昨夜の大運動に身体中が筋肉痛で痛い中、私はのろのろとした動きで一日の家事をこなしていた。 それこそ、いつもよりも時間をかけていたせいか仕事が中々終わらずにいたけれど、アニスからの尋常じゃない量の洗濯物が少なかったからいつもよりは幾分かマシといった所なわけで。 ついでに言うなら、アニスが出かけていたから邪魔もされずに済んだし。 「そー言えば」 アニスは何か思い出したかのように、声を漏らす。 テレビに向かっていた顔がキッチンにいる私に振り返ったかと思うと、思いも寄らない言葉をかけられた。 「香夜ちゃんって、バージンじゃなかったね」 口元は笑ってるけど、目は笑っていないアニス。 私はあまりの衝撃に持っていた皿をシンクに落として、豪快な音をたてて割ってしまった。 「今時の学生でも恥ずかしがらないようなスキンシップですら恥ずかしがる香夜ちゃんでも、やる事はやってたんだねえ」 何も言えず、ただただ恥ずかしさで一杯になり、アニスからの妙な視線から目を離せない。 「ブランクがあった感じはあるし、それどころか初めてイッたみたいだし。前の男は下手くそだったのかな?それとも、単に独りよがりなセックスしか出来ない自己中だったのかな?」 アニスが喋ってて、部屋の温度が下がる気がした。恥ずかしい内容ではあったけど、それを上回る精神的な圧迫感に気圧される。 依然として目を離せずにいたけど、金縛り状態にあった身体はぎこちなくだけど動く事が出来た。 「さ、さあ?私にはさっぱり」 返事をしながらシンクに散らばってあるであろう皿の残骸を手探りで拾う。 何も悪い事をしていないのに、私を責めるような威圧感がひしひしと感じられる。 笑わない目が怖い。 「わ、私、ここ片付けたらお風呂入りますね」 悪い予感と警鐘が頭の中を縦横無尽に暴れている。 そろりと落した視線の先には、真っ二つになったお皿。 燃えないゴミの袋に入れ、さっさと仕事を終わらせる。 いまだ続くアニスからの強烈な視線を気にしない振りをして、慌ててキッチンから出ようとした。 「ねえ香夜ちゃん」 ドアレバーに触れる一歩手前で、アニスが呼び止める。 また目を合わせでもしたら中々逸らす事ができなさそうだからと、私は背中を向けたまま立ち止まった。 「なんですか?」 「僕も香夜ちゃんの初めてが欲しい」 思わず噎せてしまうセリフに、私は強く咳き込んだ。 話の流れから絶対に深い意味で言ったんだ。私にも分かるほどの深い意味で。 「ぼんやりしてる割りに初めてじゃないって、悪い意味で僕を裏切ってくれたし」 「そんな勝手な」 「ご主人様兼旦那様な僕が初めてって言う優越感と征服欲を満たしたいんだよね」 「なんですか、その俺様感たっぷりな欲望は」 「香夜ちゃんだって、僕に支配されたら嬉しいでしょ?きっと病み付きになっちゃうよ」 見事なまでに私の意見は聞いていないですね! 誰が支配されて喜ぶんでしょーか! アニスが勝手な意見を言うなら、私だって言わせてもらう! 「昨日の話ですけどっ、私、けけ結婚指輪どころか、こっ、こっこっ婚約指輪すら貰ってませんけど!?」 思わず緊張してどもってしまった自分が憎い! 勢いよく振り返ってビシッと決まるはずだったのに、情けない事この上ない。 「それにっ……デート、とか。それらしい事、何もなかったと思いますよ!私の事好きとか言っちゃってくれてましたけど、おざなりに扱われてたら誰だって疑問に感じますよ!昨日、言ってましたよね!?明日話するって言っていたわりには、何も言ってくれないじゃないですか!」 勢いよく一気に捲し立てながら睨めば、アニスはさっきまでのうさん臭い笑みを止めていた。 「……そう言えば、そうだね。……そうだったね」 何やら意味深に声を漏らすアニス。感情の起伏がわからない分、機嫌が悪いとわかる声音。 私は私で勢いよく言ったは良いものの、言い過ぎたのではとアニスの出方をオドオドしながら窺った。 「でも……香夜ちゃんは餌が貰えないから、僕の愛を疑うんだね。よく分かったよ」 愛なんて言葉がこれほど恐ろしく感じた事はない。もっと優しくて甘く浸れるような言葉じゃないの? ソファーから立上がり、アニスは私の方へと足を進めた。 何かされるのではと無駄に力の入る身体で身構えれば、アニスはドアレバーに手をかけて廊下に出た。 「まずはデートからね。デートらしく駅で待ち合わせでもする?」 「で……でも私一人で外に出られないんじゃ」 「あー、あの制限は解いたよ。香夜ちゃんってば魔界の空気に慣れそうもないし、諦めたから」 「あ、あの、えと……」 「香夜ちゃんも意外と鬱憤が溜まってたんだね。これから順次解消してあげるから楽しみにしてて」 アニスの言い方はちっとも楽しそうに聞こえない。それどころか、自分自身に死刑宣告を下した気分にしかならないくらいの重圧がのしかかる。 「それらが解消されたら、今度は僕の番だからね」 目の前でドアが閉まる一瞬、アニスは妖艶な笑みを見せたのを私は見逃さなかった。 ……どうやらまずいスイッチを押してしまったようだ。 |