
 …そんな筈は無い!
 そう思った瞬間、八戒に変化が生じていた。
 信じられない。すぐに信じる事が出来なかった。由希の言葉を、ではない。由希の言葉によって、頭の中の血の色がみるみる内に引いてしまった事がである。
 両手に残ったのは、血の跡の代わりに月光色だけ。綺麗に輝いていた。





「そうか、月にはかぐや姫がいるんだったな」
 由希は頭上に片手をかざして月見を楽しむ。
「美人だろうなー。一度でいいからお目にかかりたいぞ」
 普段の由希ぶりに、八戒は空気が変わった事を感知して我に返った。
 屈託の無いいつもの笑顔が向けられたが、それでもやはりどこかしら妖しい印象を受ける。内に秘めたる美しさ。月下美人の名前の由来はなるほど、こういう事も差して言うのか。
「きっと由希の次に美人でしょうね」
 何だか悟浄になった気分だったが、半分は本気で言ってみた。ところが由希から返って来たのは、ほとんど罵声に近い言葉であった。
「バァカァ!あったま悪いなあ八戒はァ」
 罵倒されたロマンチストは微かにのけぞって言葉を失う。ばーかーですか。そういや由希は褒められるのも苦手でしたね…。そう思い出して、今夜だけは怒らずにおこう、と泉の水に顔を浸して八戒は落ち着こうとした。それはまるで、心を鷲掴みにされる直前の準備であるかのように。
 満面の笑みをたたえた由希は振り返り、満月を指すとここぞとばかりに大きな声で言い放った。
「あそこにいるのは、君が一番美人だと思うお姫さんだろ!それは僕じゃないだろが!」
 水面から顔を上げた八戒は、上体を起こせずに水鏡を凝視した。水滴が大量の波紋を作る中で一瞬だけ、自分では無い、愛しい姿を見た気がしたからだ。揺らぐその姿は、ずっと想い続けたかぐや姫。八戒ただ一人の為だけに存在した麗しい人。
 前髪から垂れる水滴が波紋の数を増やしてはいたが、その内に数は減ってゆき、映った姿はまた自分だけの物に変わってしまった。八戒はそれでもなお顔を上げずに、暫く揺れる光の水面を見つめ続けていた。
 どれくらいの時が経っただろう?気が付くと、妖精の姿はすでに無く、辺りはまた静寂に包まれ出していた。
 八戒は夜空を見上げる。白く小さなかぐや姫の住む城に、遠く遠く、ちっぽけな自分の姿をさらしながら、しっかりと目に焼き付けた。青白い光を全身に浴びて満月を見据える。
 かぐや姫は今、何を見ているか?そして何を浄化しているのか…。
 答えを出した八戒は、素直な気持ちで笑っていた。次からは、月を見る度に笑顔を向ける事となるだろう。
 納得した途端にあくびが一つ。八戒は岸に向かって泳ぎ出した。
 月の光はどこまでも、どこにいても八戒を照らし続ける。そう、それは彼がこの世に在り続ける限り…。


 今宵出会った月明かりの妖精は、かぐや姫の使者であったに違いない。


 '04/06/20


《了》



八戒の想いを昇華させてやりたかったのデス。かなんのナンの字が出なかったので花南と変換させていただきました。月下美人はサボテンの名前です。



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