アニスからプロポーズ紛いの言葉を貰ってから数日後、ようやく私の身体が本調子にどうにか戻った。 ベッドで横になって身体を休めていた間、アニスからは仕事を押し付けられずにゆっくりと休むことができた。 休むことは出来たものの、ただ驚いたのは入浴中に気付いた胸元にいくつもあった鬱血の痕。 ……これは、私の記憶が確かならばこれはキスマークと言うもので。いつ、どこで、誰が、何のために!?と、呆然となりながら自問自答していた。 自問自答した所で答えが出せず部屋に半分閉じこもっていた私の様子を見に来たアニスに、恐ろしくも恥ずかしい疑問をぶつけてみた。 私に対して労わるような言葉をかけていた声で「僕がつけた」と世間話をするかのようにサラリと言われ、アニスがあまりにも平然としていたものだから私は呆気にとられて何も返事をする事が出来なかった。 そんな私を気にすることなく、ただ私の様子を見て二言三言話をして部屋を出ていくという日々が過ぎた。 キスマークの事もかなり頭の中で気にかかってはいたけど、もう一つの大問題のプロポーズ。 プロポーズの言葉はまるでなかったかのように振る舞うアニスに、私はあれは夢か幻だったのではないかとさえ思える。 いや、あれは夢。うん、きっとそう。そうに違いない。 朝日を浴びながら寝起きに微睡み色々と考えてしまう頭を休めた。 前なら朝も早くからアニスに起こされ、様々な家事を押し付けられていた。 ここ数日は休日らしい休日を堪能出来た。 朝寝坊って本当に気持ちが良い。二度寝三度寝が当たり前な休日を送っていた私にとって、久しぶりの至福の一時。 まだ寝ていても良さそうと、少し乱れた布団を引き上げて、再び夢の世界へと旅立とうとした。 「香夜ちゃん」 うとうとしている中、アニスがノックもなしに部屋へと入ってきた。 いつもの事とは言え、少しは女の子の部屋に入って来るという自覚をもってもらいたい。 ……女の子って歳ではないかもしれないけど。けど嫁入り前なのだから、あながち嘘ではない気がする。 「起きた?」 寝起きの私を覗きこむアニスに、上半身を軽く起こして寝ぼけ眼を擦った。 「何か、用ですか?」 「うん。そろそろあの時の返事聞かせてもらいたいんだけど」 「返事?」 「忘れたの?」 まだまだ覚醒しきれずぼんやりと会話をしながら寝癖のついた髪を手櫛で整える。 私と目線を合わせるように膝立ちになるアニスは、髪の絡まるその手を取った。 「本当に忘れたの?」 引っ張られるようにされたものだから、寝起きの怠さが抜けきらない身体は簡単にアニスへと傾いた。 少しばかり怪訝そうに、そして面白くなさそうに低い声を出すアニス。 「忘れたも何も、まだ眠いんですけど。後にしてもらえませんか?やっと身体の調子が戻りつつあるんですから」 アニスに身体を預けるようにしながら、私はぼそぼそと答える。 頭も身体も寝る準備が整っていたものだから、自然と瞼は重くなった。 「お嫁さんにもらってあげるって話。忘れたなんて言わせないよ」 うつらうつらしていた私の耳元で、アニスは低く囁いた。 一気に覚醒する目、引き攣る顔。 もらってあげるって……。 私、いつアニスにお嫁さんにしてって言ったっけ?いやいや、私は一言もそんな事言ってない。第一、あの話は夢じゃなかったっけ? いきなり何を言うんだとばかりに睨めば、平然とした顔をしたアニスと目が合った。 「言葉で言えないのなら、ただ僕の手を取れば良いよ。それで了承したとみなすから。言葉もつけてくれるなら本当は一番なんだけど、この際それはおまけとして考えるよ」 アニスは「ね」と一言、一旦離された手を再度差し出して首を傾げた。 それこそ、私は了承すると言わんばかりで、当たり前のように出された手。 私は取るに取れない不安要素いっぱいの手を見る事しか出来ず、口元を引きつらせた。 「……私、アニスの事、まだよくわかってないから……。こういうのは、もう少しお互いを知ってからの方が」 「一緒に暮らし始めてもうすぐ一年になるけど、まだ僕の事わからないの?僕は香夜ちゃんの事わかるのに……。まあ、いいや。じっくりと考えてみてね」 アニスは私をベッドに戻して布団を掛け直すと、ぽんぽんと布団を叩いて部屋を出て行った。 私の何を知っているのよ、と。言いかけようとした言葉を飲み込み、私はせっかく一人にさせてもらった事だしと再び目を閉じた。 アニスのお嫁さんになるなんて話を簡単に決めれるほど、私は結婚に関して気楽に考えてはいない。 それこそ、いい歳ではあるかもしれないけど、ある程度の夢は見ていた。大好きな人と優しくお互いを思いやれる穏やかな生活。 たまにはイチャイチャして甘やかしてくれたり、優しく包み込んでくれたり、けど間違っている事は間違っていると叱ってくれるような、大人な人。 いつまで夢見がちなんだと、自分が情けなくもあるけど。 でもアニスは私の一番近くにいる異性だ。 理想はあくまでも理想だけれど、アニスからは随分かけ離れていると思う。 そんな人と一緒になっても、私は幸せにはなれないだろう。だから、これは断るしかない。 ならば手を取らなければ良いだけだ。 まとめ上げた考えを頭に巡らせて、布団から手を出さないように身体に巻きつけて大きく息を吐いた。 心地良い布団で一息つけると思っていると、布団の中を動く何かがいる。 ゆっくりと、動く細い物。 何なんだろうと布団の中で動く物に手をやれば、それは冷たく少ししっとりとしていた。 「――っ、ヒッ!?ひぃやあああっ、やっ、やああっ」 布団を捲れば、細長い身体に黒く光る鱗、裂け目から覗く赤い舌。 私は思い切りその蛇を手に掴んでいて、咄嗟の悲鳴も妙な声をあげていた。 恐怖から、ともかくその場から逃げたくて、半分腰が抜けたようになりながらベッドから転げ落ちる。 四つん這いになって這うように逃げれば、それについてくるかのように蛇は私の後を追う。 「やっ、やっ」 部屋の外に出れば助かる。 そう思っていたのに、その希望は見事に打ち砕かれた。 「どうして外側から鍵がかかってるのー!?」 ドアレバーを押すが、びくともしない。それどころか引いてもダメ。 焦ったようにドアを背に振り向くと、一匹だと思っていた蛇はベッドから次々と姿を現した。 蛇達はゆっくりと私の足元へと近付く。 |