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空想庭園




どこかビクビクとしながらも廊下を歩く。特に殺気とか悪い雰囲気は微塵も感じられずにいたけども、後ろをついてくるフェンネルさんかを視界の端に入れながらリビングのドアを開けた。

ソファーへ促し、私はキッチンへお茶の準備をした。今日はお土産と言うなの罠は持ってきていないし、何かを持って来たとしても一切口にしては駄目。
疑心暗鬼になりながら、フェンネルさんの方へ目を向けた。
レースのカーテン越しに薄い光を浴びているフェンネルさんはソファーに浅く座っていて、前屈みで手を組む姿はさながら「青年の苦悩」と銘うっても良いような一枚の絵画のよう。

俯いてるせいか、サラサラの紫色の髪は目を隠している。どこをどんな風に見ているのかはわからない。
けど少し沈んだように見えるフェンネルさんには以前会った時の怖さは微塵も感じない。それどころか、見目の良い人は何をしていても美形を際立たせるものだと、自然と熱い息が出た。

紅茶をトレイにセットしフェンネルさんの元に行く。私は対面に腰を下ろしてから紅茶を出した。

「ありがとうございます」

浮かない表情で礼を述べたフェンネルさんはカップに手を伸ばさず、陰りのある顔を上げた。

「相談と言うのは、どんな話ですか?」

私がたずねれば、フェンネルさんは深いため息をついてゆっくりと口を開いた。

「……私とアニスは昔から仲が悪く、それは今も継続しています。私はそんな関係に疲れてしまいまして……。仲直りしたいのですが、きっかけがないのです。出来れば、そのきっかけを香夜さんにお願いしたいのです」
「私が仲直りの仲介……ですか?」
「はい。私達の父も兄弟仲良く、国を守ってもらいたいと願っています。ですから私に力を貸していただきたいのです」

真正面に座ったのは失敗だったのだろうか。縋るような金色の目が私を見る。
断れない状況で、断るに断れない内容。

「でも……私に出来るかどうか……」

はっきりと言えず、煮え切らない言葉で逃げようとした。我ながら狡いと思うけど、仲介役なんてした事ないし、自信もない。
どうにかしてあげたいとは思うけど……。

「香夜さんにしか出来ないから、お願いしに来たのです。どうか私を助けると思って、お願いします」

フェンネルさんは身を乗り出して、戸惑う私の手を握った。
急なスキンシップに私の顔に熱が籠る。
いい歳して手を握られたぐらいで、凄く恥ずかしくなった。
紳士風な見目麗しい男の人から真剣な眼差しで見つめられ、手を握られるシチュエーションなんて早々体験する事がない。
それに異性らしい異性に手を握られるなんて、随分久しぶりだった。
だからなのか。

「わ……私で良ければ」
「ありがとうございます」

後で後悔するとは思いつつも、安請け合いしてしまった。
しかし今し方まで沈んでいた表情が一転し、晴々とした素敵な笑顔で喜びを表すフェンネルさん。
なぜか私まで嬉しくなってしまい、まあ良いか……と、思わず笑ってしまった。

「所で私は何をしたら」
「それは……」

フェンネルさんは私の手を握ったまま、向けていた視線を私の背後を見るように瞳が僅かに動いた。
ふと後ろに顔を向ければ、ドアの隙間から姿を表した黒猫ロビンが毛を逆立てて威嚇している。

「ロビン、どうしたの?」

なぜか怒っているロビンの元に行こうと思い、フェンネルさんの手からやんわり離れようとした。

「フェンネルさん?」

握られた手は力が込められていて、振りほどけない。
少し焦ったように力を込めて手を抜こうとしても、フェンネルさんは笑顔を崩そうとはせず、手を離してはくれなかった。

こんな感覚、前にもあった。
あれは……ケーキに薬が仕込まれていた、あの時と一緒だ。

激しくなる動悸。
過去の恐ろしい記憶が頭の中を巡る。

フーッと威嚇するロビンの声が遠くに感じるのは、どうしてなのか。

怖い。怖い。……怖い。

握られた手は少しずつ移動し、私の手首を掴んだ。

「ロビンはアニスの元にいたのですか。なるほど、これでは早くしなくてはいけませんね」

フェンネルさんは私の手首を引き寄せ、指先を唇に触れさせた。
そして清々しいまでの笑顔が消え、妖しい光を宿した瞳が細められた。

ドアの隙間から威嚇し続けていたロビンはそこから動こうとはしない。
私はロビンの気配と声を微かに感じながら、目の前の恐怖と闘っていた。

「私に牙を向けた所で、力では敵わないのです。無駄な事は止めて、ここから立ち去りなさい。……ねえ、ロビン」

フェンネルさんはロビンに視線を向けて喋った。
威嚇する声が一瞬大きくなると、それまで動かなかったロビンはフェンネルさんに飛びかかった。

「猫が王族に盾突くとは……」

笑うフェンネルさんが小さく呟くと、ロビンは翳された左手によって弾き飛ばされた。

「ロビン!フェンネルさん、止めてください!」
「また私に殺されたいのですか?今すぐに、その生皮を剥いでも良いのですよ。それとも目玉をくり抜いて晒し者にでもしてあげましょうか?」

叫ぶ私を無視し、フェンネルさんはロビンに恐ろしい言葉を発した。

「止めて……止めてフェンネルさん……」

哀願する私にフェンネルさんは微笑む。
そして私のいる方に回り込むと、掴んでいた腕を強く引かれて抱き寄せられた。
背中にフェンネルさんの感触を感じながら、小刻みに震える身体がもどかしい。

「ロビン!ロビン!フェンネルさん離して!」

苦しそうな息遣いのロビンに声をかけても反応が鈍く、私は駆け寄りたい気持ちで思うように動かない身体を必死に捩じった。

「長居は無用です。アニスが戻る前に行きましょうか」

耳元で聞こえる声は、まるで睦言を囁くような甘い声。

「どこ、へ……」
「魔界ですよ」

私が目を見開き、フェンネルさんに振り向いた一瞬。
けたたましい玄関ドアの開く音がリビングにまで響いた。

「香夜ちゃん!」
「……一足遅かったですね、アニス」

嬉しそうに目を細めるフェンネルさんは私の顎を掴んで振り向く事をさせない。無遠慮に力を強く入れられているせいで、叫び声すらあげられない。

視界に入る景色がねじ曲がり、私達を取り囲む空気が歪む。
そして今し方現われたであろうアニスの顔を見ないまま、私の意識は遠のいた。




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