目覚めたのはまだ起きる時間には少しだけ早くて、いつもギリギリまで寝ている私にとって舌打ちをしたくなる状況だ。 かと言って二度寝したいほどの睡魔は襲ってこない。それならと、その僅かな時間を有効利用して、たまにはシャワーでも浴びてスッキリとしよう。 部屋のカーテンを開ければ、灯りをつけなくても良いほどに窓からは光が差し込んでくる。 「んー、風呂風呂」 大きく背伸びをしながら太陽光を浴び、バスタオルを持って一階に行った。 階段を下りてすぐ左手にある引き戸を開ければ、そこには――。 「ユベール……?」 背中を向けたまま顔を私に振り向いているユベールが上半身裸の格好でいた。 シャワーでも浴びたのか、いつもは横に括られている髪は解かれていて、濡れた髪が肩を掠めていた。 「月胡か」 バスタオルを頭にかぶり、脱衣室から出ようとするユベールの腕を咄嗟に掴んだ。 「それ……」 「見たのか?」 「……見た」 主語の抜けた会話。 けれど私には「見たのか?」の意味がすぐに理解出来た。 蛇が這ったようにユベールの背中に無数の傷痕。 それに肩甲骨の辺りにある、焼け爛れた火傷のような痕。 ユベールは私の手をやんわりと振り解き、階段を上がった。 黙ったままでいるユベールの後を追い、部屋に入ってドアを後ろ手に閉めた。 私が部屋に入った事を咎めず、何事もなかったように髪を拭きがらウォークインクローゼットへと入って行った。 「何が聞きたい」 「聞いても良いの?」 「答えなかったら喧しいだろう?」 クローゼットに入ったせいか、籠った声でユベールは答える。 蛇が這ったような痕、それは何かで叩かれたような傷。 焼き付けられたように目に残る、様々な痛々しい痕。 いくら視界からその痕が消えようと、脳裏からは離れようとしない。 「どうしたの、誰にやられたの、それ」 「……件の災厄だ」 「変態緑の兄ちゃんがどうして……」 「お前は香夜からどこまで聞いた」 「……変態緑が魔界の王子で、ユベールも魔界の人間だって」 一つ間を置いてから、ジャケットを手にスーツを着こんだユベールがクローゼットから出てきた。 ただボタンをつけていない黒いシャツは胸元を曝け出している。まだしっとりと濡れた髪と合わさって、妙な色気を出していた。下手すりゃ女の私よりも色気がある。 「その魔界の王位継承権第一位にいるのがアニスの兄、フェンネルだ」 ユベールは気怠そうに話し、タオルで髪を拭きながらイスに腰を下ろした。 何がどうなって、ユベールの身体に傷を負わせなければならないのかわからなかった。 当のユベールは淡々としていて、特に気にする様子もない。 ただ、私の聞いた事に対し答えてくれる。 「これでわかっただろう。心構えが必要だと」 ある程度髪が乾くと、ボタンに手をかけて肌色を隠した。 感情をもしまい込んだように全身を黒に身を包んだユベールは、普段の見せる姿になっていた。 「仕事の時間だ」 腕時計を一瞥し、ユベールは一言発した。 「ゲッ、やばっ」 ユベールの声に反応して時計を見れば、完全に間に合わない時刻。 相方である受付の先輩の怒り狂う顔を思い出しながら、私は慌ててユベールの部屋を飛び出た。 朝食抜きなのは仕方ない。化粧も……いいや。 これから起こす行動を秒単位で計画立て、すぐさま顔を洗ってハブラシを済ませた。 スーツに着替え、バッグを持って玄関へと走る。 見ればユベールの靴はもうなく、もう出かけたようだ。 車通勤であるユベールが出る時間と言うのは、私にとってかなりまずい時間。 足に馴染み始めたヒールを履き、戸締りをして家を出た。 家に隣接して建っているガレージの前ではユベールの車が止まっていて、私は手櫛で髪を撫でながらその前を走った。 「月胡」 「何!?急いでんだけど!」 ユベールに呼び止められるも、足を止めたくない私はその場で足踏みをしながら軽く振り返った。 「乗れ」 思いもよらない短く吐かれた甘言に、私は断る事をしなかった。 |