着いた場所は大通りから少し奥まった、薄汚い四階建てのビル。目指すは最上階だとアニスは言った。 エレベーターのないビル。階段を上がる途中の踊り場には、昼間にも関わらず酔っ払いとおぼしきオジサンが高いびきで寝ていた。 前を歩く皆は、そのオジサンを一瞥する事なく、階段を上がって行った。 前を歩く皆にならい、私もオジサンを見ないようして行こうとすると、行く手をオジサンの足で塞がれた。 それまで壁に沿うように真っ直ぐになっていたのに、いざ私が通ろうとした途端に狭い踊り場で大の字になった。 踏み出そうとして上げた足を後ろに引き戻し、どうしようかと前を歩く皆に声をかけた。 「ね、誰か……」 私の弱々しい声に気付いたのは私のすぐ前にいたアニスで、小首を傾げながら振り向いた。 「どうしたのー?」 「これ……、どうしたら」 大の字に寝るオジサンを指差し、アニスに救いを求める。 「跨いで来ればー?」 何だ、そんな事?と付け加え、アニスは前に向き直って階段を上り始め、さっさと先に行ってしまった。 心の中で薄情者とぼやき、私はオジサンに視線を落とした。 楽しい夢でも見てるのか、ニヤニヤとしている。その顔があまりにも気持ち悪く、一瞬背中に悪寒が走った。 オジサンから離れ、反対の壁際に身体を寄せた。 いつ動き出すかわからないオジサンから目を逸らせずに、そろりと足を動かす。 私の靴音がコンクリートに覆われた踊り場にカツンと響く。するとオジサンは目を見開き、私を凝視してきた。 一瞬だけ、私とオジサンは目を合わせ身動きが取れないでいた。 でもそれはほんの一瞬。 「モモエー!帰って来てくれたのかー!?」 さっきまで見せていた様子から、突如としてオジサンは機敏な動きで私の足に縋りついた。 「ヒエエッ!」 「モモエーッ、モモエー!」 「わっ!私はモモエさんじゃありませんから……」 「モモエー!」 オジサンは私の声など聞こえないのか、手の力を強くして私の足首を離そうとしない。 そんなオジサンを前に転びそうになる私は、壁にへばり付いてやっと堪えている状態だ。 破られそうで破られないオジサンとの攻防は、オジサンの手が太股へと伸びた事で一気に形勢不利になった。 「イヤーッ!」 しゃがみ込んで膝を折ろうとすると、私を小脇に抱える腕に捕まった。 「オジサン、このコは僕の奴隷で香夜ちゃん。モモエちゃんじゃないよ」 「モモエー!」 「まったく……、面倒だなあ」 依然掴まれたままの足首にアニスは手をやり、きつく掴んでいたオジサンの指を一歩握るとあらぬ方向へと折り曲げた。 「ウアーッ!」 「オジサン、目を覚まそうよ」 指の付け根が手の甲につきそうになっていて、叫び声を上げるオジサンにアニスは覚醒するよう声をかけた。 「ほら、早くー」 やり方は強引であっても、オジサンの手はいとも簡単に離れてくれた。その隙に私は足をオジサンの元から抜き取り、アニスの元から慌てて上に続く階段に避難した。 よほど強く掴まれていたのか、オジサンの指の痕が赤くついていた。 「目、覚めた?」 「さめさめさめさめ」 「まだ起きてないみたいだねぇ」 「アーッ!」 アニスの僅かな力の動きに、オジサンは身を捩らせながら目を見開いている。 「こんな所で寝てないで、家で寝るんだよ?」 こっそりと階段の陰から見ていた私は、アニスの行なう所業に若干の哀れみの情がオジサンに対して涌いた。 今にもポキンと妙な音を立てそうな指の曲がり方に、心の中で合掌した。 「ほら、香夜ちゃん。行こ」 アニスに促され漸く上りきった階段。エレベーターがないのはやっぱりきつい。あんな怖いオジサンが踊り場の度に転がられていたらたまったものではないもの。 雀荘に着く前にかなりの体力を消耗してしまった私は、これから始まる勝負に若干の……かなりの不安を抱いてしまった。 入口には雀荘鯖丼と書かれていて、ビルに負けないくらいの汚ならしい自筆と思われる看板があった。しかも毛筆で書かれていて、妙な迫力がある。 それにしても鯖丼って、お店の名前なの……? 足を踏み出す事をためらわせるような胡散臭さ一杯のお店を前に、物怖じもせずユベールさんはその扉を開けた。 「へいらっしゃい。なんだい、お前生きてたんか」 「ずいぶんな挨拶だ。店は何とかやっていけてるようだな、ヨリ」 「なんだと?」 ユベールさんが店に入ると、魔女のようなトンガリ帽子を深くかぶる、ヨリと呼ばれた女性らしき人物と話をし始めた。知り合いなのだろうか、気心を知った仲に見える。 大きな帽子に一瞬目を奪われたけれど、よくよく見れば妙な出で立ちのその姿。 身体はマントでスッポリと覆われ、その隙間からはビキニにダメージのきいた汚れたショートパンツ。 今は真冬であって真夏ではないのに、いくら室内であったとしても寒そうな格好に私は鳥肌が立ちそうだ。 閑散とした店内ではあるが、奥の方から人の気配を感じる。 火花を散らす二人の横を通り抜け、胡散臭さ一杯の辺りを見回しながらそこに近寄れば、数人の声が聞こえる。 薄く開いた扉から覗き込むと、男の人が四人でテーブルを囲んでいた。 「ヤツ等、うちのスタッフ。ツブぞろいだよドゥフフ」 ユベールさんとの会話をしていたはずのヨリと言われた人物が、いつの間にかカウンターから出て来ていて私の背後に立っていた。 しかもどこから持ってきたのかわからない斧を携えて、口角を下げて不気味に笑っていた。 「私はこの雀荘のオーナー、ヨリコ。嫌いなものは若くて生意気な女」 ずいぶんな挨拶。 空いた手を差し出されるが、私は斧から目を放せないまま強張った表情で握手を交わした。 「ヨリコちゃん、香夜ちゃん驚いてるから斧を持たないでよ」 「商売道具にケチ付けようってのかい?ここは私がルールだよ。守れないならさっさと去りな」 「いくらヨリコちゃんがルールだからって、お客様を怯えさせたら商売出来ないでしょー?」 「若い女が嫌いだとお前たちも知っているだろう。容赦は無いよ。商売なんてもんは一人の金持ちでも捕まえときゃ何とかなるもんだ」 どうやらアニスも顔見知りのようで、オーナーさんが言う独自の持論を頷きながら聞いていた。 |