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ノイジーパレット
 





「ねぇ、話って何の?」


テニス部部室のドアを前にして、あたしは訝しげに切原を振り返った。
見るからに薄そうなドアの中からはぎゃあぎゃあと喧しい話声が漏れ聞こえている。

入るの?この中に?ものすごく嫌なんですけど。

これでもかと言うほど渋い顔で隣の男に視線で訴えかけたが、人の気持ちなんて欠片も察することができないらしいそいつは容赦なく背中を押してくる。


「とりあえず入って。中にみんないるから」

「みんなって?」

「うるさい先輩達」


あぁ…やっぱり…。

聞いた途端、あたしの肩は中途半端に引っかけた鞄ごとがくりと落ちた。

天下の立海テニス部部室前。
こうして文字を並べると呪いの言葉のように思えてくる。
そして何より、切原が説明の前につけた“うるさい”がお先真っ暗な未来を暗示している。

あたし今、平和に暮らすなら一番関わっちゃいけなかったはずの人達と交流持とうとしてるんじゃないかな。

どうして縁もゆかりもないこんな場所に平凡少女のあたしがいるのか。
そう、ことの発端は少し前へと遡る。





ここ何日か、用心に用心を重ねたあたしは図書室には寄らずさっさと帰宅していた。
もちろん、切原の魔の手から逃れるためにだ。
ノートを握られていることはとんでもなく気がかりだったけど、その中身を曝されるよりもヤツの頼みを聞いてしまうことによって発生するであろう弊害の方が遥かに怖かった。

今日も出来るならそうしたかったのに、図書委員の当番に当たっていたためにあたしは図書室で雑用を片付けていた。

返却されてきた本たちを分類別に棚に戻し、新着図書の帯やカバーの整備をして貸し出し可能な状態にし、再び書架の間に入っていく。
自分の上履きが床をこする音。緩やかだけれど、声を出すのはどうにも憚られる空気。静寂の中で、時折ページを捲る掠れた音や誰かが席を立つ音がする。

とにかく図書室は変わらず平和だった。終わりの時間が近づき、このまま何事もなく今日が終わるかと思われた時にそれは起こった。


少し乱暴に図書室の扉が開く音。続いてドカドカと床を踏む音がする。
これは…と最後の一冊を棚に入れながら耳を澄ます。

基本的に本が好きでここへ来る子の足音は静かなものが多い。つまり荒っぽい足音ということは、図書室では静かにって常識が通用しないやつな可能性が高い。
ここの司書である小高先生が幅広く生徒に人気があるせいか、この図書室には本好きはもちろんのこと、時々本なんて生まれてこの方読んだこともなさそうな生徒までやってくる。
小高先生は必要とあらば不良だろうが何だろうが怒鳴りつけて放り出してしまえるほど肝の据わった先生で、一部の不良の中には先生を尊敬してるやつまでいるって噂だ。
先生はあんな奴らでも本は読むんだよって笑うけど。正直、あたしはそういう連中はあんまり好きじゃない。碌なことにならなさそうで。

壁の掛け時計に目をやると、時刻は5時45分。あと15分で図書室を閉める時間になる。
もう少しだし、このまま書架の間をうろうろすることにする。並ぶ本の中にふと気になるタイトルを見つけて足を止めた時だった。
さっきの足音が書架の方へ近づいてきた。あの乱暴な感じのする足音。

本でも借りるのかと思い、その遠慮のない音の主を確かめようと顔を上げかけた瞬間、その足音があたしのいた通路の前で止まった。
視界にはカッターシャツの中程までしか映っていないが、漠然と嫌な予感を感じてさりげなく逆の方向へ歩き去ろうとした。
のに、


「やっと見つけた」


右手を掴むその感触に全身から血の気が引いた。


「放課後ここで待ってろって言ったろ」


嫌な予感的中だ。
恐る恐る首をひねると、そこにはあまり直視したくない現実があった。


「昨日も一昨日もどっか行きやがって。何組か教えとけ。迎えに行ってやる、しょうがねえから」

「…や。遠慮しとく」


予想よりは怒っていなかった。けれど約束をすっぽかされた挙句、三日も相手がつかまらなければ流石にムッとはしているらしく、切原はちょっと拗ねたように口を尖らせた。


「俺、毎日あんた探して回れるほど暇じゃねえんだけど」

「じゃあ探さなきゃいいじゃない」


確かにこのまま逃げ回ってうやむやになればいいとか思ってた上、あわよくばノートも返ってきたりしないかなとか考えていただけに、少しくらい悪い気がしないでもない。ほんとにほんの僅かだけど。だって、ひとりで勝手な約束を取り付けて行ったのは切原だし。
というかクラスをバラすのだけは死んでもごめんだ。教えたが最後、逃げ場が完全に消え失せる。


「それより切原、あのノートのことなんだけど、」


私が話を変えようとノートの事を口にすると、切原はぽんと手を打った。


「そうそれだ。さっさと行くぞ」

「え?行くってどこに」

「部室」

「なっ…!!」


どこの!?まさかテニス部とか言わないよね!?

何でもない事のように切原は言ってのけたけど、それはかなり問題だ。
なんてったって相手はあのテニス部。部のメンバーに紹介される羽目になんかなったら余計話がややこしくなる。


「ま、待って切原!今委員会で…」

「もう終わりだって先生が言ってたぜ」


親指でカウンターの方を指し、切原はぐいぐいあたしを引っ張って図書室を出て行こうとする。足を踏ん張ってどうにか抵抗を試みるも、力で敵う筈もなく図書室の扉がすぐそこにまで近づいている。


「せ、先生っ」


カウンター越しにこっちを見ていた先生と目が合い、とっさに助けを求めた。
不思議そうに首を傾げた先生は、しかしすぐにハッとした様子でカウンターの下に潜った。

何を思いついたのか知らないけど、先生ならなんとかしてくれるだろう。そう思って気を抜きかけ時、再びカウンターから顔を出した先生がこっちに向けて何かを放った。
その何かをかろうじて片腕だけで受け止めたあたしは驚愕に目を見開く。

鞄だ。あたしの。

委員の仕事の間預かってもらってたやつ。


「おつかれさん、後はいいから仲良く帰れよ」


あたしがうまく受け止められたことに満足そうに頷いて、先生はとてもいい笑顔で手を振った。

いやああああああっ!
ちょっと待って、違う、そうじゃなくてっ!


「せんせ、むぐっ!?」


じたばた暴れるあたしを抱え込み、失礼しますと愛想良く手を振り返した切原は素早く扉を抜けた。
そして半泣きで図書室へ引き返そうとするあたしの制服の襟をがっしり掴み、西日で真っ赤に染まっている夕暮れのコートへと引きずっていった。


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あきゅろす。
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