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獣道はいりました
不審な恋人3



 あれからの諏訪は相変わらずで、バンド中心の生活に戻ってしまったため、おれとの時間は全くと言っていいほど無くなってしまった。
 本当に無かった事にされたような気分になるのだが、思い過ごしではないような気がして、いささかヘコむ。

 金曜の夜。
 つれない恋人を求めて、おれはあつかましくも諏訪のバイト先であるライブハウスに足を運んだ。
 あまりに焦らされ過ぎているため、これ以上欲求不満を高じさせてしまっては、勢いだけで諏訪に悪さをしてしまいそうで怖い。
 それだけは避けたかったので、おれは溜まった欲求を少しでも昇華する必要があった。

 そんな欲望だけの大義名分で逢いに行くおれは………いや、深く考えるのはよそう。

 これ以上ヘコんでどうする。

 おれは恋人に逢いたい。
 ただ、それだけなんだ。

 夜のすすきのに参じて、ライブハウスに入ると、カウンターには店長とシゲさんがいて、おれを快く迎えてくれた。

「よう。久しぶりだな」

 店長がおれに気付いて、笑顔で挨拶をくれた。
 おれは歓迎されている事を知って安心した。

「先日はごちそうさまでした」

 頭を下げたおれに、店長はそんな大仰な事はしてくれるなと、慌てておれに頭を上げさせた。

「──こちらの方こそ手伝ってくれて助かったんだ。あの日はバイトがひとり病欠してね」

「そうだったんですか」

「トキオは何も話してなかったのか?」

「あ……いえ」

 おれの当惑を察して、店長は諏訪の無口に呆れた。
 アイツはあまり他人の事を話題にしない。……と言うより、興味がないので話題にしようがないのだ。

「そうなると、君への礼もまだなんだろうな」

 おれは、店長の話が掴めなかった。

「手伝ってくれた礼をしておくように言ったんだがね」

 諏訪の叔父さんである店長は、甥のいい加減さに落胆すら見せる。

「いえ!お礼なら十分に……その」

 礼をされるほど仕事はしていないし、おれはあの夜から諏訪を遠ざけていたから礼なんて出来るはずがない。
 正直、そんな暢気な状況じゃなかった。
 だが、もし礼を考えてくれるなら、出来れば今夜の諏訪を貸してほしいと思う。

「──あの、もしよろしければ、あそこに入ってもいいですか?」

 おれは諏訪がいるであろうミキサールームを指した。

「ひとりより、諏訪と一緒の方が楽しいから……」

 おれの、いかにもクラスメイトらしい発言を、シゲさんがクスッと鼻先で笑った。

「いいね。本当に仲がいい」

 シゲさんの笑顔は何だか意味ありげで、おれはつい動揺してしまった。
 何だか、おれの恋心を見透かされているように思えて、顔が不意に熱くなった。

「いいぞ。仕事に差し支えない程度に楽しんで来てくれ」

 店長の笑顔が許してくれた。
 でも、いちいち引っ掛かりを覚えさせられる物言いに、おれはもうどう反応していいのか分からない。

「ありがとうございます」

 そう伝えるのが精一杯なおれに、シゲさんがドリンクの入ったトールサイズのカップを渡してくれた。
 カップの中は、うっすらと濁している淡いブルーのカクテルで、炭酸の気泡がゆっくりとカップの内面を滑って立ち上っている。

「きみはいけるクチなんだろう?」

 シゲさんはまた意味深に微笑んできた。

 このひとたちは、もしかしたら本当におれたちの関係に気付いているのではないだろうか。
 まさかな。
 ここに来たのは一度だけだ。
 そんなはずはない。

 おれはふたりに礼を残して、ミキサールームに向かった。

 まだライブは始まっていない。
 店内には、諏訪がセレクトした、70年代のロックシーンを飾ったと言われる名曲が流れていた。

「諏訪」

 ミキサールームに入って声をかけると、諏訪は驚いた表情で強張ったまま、おれを迎えた。

 おれは、予想通りの反応に、思わず苦笑を誘われてしまう。

「シゲさんから」

 おれがドリンクのカップを差し出すと、諏訪は我に返ってカップを受け取った。

「どうしたの?」

「何が?」

 おれは諏訪の隣に椅子を寄せて腰掛けてから、ドリンクで喉を潤した。

「──や……。急にこんなトコに来たから、どうしたのかなって……」

 諏訪の戸惑いは良く分かる。
 何の断りもなく、バイト先にまで押しかけるなんて礼節を欠く行動は、いつものおれらしくない。

「おまえに逢いたかった」

 おれは切ないわだかまりを胸に抱えたまま、諏訪の横顔を見つめた。
 不意に耳まで赤くなる諏訪の白い肌は、こんな薄闇の中でも、外からの照明に照らされるだけで、輝くような艶を放って随分と色っぽい。

 一度帰宅してから着替えてきたのだろう。
 私服の諏訪にはまだあまり慣れてないので、新鮮で眩しい。

 おれの方もジャージ以外の私服だが、ジーンズとシャツなんて制服姿と大差ない。

 諏訪の姿は別格だ。
 アイボリーの短めでタイトなシャツのボタンを3つ目まで外して、胸元を飾る革紐のチョーカーを見せていた。
 少し長くなった淡い色の髪は、ふんわりときれいな首筋を包み込んで、喉仏がほとんど目立たないから余計に惑わされる。
 細目のボトムも足腰のラインが絶品の諏訪にはぴったりで、黒い色はその脚をより長く形よく見せる。
 カップを持つ両手の人差し指と中指には、銀の指輪が光っていた。

 そんなふうに飾られる諏訪を前にして、おれは少しばかり舞い上がってしまいそうだ。

 おれの邪な視線を感じたのか、諏訪は何も言えないまま俯いてしまった。

「ふたりだけでいられる場所……。ここしか思い付かなかった」

 自分で言ってて切なさに襲われる。
 諏訪は少しだけ困ったように、視線を合わせないまま、ドリンクを口にした。

 コクンと喉が鳴る。

「このあいだは変なコト言ってしまったし……」

「そんなコトない」

 諏訪は驚いておれを見た。
 視線が絡み合って、何だかいいムードなんだか、どうもギクシャクしてしまう。

「──あ!?クソ……」

「え?」

 突然の諏訪の言葉に驚いた。
 だが、レコード盤を見つめて悔しそうにしている諏訪の様子から、アルバムの曲を続けて流してしまった自分への叱咤だと知る。

 言わんこっちゃない。
 店長に邪魔だけはするなと釘を刺されていたのにこれだ。

 おれは肩身が狭くなった。



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