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宝箱(小説)
塚本海乃様より 相互小説





 空一面に黒味を帯びた雲が横長く掛かっていくのを見て、その少年はいずれ訪れるであろう雨脚の兆しを感じ取った。
 この場に長居する必要もない。
 そう思った少年は剣に付着した血糊を横薙ぎして払い落とすと、直ぐにその剣を腰に提げた鞘へと収める。
 先程まで相手をした盗賊共から奪った金品は、後でケセドニアの闇市に流すとして、肝心の死体はどう処理しようか。
 いつものように血の臭いを嗅ぎ付けた魔物に処理させようかと思っていたが、雨のせいで当てが外れそうだ。仕方がない。少年はそう思うと、己の片手を死体に向かってゆっくりと掲げた。




【Lion heart】




「消えろ」


 その言葉を紡いだ瞬間、かの少年の掌から光の波動が放たれる。
 その光の束は死体を包み込むと直ぐに彼等の肉体を構築する音素を分解し始め、それを無への回帰させていく。髪の毛一本残さず消えていったその死体に対し、少年はまるで自分と同じレプリカのようだと思い、自嘲気味な笑みを浮かべた。


「ふん、人形が死体遊びか?随分と高尚な趣味を持ったものだな、劣化レプリカ」


 背後から掛けられた揶喩するような声音に、少年は眉を顰めた。
 自分とおなじ声紋を持つ人間などこの世に一人しかいない。奴という存在が己の生を否定する忌々しい事象そのものだった。


「なんの用だ、被験者ルーク」


 そう言って背後を振り返ると、やはりそこには被験者ルークがいた。何時もの神託の盾騎士団の黒衣を身に纏い、深紅の前髪を後ろへ向かって撫で付けている。
 しかし、その顔に浮かべている笑みは、同行者達や婚約者である王女には決して見せない酷薄とした笑みだった。


「ルークじゃねぇ、アッシュだ。ルークの名前はとっくの昔に捨てたと前にも言った筈だ。お前は本当に物覚えの悪いレプリカだな」

「……そのレプリカになんの用だよ、残り滓」

「あ?用なんてねぇよ。しいて言えば、お前に会いに来た」


 冷え切った表情とは裏腹に、被験者の瞳は嬉々とした色に染まっていた。
 最初にその面を見たときは、レプリカである俺に対する嘲りの類かと思っていたが、どうやら違うらしい。
 目前の被験者の場合、表情と眼光とが矛盾しているときは、眼光の方が本心を表しているのだ。


「俺に会いに来た?何の特にもならねぇぞ」

「ああ、確かにな。だが、あいつらの側にいるよりはマシだ」

「……、……勝手にしろ」


 俺はそう言うと、ふいと視線を被験者から反らした。
 被験者と俺は良く似ている。見た目だけでなく、自身の根底に流れる性質までもが鏡を介したかのようにそっくりだった。
 俺が彼奴らのことを嫌いだと言えば、被験者も同様に彼奴らのことを嫌いだと言う。しかし、直接傷付けられた俺よりも被験者の方が彼奴らのことを嫌っていると気付いたときは、心底驚いた。
 あの視線は忘れたくても忘れられない。まるで路傍に打ち捨てられた塵芥を見るような、侮蔑に満ちた視線。それを注がれていた連中はと言えば、表情ばかりに気を取られていて全く気付いていなかったが。


「レプリカ、いい加減戻って来い。……俺一人にあの鬱陶しい連中の相手をさせるつもりか?」

「は!冗談じゃねぇ、あんな連中の元へ誰が戻るか!てめぇもてめぇで一人で行動すればいいだけの話じゃねぇか」

「馬鹿か。世界を動かすには、彼奴らについて行く方法が一番手っ取り早いんだよ」


 被験者は酷く呆れた表情をするが、瞳は今だ暖かみを帯びて輝いていた。


「レプリカ、その中途半端な安っぽいプライドを捨てろ。そうすれば楽になるぞ?」

「プライドを簡単に捨てるのは、人間様のお家芸だろ」

「違いないな。だが、俺にとっては被験者もレプリカも同じだ。両方とも、不倶戴天の存在に変わりはない」

「……」


 己の被験者は、人間に属する全ての事象を憎んでいる。自らの命を掛けても完全に滅したいと望むほど怨んでいるのだ。それは同じ人間であろうが、似て非なるレプリカであろうが、同じだ。
 俺も人間が憎い、レプリカという生も憎い。だが、彼奴が抱く嫌悪感は、奈落の底よりも遥かに深くどす黒い。
 俺の憎しみが早熟ならば、被験者――アッシュの憎しみは、晩熟なのだろう。
 アッシュの場合、幼少期に受けた過酷な実験のせいで緩やかにではあるが、徐々に本質そのものが歪んでいった。それは、まるでボタンをかけ違えるように、少しずつ少しずつ――ずれていき、最後には矯正が効かないほど捻れてしまった。
 かのアッシュが内に胚胎してきた憎しみは、きっと俺よりも根深くて膨大なものであろうことは、火を見るよりも明らかだった。


「だが、な―‐」


 アッシュの科白はまだ続いたようで、あの瞳でじっと俺を見据える。


「その思想に亀裂を入れてしまうような問題が俺の身に起きたんだよ」

「問題?てめぇの頭がおかしいこと以外に何か問題が出来たのか、被験者」

「ああ、お前のせいで更におかしくなった。責任を取れ」

「はぁ?」


 アッシュは微笑む。ぞっとするほど綺麗な笑みだった。




「お前に、恋をした」




 ざあと雨が降ってきた。
 その科白を遮るように降り出した雨は、モノクロ化した景色へと俺と被験者を溶かしていく。
 雨で重くなった黒いコートが己の体の熱をゆっくりと奪っていくが、俺の心は逆に異常なまでの熱を持ち始めていた。


「なん…つった……?」

「お前に恋した、好きだ、愛してる、欲しい。これが俺に起きた唯一の問題だ……“ルーク”」



 やめろ。なんだ、なんなんだ…?そんな全てを慈しむような目で俺を見るな…そんな優しい声で俺の名を呼ぶなッ!


「俺は被験者もレプリカも憎い、だから全てを壊してしまいたいと思った。だが、お前だけは……壊したくないということに気が付いてしまった。例外が出来ちまったせいで、計画に支障をきたしそうだ。だから―…」


アッシュは両腕を広げながら、言う。


「俺を愛せ、ルーク」




 がしゃん、と絶望に似た音がした。
 それは、鏡の割れる音だったのか、硝子玉の弾ける音だったのか―‐俺には分からなかった。ただ失望により生まれた怒りが行き場を無くし、己の心を徐々に蝕んでいく。


「黙れ…よ…」

「何を恐れている?第一、お前も気付いてる筈だ。お前も俺のことが―‐…」

「黙れッ!!」


 嗚咽混じりの悲鳴が灰色の空間を引き裂く。濡れて張り付いた髪を掻き乱しながら俺は叫ぶ。


「何勝手に決めつけてんだよ!ふざけんじゃねぇッ!!ふざけんじゃねぇよッ…、やめろ、よ…」

「怖いのか?」

「違うッ!俺は被験者なんか―」

「俺は怖いな、お前との関係が変わることが」

「…ッ!!」

「俺たちは鏡だ。お前はその鏡を、境界線を壊したくないのだろう?」


 アッシュの言葉が胸に突き刺さる。化膿した傷口をナイフで抉られるかのように、じくじくと胸が痛んだ。


 そう、俺たちは鏡なんだ。
 互いのカルマを映すための相対した二枚の鏡。決して壊れることのない境界とその距離が心地良かった。
 だが、目の前のこいつは、その関係を恋という槌で粉々に壊そうとしている。


「なぁ?アッシュ……恋をしてどうなる、何が得られる?俺じゃなくて、互いの関係を壊すつもりか」

「壊すんじゃねぇ…寄り添うだけだ」

「嘘だ。てめぇは、俺と一つになりたがってる。肉体も、心も、全て」



 一つになってしまったとき、境界は崩れ、距離は無くなる。
 だが、その後も、俺たちは本当に俺たちのままでいられるのだろうか?
 お互いの鏡を割ってしまったせいで、自身も相手も見えなくなってしまうのではないか?相手のために変わって、そして……捨てられるのではないか?
 ヴァンの裏切りで俺の運命が変わってしまったように、アクゼリュスで仲間と俺との関係が変わってしまったように――‐…今の俺にとって、きっと変わってしまうことが、何よりも怖いのだ。


「もう、嫌だ…、…こんな茶番真っ平ごめんだッ!!お前は、お前らは…また俺に変わることを強制するつもりかッ!!」


 誰に向かって叫んだのか、自分にも分からなかった。
 ただ許せなかった。変わることを強制しておいて俺を捨てた人間も、運命も、事象も全て…‐許せなかった。


「アッシュも同じなんだろう?俺に変化を促しておいて、変わったら、……あっさり捨てるんだろう?」

「俺がお前を捨てると思うか?」

「みんなそう言って俺を捨てた。師匠も彼奴らも、だから…俺は…」

「泣くな」

「泣いてない。……、…お前だけは信じていたのに…それなのに、お前があんなこと言うから―‐」



「……、…悪かった」



 アッシュは謝った。顔も瞳も、本当に苦しそうな色を宿している。


「だが、お前を愛していることは取り消さないからな。……それに俺は、互いの鏡が割れようとも、今の関係が壊れようとも、お前が真に変わろうとも、お前を決して捨てたりしない。お前が望んでも放してやるつもりもない。鎖に繋いで、俺だけの檻に入れて出れないようにしてやる」


 激しい豪雨のなか、アッシュは全ての存在から俺を隠すように自身の腕のなかに俺を閉じ込めた。
 冷たい空気と澱んだ無彩色の世界。嗚呼、畜生。苦しくて、辛くて、痛くて、虚しくて、もうぐちゃくちゃだ。


「アッシュなんて、嫌いだ」

「ああ」


 アッシュは俺の言葉を肯定しながらも、先程よりも強い力で俺を抱き締めて言う。


「嫌いでも良い。俺がお前に言った言葉や気持ちを、忘れないなら」


 アッシュの声はとても辛そうな響きを帯びていた。

 ああ、違う。違うんだ、アッシュ。
 本当に嫌いなのは“俺自身”だ。

 お前が俺よりも沢山の人間に生き方を強制され、裏切られ続けてきたことを知っているのに。
 そんなお前がどれほど悩んだすえに俺に告白してきたのか、分かっているのに。


 それなのに、俺は―‐…




「本当に…嫌い、だ…」


 結局俺は、我が侭で傲慢なあの頃のままで、実は変わってはいなかったのかもしれない。本当に変わったのは、俺自身ではなく周りの世界だったのかもしれない。


「最悪…、だ」



 今更気付いたなんて惨め過ぎるだろう。なんて情けないんだ。

 嗚呼。

 もっと雨が降って欲しい。そして、この世界から惨めな俺の姿を消して欲しい。
 俺の目の前にいる愛する男からも、姿が見えなくなる位に、強く。



End


Lion heart(B&B):男性用香水。カリスマ的で圧倒的、真の美しさを持つ。
黒アシュ(狂アシュ)のイメージ。


†-------†

「Scrap Analyzer」の塚本様から相互小説を頂きました!

わわわ!神の小説だ…っ!←

裏切られる事を恐れる黒ルクとルークが欲しくて仕方がない狂アシュ!
同位体ならではのやり取りがたまりませんv

素敵な小説をありがとうございました!
これからも宜しくお願いします!




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あきゅろす。
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