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短編
記憶

私は一体いつからここに居るのかよく覚えていない。

街を見下ろす山の上、建物の一番高い場所、私は閉じ込められるようにそこで暮らしていた。
石造りの殺風景な部屋には固いベッドと小さな机、スツールが置かれている。部屋の隅にはついたてが立っており、そこがお手洗いだ。ベッドの右隣りの壁にはやはり石でできた扉があり、中から叩いたくらいでは何も変わりはない。
その向かいには大きな窓があった。人が住まうには不便なガラスの嵌め込まれぬ石造りの窓。その窓は私の腰より少し上にあり、上は天井近くまで空いている。
雨の日や嵐の時は部屋の中がぐちゃぐちゃに汚れてしまう。けれどもそこからの眺めは良かった。
私のいる建物のすぐ下は森が広がっていた。木の位置から考えるとここから転落でもすれば大事では済まないだろう。
そんな諸々の理由で私は外へ出ることを諦めていた。第一、外へ出たところで行くところもない。

森を抜ければ街がある。白亜の壁に朱い屋根。それが坂を下り、港まで続いている。
港には船が何隻か止まっている。木造の船は帆を畳んで積み荷を降ろしたり、乗せたりしている。

空には鳥が自由に飛び回る。海とは似て否なる青色。雲は流れ、その時その時で表情が変わる。
夜になれば満天の星空が見える。たまに流れる流星をただぼうっと見ていた。願い事の一つもせずにいつまでも眺めていた。その星空の中で私はただ永遠というものを夢見ることができた。
私は夕暮れの街がとても好きだった。夕日に照らされて街中の建物が金色に輝く、ほんの僅かな時間が好きだった。
海が鮮やかなオレンジに変わる。私を暖かな光が優しく包み込む。その温もりが好きなのだ。

食事は朝夕の二回、まともな食べ物を与えられている。
重く閉ざされた石の扉はこの時のみ開かれ、無表情の女が一人、食事を運んでくる。
きっと本気を出せばこの時に部屋から脱出することは可能だろうが、やはり行く当てのない私はおとなしくその時をやり過ごす。
ここの主にはそれがよく解っているからこそ私は手足に枷を嵌められずにこの部屋中を歩き回ることができるのだ。

衣類もそうだ。ボロを纏うことなく、修道服を着ることができる。私が修道女であったと思えるのは唯一これだけだ。

私は自分が何者であったかよく覚えていない。
どうしてここにいるのか、正直検討も付かない。
ここでの長い生活は“私”を忘れさせてしまった。
私に対しての扱いは恐らく悪くないだろう。もっとも閉じ込められているという状況すら普通と感じているのだから何か悪い扱いがあったとしても気付くことはないのだけれど。

私の髪は少し赤っぽい茶色で腰まである。街の娘のようなフワフワとした髪ではなく真っ直ぐで地味な髪だ。
食事の時間以外、詳しく言えば部屋に人が入ってくる時以外は私はこの髪を下ろしたままにしていた。
ただ蒸すだけの堅苦しい頭巾はあまり好きではない。

装飾品も好きではない。
街の娘がするような華美なものは私には似合わない。
キラキラとした彼女達には同じくキラキラしたものが似合うように地味な私には地味な格好で充分だ。


今日の私は窓に腰掛ける。
お行儀が悪いとは思うが、それを注意するものもいない。
そこから眺める街はやっぱり平和で何も変わらない。
何も‥。


「Buongiorno!(おはよう)」

張りのある若い声が下から聞こえた。
耳から入ったそれに私は一瞬身体を震わせた。


その人は私と似た茶髪だった。


彼は私に向かって声を張り上げていたのだ。
目があって、ほんの一瞬だったけれど確かに目があって、私は固まった。
木に紛れて見えなくても不思議ではないのに、遠くて見逃してもおかしくないのに、その僅かな隙間にいる彼が見えた。

知らない人とこんな風に顔を合わせるなんて。

そう思っているのに私の目は逸らせない。まるで私の身体が石にでもなってしまったかのようだ。
時が止まったようだ。それなのに胸の鼓動だけは止まらずに音を立てていた。


「Ecco che cosa?(ここは何?)」

二言目に発されたのは質問だった。
その質問の意味を理解するのに数拍を要したのはただ驚きで頭が真っ白になっただけではない。若干の異国訛りが私の判断を鈍らせたのだ。


「Non lo so. Di non essere mai stato fuori.(わからないわ。外に出たことがないの)」


彼は少し早口な私の言葉を聞き取ることが出来なかったのか、ふいに顔を曇らせた。

相変わらず私は彼から目を離せずにいた。心臓は激しく鳴り、顔はほてり、胸の奥は疼く。
全く未知の感覚に恐れを抱いた。
どうやら私はなんらかの病気になってしまったようだ。

病気ならあの人にうつしてはいけない。

私は崩れるように座り込んだ。そうでなければ到底目を離すことはできなかったからだ。


「Femmina specifiche monachesimo?(修道女様?)」

彼が呼ぶ声が聞こえたけれど私は胸を押さえて隠れていた。
声が聞こえなくなってからも私はただぼうとして座っていた。





翌日も私は彼の姿を捜した。
あのひと時、あの一瞬、ただそれだけだったのに、私の心に焼き付いてしまった。
再びここに来るかどうかもわからない。でも捜さずにはいられない。
結局彼は現れなかった。
次の日も次の日も私は彼を捜した。
もうこの街にいないのではないか。そんな思いが日が経つにつれて大きくなっていく。
その間にいくつもの船が港に着き、いくつもの船が出ていった。

そして。

私はいつものように窓辺に座り、
――世界が、ひっくり返った。

あ、と短く声を漏らし、空が、天と地が逆さまになり、空へ手を伸ばした。
青い空はどこまでも広がって、私はその美しさに微笑んだ。

そして――





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

あとがき

自己満足で、不完全なものを書いています。
自分にすらわからない話です、はい←

ただ思うのは人の生死は日常の連続と断絶ですね。
人の死に、ましてや事故なんて前兆もドラマもなく訪れます。
漫画や小説のように完結が終わりでもないですし、むしろ完結せずに終わるものも多いのではないかと。
理論的でないことも知らないことも多いはずです。
恐らくこの話は後味の悪い、または納得の行かないもの、中途半端なものであると思いますが、所詮現実とはこのようなものです。

なお、本来は恋愛すら無かったかもしれない話ですが、流石に可哀相だと思い、せめて恋だけはさせました。
すみません。

死因は転落死。
部屋は牢屋のようなもの。
恐らく冤罪。
でも覚えていない。

話の意味はありません。
人の死に意味などありません。
誰か一人、その存在がいなくなっても『世界』は何も変わった様子は見せないのです。
『世界』から見れば、人も道端に落ちている石も価値は同じ。

‥すみません、ブラックでした。








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あきゅろす。
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