「あー、美味しかったー」 傍目からはのんびりと歩く二人かもしれないが、私の心中は穏やかではない。 鍋と刺身、から揚げや酢の物。 全てゴラゴラを使ったメニューだった夕食。 アニスの言う通り、確かに美味しかった。 ゴラゴラの活きが良いからだけではなく、調理をする人がプロだったと言うのも合わさって本当に美味しい料理だった。 「香夜ちゃんも美味しかったでしょ?」 だからと言ってアニスに同調するような事はしたくなく。 あんな悲鳴を上げるゴラゴラを素直に美味しいとは口に出して言えないでいた。 大なり小なり、人間が生きる上で様々な生き物の命を食料としているわけだけど。 さすがにあのような場面を見てまで美味しかったと言ってしまうと、人間としてどうかと思ってしまう。 そんな葛藤を知ってか知らずか、店を出てから笑顔でない私に聞いてくるアニスを横目で見た。 「も……、あのお店行きたくない……です」 「どうして?アデルバードに“また来ます”なんて笑顔で言ってたのに。まぁ、作り笑顔だったけどねぇ」 アデルさんが良い人だと思ったから、礼儀としてつい言ってしまったわけで。 しかも作り笑顔に気付いていたのなら、そんな事聞かなくてもわかるんじゃないですかね!? 「……ゴラゴラをさばくシーン、あまり見てて気持ち良いものじゃなかったんです。アデルさんは良い印象の人でしたけど……、あのお店は出来れば遠慮しいたいです」 「でもあんな活きの良いゴラゴラ中々手に入らないよ。ゴラゴラが息絶える様子はパフォーマンスだと思えば、楽しいでしょ?」 ゴラゴラが殺される場面を見て、何が楽しいと思えるのか。 「それに私の事を食べるとか、呪うとか。本当にされそうで怖いんです。だから出来れば生きたゴラゴラには会いたくないです」 私とアニスへの態度が違うって言うのも引っかかりますしと、続けて行きたくない理由を言った。 アニスの思考回路にはついていけなくて、あえてあんな絶命する様をパフォーマンスと言った言葉に耳を閉じながら。 「ゴラゴラの口が悪いのは仕方ないよ。それに大した呪いなんてかけれないんだからさ、気にしなくても良いよ」 大した呪いって、本当に呪いをかけれるんですか!? 口ばかりで呪いなんてかけれないと思っていれば、アニスに言われた言葉に顔の筋肉が固まってしまう。 「態度が違うのも仕方ないんだ。僕に食べられる事でゴラゴラは僕の中で生きる。王族の高貴な僕の中で生きられると言う、とっても名誉ある食べられ方はゴラゴラにとって一番の幸せなんだよ」 私には到底わからない思考を教えられながらの帰り道、いまだに耳から離れないゴラゴラの断末魔がいつ消えるのかと心配してしまう。 「はぁ」 吐き出した息が白い。 それは寒さばかりではなく、私の憂鬱な思いも加味しているようだった。 前を鼻歌交じりに歩くアニスが恨めしい。 暗がりの中、街灯の合間に浮かび上がる家が見えてきた。 やっと家についたと安堵し、アニスは鍵を開ける事なく家に入っていった。 「ただいまー」 誰もいない家で、アニスは帰宅時の挨拶をする。 出かける時は確かにアニスが鍵をかけていたと思ったんだけど、そのアニスは玄関の鍵を開ける素振りを一切見せないでドアを開けて入って行った。 どうして鍵が開いているのかと眉間に皺を寄せて、訝しげにしながら私も後に続く。 「アニス、今鍵を開けないで入りましたよね?」 「それがどうしたのー?」 「……何でもないです」 鍵をかけて出かけた場合、帰る時は鍵を開けて入るのが普通だと思う。 けれどアニスは特に気にする様子を一切見せなかった。 誰かが来ているから? ユベールさんでも来ているのかな? ……まさかフェンネルさんが……いるなんて事、ないよね? アニスは玄関の上がりかまちに腰を下ろしながら“ちょっと休憩ー”と一休みを入れていた。 私もそれに習い……ではないけれど、ブーツを脱ぎながらアニスの出方を少しだけ待ってみた。 しかし一向に動こうとしないアニスに業を煮やし、私は恐々としながら玄関を後にした。 アニスがのんびりと構えているから、ユベールさんの可能性が高そうだ。 でもやっぱりハッキリと教えてくれないものだから、得体の知れない恐怖感はある。 恐る恐るリビングに近づき、ドアをゆっくりと開けば妙な機械音が部屋から聞こえた。 「香夜ちゃん、何やってるの?早く入ってよ」 「ヒイャアッ!」 突然後ろから声がしたものだから、変な声が思わず飛び出た。 さっきまでグダグダと玄関先にいたはずのアニスが背後から私を急かす。 「ちょっと、中から変な音が……」 「知ってる。だから入って?」 え?と、疑問符だらけの顔でアニスに振り返れば、両肩を掴まれて半ば強引にリビングに押し込められ、怖くて点けられなかった電灯のスイッチがアニスによって入れられた。 機械音のする大元が姿を現す。 「……チョコレートファウンテン」 リビングは甘い匂いが立ち込めていて、私の身を蕩けさせるのに十分なくらいに幸せな匂いで包まれている。 ダイニングテーブルには大皿に盛られたフルーツが大量に用意されていた。 「アニス、これ、どうしたの。いつの間に……」 今目の前にある物が夢なんじゃないかと思い、たどたどしく現実なんだと確認しながらチョコレートファウンテンに近寄った。 艶やかなチョコレートは綺麗な流線を描いて、下の方へとどんどん流れている。 その様子に吸い込まれるように見入っていると、アニスが大皿にあった苺をフォークで刺して私に渡してくれた。 「はい、食べたかったんでしょ?」 アニスからフォークを受け取り、ゆっくりと頷いた。 「……良いの?」 「今日はバレンタインデーでしょ?だから僕からの逆チョコだよ」 「逆チョコなんて初めて……」 あまりにも嬉しくて、涙ぐみそうになる。 苺のついたフォークをチョコレートファウンテンにソッと触れさせた。 苺は瞬く間にチョコレートの茶色を纏い、ただのフルーツであった苺は高級感溢れるスイーツへと姿を変えた。 「美味しい……。アニス、すっごく美味しい」 「そ?じゃあ、僕も食べよー」 アニスもフォークにメロンを刺してチョコレートの滝に絡ませた。 ゲテモノを散々食べさせられた後でのこのサプライズは私にはかなりの嬉しさがあった。 いつもは私を悩ませるのが趣味としか言いようのないアニスだけれど、たまにはこんな優しい一面も見せてくれるのだと本当に嬉しかった。 「前にフェンネルからもらったケーキに乗ってた苺。アレに薬が入ってたの、忘れたの?」 二個目の苺をフォークに刺そうとすると、アニスから思い出したくない話を出された。 「苺、怖くない?もう食べたくないって思わなかった?」 「食べたくないとまでは思いませんでしたけど、ちょっとした恐怖感はありました。……けど、これは怖くないです」 「そっか」 アニスはプチシューを一つ刺し、チョコレートソースにくぐらせた。 私は俯き加減で苺を刺していたから、アニスがどんな顔をしているかまではわからない。 短い返事だったけど、声のトーンが優しく感じられた。 だから私は正直に自分の気持ちを言った。 「アニスがそんな事するとは思えなくて」 トラウマと言っても過言じゃないほどの恐怖体験を、アニスが蒸し返すとは思えなかった。 あのフェンネルさんの一件でアニスに怒られはしたけれど、アニスはアニスで自分を責めてもいたのだから。 静かになる部屋に、機械の音ばかりが良く響く。 しんみりとした空気に私が耐えられなくなり、苺を刺したままのフォークをチョコレートを絡ませた。 「だからこの苺は平気です。それに逆チョコなんて初めてだから舞い上がっちゃいますよ。それに美味しくって美味しくって、いくらでも食べれそうで困っちゃうくらいです!」 滴りそうになるチョコレートを阻止するために、急いで口に入れて苺をほおばった。 美味しいと連呼する私に、アニスは優しい笑顔を見せた。 初めて見るアニスのそんな笑顔に、苺が喉に詰まりそうになる。 悪巧みを隠すための薄っぺらい笑顔じゃなくて、私の気持ちを穏やかにさせるような本当に優しい笑顔。 いつもそんな顔していれば良いのに、と。そんな事を思いながら苺を嚥下した。 「そっか」 プチシューはすでに艶やかにチョコレートを帯びていて、アニスはそれを口に入れた。 普段見ていたアニスじゃなくて、調子が狂う。 穏やかで静かで、どこか切なさが伝わってきそうなくらいで私はただただ落ち着かない。 だから無駄に喋ったり、苺ばかりを狙って食べていた。 きっと五分か、十分か。僅かな時間の感覚が麻痺したみたいに、そんな短い時がとても長く感じられた。 その間、私は無言でずっと食べていた。 「そんなに美味しい?これ、気に入った?」 「チョコレートファウンテンは一度食べてみたいと思っていたんです。だから気に入るも気に入らないもありませんよ、それも家で私達だけのチョコレートファウンテンです。独り占めですよ?とっても嬉しくて感激してるくらいです」 「そっかー」 漸くアニスが口を開いたと思い、私は妙に緊張していたせいかやたらと多弁になってしまった。 それに返事をするアニスの声のトーンに、少し引っかかる。 突然戻ったいつものアニス、いつもの声音。 「そんなに感激してくれたのなら、ホワイトデーが楽しみだなー」 いつもの悪質な笑顔に切り替わり、しまったと気付くのには時が遅すぎた。 |