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獣道はいりました
不審な恋人4





「ゴメン。おれ帰るよ」

おれは自責の念に駆られて、椅子から立ち上がった。
すると、シャツの裾を引っ張られて、そこから出ようとする動きを止められた。

「どうして?」

諏訪の縋る視線が、おれの胸をギリギリと締め付けて、切ない痛みを与える。

ここに来て10分も経たないのに、おれは2度目の『なぜ』を諏訪に言わせてしまっている。

おれの気持ちが分からない。
だから疑問形なんだろうな。

だけど、おれもおまえの気持ちが分からない。
だからここに来たんだ。


「だって、仕事の邪魔……」
「ここにいてよ。それだけでいいから。仕事はちゃんとするから、傍にいてよ」

諏訪は幼い子供のようにおれに訴えた。


──傍にいるだけでいい


それは諏訪の口癖になっていた。

抱き合えないおれたちの在り方を、そうやって理由付けて自分を納得させている。

諏訪は本当にそう思っているようだった。

何度もキスをせがんで、甘えてくる諏訪の想いは、まるでセックスの介在しない小さな子供の初恋のようでもある。

おれは縋る表情にほだされて、諏訪の隣に戻った。

「本当に嬉しいんだ。理由なんていらない。来てくれて嬉しい」

はにかんで視線を落とす諏訪が可愛い。

だけど、そう言いながら今まで態度が変わってきた。

言葉はたぶん本心なんだろうが、それならなぜ、おれを拒む態度に出るのだろう。

「おれは自信がない。おまえがおれから離れて行くようで不安なんだ。だから……」

諏訪はおれの本心を知って驚いた。

「おれは離れたりしない。おれの気持ちはずっと同じだよ」

訴える諏訪は必死で。
一途で可愛い。

「最近、おれを避けているだろう?」

コイツには遠慮した物言いでは本意が伝わらない。
おれは率直に訊いてみた。

「違う!」

諏訪は狼狽しておれに迫った。

「おれは御堂から離れたくないよ。御堂しか好きにならないし、欲しいのは御堂だけだ!」

そう訴えてから、自分の中の何かに気付いたように、沈んだ表情で言葉を濁し始める。

「──それなのに、自分の中の何も捨てられない。おまえのために全てを捨ててしまってもいいと思っていたはずなのに」

音楽を大切にしすぎて、おれを疎かにしているとでも言いたいのだろうか。

「……おれには、そんな意気地もない」

諏訪は視線を膝に落として呟いた。


一瞬、泣くかと思った。
そんな目をしていた。


「諏訪」

おれはさらに核心に触れてみた。

諏訪が遠ざけるのはスキンシップだ。
そこから読み取れるひとつの可能性がある。

「おれもおまえも男だし、こういう感情は変といえば変なんだろう。……世間一般じゃ、男ってのは女を欲しがるもんだしな」

諏訪は哀しい目をしておれを見つめた。

「おれとの恋愛に、抵抗があるのか?」

「違う」

何かを伝えたくて焦れていた瞳が、曲の終わりに気付いて我に返った。

諏訪は、プレイヤーの横に用意していた数枚のレコードジャケットの中から、ヘビィメタルの一枚を選んで2台並ぶプレイヤーの1台にセットした。
ボリュームを調整しながら曲を繋いでゆく。
レコード盤独特の微かなノイズから始まって、重厚なベースから始まるヘビィメタルの曲が店内を満たした。

レコード盤には、デジタルデータには到底表現出来ない繊細なニュアンスがあるらしい。
だからこの店には、本物嗜好の年配の音楽好きが、諏訪が紡ぐこの音楽を聴くためにやって来る。
そういうイベントも定期的に開かれるのだと、諏訪は店長である叔父の感性と商才を尊敬していた。

そう言う諏訪自身も、高いセンスと表現力を持つ、生粋の音楽野郎だとおれは思う。
いつも音楽が傍にあって、頭から離れたりしない。
諏訪からは、そんな強いイメージが伝わってくる。

諏訪はレコードを回してから、小さくため息をついた。

諏訪はおれを見つめながら、考えを巡らせいるようだった。

天真爛漫で、天然系で、難しい事はとりあえず考えないと思っていたコイツがこんなに悩むなんて、やはり何かがあったのだろうと思える。

「──どうして、男同士は普通に結ばれないんだろうな」

憂いを帯びた視線を伏せて呟く。

「おれ……ダメなんだ。おまえに、変な感情を抱いてしまって」

諏訪は、辛そうに自分自身を嫌悪する。

おれは驚いた。

つまりは、コイツは自分の欲求について悩んでいたと言う事なのか?
したくても、出来ない関係に焦れていたとでも言うのか?

しかし、それでは、今までの態度とは辻褄が合わない。

「おまえに触れられると、もう……どうしようもなくて」

信じられない。

「諏訪」

おれが呼ぶと、ためらいがちに切ない表情を向けてくる。

おれはさらに核心に迫った。

「おまえ……おれをオカズにしたことあるか?」

あくまで真面目に訊ねるおれの言葉が、今一つすんなりと理解されない様子で、諏訪は少しだけぼんやりとおれの顔を見つめた。

そして、しばらくしてから、顔から耳まで真っ赤にしてうろたえた。


──それなりにあるらしい


まったく無いわけではなかったけれど、ままごと程度の恋愛感情だった時から比べると大した進歩だ。

それにしても、コイツの感性はやっぱりお子ちゃまだ。
おれに対して性欲を抱いてしまう事を、やましく感じていたなんて。
筋違いもいいところだ。

「おれもあるんだ。そんなに恥ずかしがるなよ」

そう言うおれを穴が開くほど見つめてきて、なんだかおれまで恥ずかしくなる。

「御堂……」

甘えた声でおれの名を呼ぶ。
こんなふうにおれを呼ぶ時の諏訪は、次に決まっておれにキスをせがんだ。

今もそうだ。
熱に浮かされて、溶けそうな甘い表情でおれを誘惑する。

おれは諏訪の肩を抱き寄せて唇を寄せた。
諏訪も勿論そのつもりで、おれを迎え入れる。

息が重なって、誘われるまま唇を重ねた。

張りのある柔らかい唇の感触が気持ちいい。

キスを交わして、その身体を抱いていると、どうしてもその気にさせられてしまう。
おれは、諏訪のもっと深いところを求めた。

熱い舌が応えた。

おれの舌を包み込んで撫でてくるそれは、以前にも増して情熱的で、なんだかただでは済まないような熱を伝えてくる。

いつの間にか、諏訪のリードがおれを支配しはじめた。
形勢逆転して、諏訪に抱かれる。
積極的なのは嬉しいが、これはちょっとマズイかもしれない。

あんまり被さってこられると、椅子のバランスが……。

「ぅわっっ!?」

おれの座っていた椅子が倒れて、おれたちはドサドサと床に崩れ落ちた。
その衝撃でレコードの針が跳んだ。

「あぁ───っっ!?」

諏訪は情けない顔で叫んでから、取り返しがつかない失態にどっぷりと落ち込んだ。

しばらくの沈黙がおれたちを包む。

そして、やっと口を開いた諏訪がおれに言った。

「──ごめん……今日は帰ってくれないか」

諏訪の気持ちは分かる。
やっぱり、こんな話をするにはここじゃ場所が悪い。

おれはばつが悪くなって、ミキサールームを出て、ライブハウスを後にした。




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