おもいびと ◆無常4 季節は春だと言うのに、まだ積雪の残る三月。 最後の務めを終えたおれは、やっと肩の力を抜く事が出来てほっとしていた。 これから正式に家を出て自立する。その時が、日一日と迫ってきていた。 「おめでとう海斗。頑張った結果が出たね」 夕食時、柊司さんが好きだと言ってくれた鍋を挟んで祝杯を交わす。柊司さんは、優しく笑っておれの合格を祝ってくれた。 この間。おれは、彼のもとで本当に多くの事を考えさせられてきた。彼の人生に触れて、そして彼の人柄に惚れた。 志が揺らぐ事のないこんな人と、人生の一端でも共有できたなら、それは真に幸福であるに違いない。医師として、人生の先輩として、学びたい事は山ほどある。 「早く一緒に臨床で働きたいよ」 そう言ってくれる彼の厚意は本当にありがたい。 多分、彼との別れを後悔するのは、医師を目指すこれからなんだろう。 「待っていてくれるなら……。早くても十五年かかってしまうけど」 「そ……っか」 傍にいたくても、いられない事情がある。 それは、色んな意味で辛い事だけれど、彼はそれを解った上でおれの決意を後押ししてくれた。 「親御さんには伝えたのか?」 「いえ。これからです」 「陸には?」 「……話していません」 「そんなんじゃ先に進めないだろう」 おれの中途半端な在り方に、柊司さんは呆れたようにため息をついた。 同情しながら、それでもけじめを促す彼の在り方は正しい。可能なら、おれだって早く伝えて楽になりたかった。 「大丈夫。……家に負担を掛けたくないから選んだ道だし。金も住むところにも困らない」 本当は、もう少し彼とこのまま生活していきたいと思っていた。シェアするのはかえって好都合だと思えたし、何より彼の傍は居心地がよかった。優しいだけの関係なんて欺瞞臭くて信じられなかったけど。こんな風に思える相手もいるんだと知った。 けれど、そんな関係に縋っていては前進できないとも気付いた。 誰かに甘えたままの子供でいては、大切にしたいと望む相手を迎えてあげられない。 「頭を冷やすには、それだけの期間が必要だと思いますし」 「そ……っか」 視線を伏せた柊司さんは寂しそうに笑った。 「おれにしてあげられることは、ここまでか」 「……柊司さん」 「市内の大学なら、このままずっと……」 有り難い申し出だと思う。その気持ちが、何よりも嬉しい。 「あなたには、百瀬さんがいるじゃないですか」 「そういうんじゃないよ。君と彼は違う」 柊司さんはそう言って、考えて言葉を選ぶ。 「君とは、もっと……。本当に、家族みたいに思っていたんだ」 気持が持ち上がる言葉をくれる。彼はいつもそうだ。 「柊司さん、優しいから」 「なのに海斗は優しくさせてくれない」 「なんですかそれ?」 子供みたいに拗ねる柊司さんは可愛い。こらえ切れずにおれはクスクスと笑ってしまった。 「もっと大人に甘えていいんだよ。君は無理しすぎる。何もかも独りで抱え込んで、そうやって自分を追い込んで辛くして。……見ている方だって、辛いものなんだよ」 このひとと一緒に居た事によって、どれだけおれが救われてきたか計り知れない。本人はあまり自覚していないようだが。 「ありがとう。また、帰ってくるから。そのときは、こうやって迎えて欲しい。……今、それが最高のわがままかな」 正直に答えると、柊司さんは困ったように微笑みを曇らせた。 「ちゃんと連絡よこしてよ?」 本当に家族みたいに心配してくれる。 ありがとう。 「……共犯者の気分だ」 好物の鳥のつくねを噛みしめてから、柊司さんはぽつりと呟いた。 それは言わない約束だろ。 でも、ごめん。 ……本当に。 [*前へ][次へ#] [戻る] |