「ロビン!」
「……ニァン」
僕は横たわって動かないロビンを揺さぶった。
苦しそうにしてはいるけど、生きている。致命傷になるような外傷もないし、少し休んでいれば大丈夫だろう。
「僕が来るまで、香夜ちゃんを守ってくれてありがとう。頑張ったね、ロビン。後はゆっくり休んでて」
ロビンは一度顔を上げて頷くような仕草をすると、静かに眠りについた。
僕は携帯を取り出し、ユベールに電話をした。
「もしもしユベール?今すぐ家に来て。ロビンがフェンネルにやられたから、看病してくれる?……僕?フェンネルに香夜ちゃん盗られたから取り返してくる」
一方的に要件を言い、すぐに電話を切った。
ユベールが何か言ってた気がするけど、僕には聞いている暇はない。
「早く行かないと」
焦る気持ちで、人間界と魔界を繋ぐゲートへ走った。
ロビンのフェンネルへの恐怖心を考えたら、奴の前に姿を現す事は不可能だと思う。
前にフェンネルが家に来た時は、僕に知らせる事が精一杯で僕の部屋で震えているしか出来ないでいた。
けど、今回は違った。
ロビンはロビンなりに、香夜ちゃんを守る対象として見たんだと思う。でなければ、自分からはフェンネルの前になんて出れっこない。
まだ魔界にいた頃、フェンネルがロビンを嬲り殺ろそうとしていたらしく、たまたま通りかかった僕がロビンを救助した。その時、フェンネルの姿はなかったけど、辺り一面に僕の物が壊されて散乱していたから、誰の仕業かは容易に想像がついた。
僕が見つけた時のロビンは口からだらしなく舌を出していて、もう駄目だと思った。けど奇跡的に一命だけは取り留めた。
でも心の傷は癒えなくて、僕やユベール以外と一切の接触が出来ないくらい、他人を信用しようとしなかった。
「いくら苦手でも転移の魔法、ちゃんと習得しとけば良かった」
いくら王子様の僕でも得手不得手はある。中でも転移は苦手だ。
跳躍力は空を飛んでるかのようなくらい。風のように走る事も出来る。人間にしてみたら驚異的な肉体が僕にはある。
けど転移はとても繊細だ。少し間違えただけで、妙な所に飛ばされる。ただでさえ身体にダメージを負ってしまうのに、間違えたら命に関わってしまう。
だから使う必要性を感じないで、覚えなくても良いと決め付けていた。
「過去の僕を叱ってやりたいよ」
悔し紛れに思った言葉を口にした事で、自分自身に余計に腹が立った。
怠けていた過去の自分に、今の僕を見せてやりたい。
いつものゲートを抜け、僕は城へと向かった。
城までの道すがら死肉を貪る魔物を視界に入れた。
久しぶりの嗅いだ、懐かしい故郷の匂いと光景。漂う瘴気が僕の身体中に満ちる。
漲る力で、僕は足を速めた。
フェンネルは地下牢にいるだろう。血生臭い事をする時は、あの場所をいつも使うから。
今までと同じで、きっと香夜ちゃんを壊すつもりだ。
地下奥深くまでは薄暗く冷たい石畳が続く。
焦る気持ちで地下牢へと辿り着けば、そこには誰もいなかった。
地下牢にこびりついた古い血の匂いはあるけど、新しいものは感じられない。
ただその匂いに混じって微かに残るのは、人間の……香夜ちゃんの香り。
「一度はここに来たんだ……」
少し考えた後、僕はすぐに上階にある王族の居住階へ走った。
冷たく殺風景だった地下牢と違い、金細工の施された壁面に赤い絨毯が敷かれた豪奢なフロアに足を踏み入れる。
「アニスお兄さま、久しぶりね」
廊下を走っていると、妹のロベリアが部屋から出て来た。
丈の短いドレスから露出した足を大きく一歩前に、僕に近づいた。
「フェンネル見なかった?」
「フェンネルお兄さま?……さあ、見かけなかったわ。それがどうしたの?」
僕はロベリアの問い掛けに返事もせず、ただ苛立ちを抱えたまま走り出した。
「ちょっと!アニスお兄さまー!?」
甘えたなロベリアはろくに相手にされなかった事で面白くなさそうに叫んでいたけど、僕はそれ所じゃない。
フェンネルの部屋を蹴破るように入れば、そこには何の気配もない。
辺りを見回し、扉という扉を全部開けて見た。……しかしどこにも、一つの痕跡もなかった。
焦る気持ちは益々膨らむ。
「どこに……」
フェンネルは僕に嫌がらせするために、こんな事をしている。
僕が目にしやすいように、耳に入りやすいように、解りやすい痕跡を残す。
僕が嫌だと思うような場所は、どこだろう。 考えを巡らせて、ありとあらゆる可能性と、フェンネルの今までの行動を照らし合わせる。
弾き出された答えは……あそこしかない。
僕は咄嗟に踵を返し、急いで走った。
向う場所、それは僕の部屋。
「フェンネル!」
「意外に早かったですね」
扉を叩き割る勢いで部屋に入れば、僕のベッドで香夜ちゃんを組み敷くフェンネル。
息苦しそうにグッタリとしている香夜ちゃんは服を破られたのか、胸がさらけ出され肌色が見えていた。
「香夜ちゃんに魔界の空気はまだまだ毒。早く帰らせてもらうよ」
「もう少し遅かったら、ちょうど香夜さんを犯してる場面を見せれたのですが。それにもっと遅かったら、身体を切り刻んでいる所でした。見せられなくて、残念です」
すんなりと香夜ちゃんの上から身体を退けるフェンネルは、僕を嘲笑う。
「今回は奴隷印は刻みませんでしたから、安心してください」
擦れ違いざまにフェンネルを睨めば、僕を挑発するように肩を叩いた。
「弱い人間なんてゴミと一緒です。そんな者を奴隷にしたなどと周りに知れたら、末代までの恥ですからね」
今すぐにでもフェンネルを殺してやりたかった。
久々に血が滾り、興奮が収まらない。
でも優先するべきは……。
ドアの閉まる音が聞こえ、フェンネルは部屋を出て行った。
今すぐにでも怒りをぶつけたいけど、それを止めて視線をベッドに向けた。
青褪めた顔には涙の痕、そして白い肌に鬱血の痕がチラチラと見える。僕はシーツをはぎ取り香夜ちゃんの身体を覆った。
香夜ちゃんを抱き抱えて部屋から出れば、不満げな顔で腕組みをするロベリアが壁に凭れて立っていた。
「アニスお兄さま、それ人間でしょ?」
僕は苛々しっぱなして、ロベリアの声すらも、その対象になっていた。だから聞こえない振りをして、目の前を通り過ぎた。
「無視しないでよアニスお兄さま!」
腕を掴まれ、強制的に足を止められた。僕の邪魔をするロベリアに怒りが再燃する。
「ロベリア」
怒りのままに、低く唸るような声で妹を睨み付ける。
ロベリアに感情をむき出しにしたのは、何時ぶりくらいだろう。
さして仲が良いわけでもなく、悪いわけでもないけど。ただ、今は僕達の家に早く戻りたかった。
それを邪魔するロベリアは、僕の怒りを知ってか知らずか自分の我儘を通そうとする。
ロベリアを無言で見下していれば、掴んでいた手がゆるりと離された。
「な……何よ、アニスお兄さま。そんなに怒らなくても良いじゃない」
「僕の邪魔をするからだよ、ロベリア」
ロベリアの視線を背中に感じながら、僕は歩き始めた。
「くるし……」
「香夜ちゃん、帰ろう」
顔色を悪くする香夜ちゃんに声をかければ、小さな頷きが見えた気がした。
僕は人間界へと急いで戻った。