暗い部屋に月明かりだけが差し込む。
照明のスイッチを探し皐月は押してみるが、一向に部屋は暗いままで灯りがつかない。
「おかしいわね、何でつかないのかしら?」
「暗い方が何かと好都合なんじゃない?」
ライカに背を向けていた皐月が振り返り、薄明かりに照らされた微笑を見せる。
「……それもそうね」
ライカの身体に抱きつき、その締まった身体を堪能するが、皐月は急に辺りを見回し始めた。
「何かしら、この部屋の香りは。……随分甘い香りね」
「皐月さんはこの香り、嫌い?」
妖しく笑うライカは皐月の身体から離れ、部屋の奥へと足を踏み入れた。
月が窓際に立つライカの後姿を浮かび上がらせ、ゆったりと動く動作をそこはかとない気品さを漂わせた。
振り向こうとしないライカを気にしつつも、皐月は後を追うように部屋を眺めながら少しずつ近寄る。
「嫌いじゃないけど、何かしらねこの香り。それにこの部屋、妙に煙いわね」
「これはお香だよ。とても良い香りだよ」
霞がかった室内を見回し、甘い香りが気になる皐月は空気を思いきり吸い込む。
静かな部屋に皐月の呼吸が聞こえ、ライカは背を向けたままほくそ笑んだ。
「あ……ら?何、気分が……」
皐月はふらつく足取りで備え付けのソファーに倒れ込むように手を付いた。
息苦しそうに肩で大きく息をしている。
「気分がどうしたの?」
「何だか……おかしいのよ……。ライカは……平気、な……の?」
「僕は平気だよ。だって、このお香作ったの、僕だもの」
「なっ!っつ、はぁはぁ、頭が……!」
無邪気な笑みを見せながら振り向き、何事もないように話す。
途端に皐月の頭が割れんばかりに痛みだし、綺麗にセットされた髪を掻き毟り呻き声を上げて蹲った。
「皐月さんは真雪ちゃんの両親殺した、悪い奴だもんね。……絶対に許さないから」
「なんですって!?……クッ、ああっ!」
天使のような微笑を浮かべていたライカの目の奥が光り、悪魔のように妖しく豹変する。
皐月の目の前はグラグラと揺れ、室内に居たはずの今見える光景は歪んだ水の中。
突然の事で、慌てて水面から這い出ようと必死に手を伸ばす皐月。
しかしライカから見れば、空中に手を伸ばしているだけにしか見れない。
あまりの滑稽さに、口元が緩む。
「これは幻覚作用があるんだよ。たっぷり吸い込んだから、効果はかなり期待できるよ」
「ひっ!ひぃぃぃぃ!た、助け……、息が……」
目の前に広がる歪んだ水中に、必死にもがき苦しむ皐月。
幻覚とはいえ、水のリアルな感覚が肌に触る。
アルコールも手伝って如実に現れた幻覚は、皐月とって最早幻覚ではない。
水を含んで重くなったドレスが足元の邪魔になり足をバタつかせる。
呼吸が出来なくなり喉元を苦しそうにしながら赤く塗られた爪を立てると、露出した肌を鮮血が汚らしく沁みてゆく。
「ひ、ひっ、ひゃあぁぁ!あッ、あッ……ぁ」
ライカの目の前では思うように動けず、絨毯の上で虫のように這いずる皐月がいる。
次第に静かになる皐月を尻目に、ライカは窓に身体を向け、静かに開ける。
冷たい空気が部屋の中に入り込むと煙るお香が渦を巻き、次第に風に流されて消えていった。
窓辺に立つライカは、ゆっくりと深呼吸する。
「僕の作った悪夢は楽しめたかな、皐月さん?」
微動だにしない皐月の耳に、ライカの声はもう届かない。
月明かりがライカを照らす。