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空想庭園



「香夜ちゃん」

その最中アニスに名前を呼ばれ、若干息切れを起こしながら立ち止まる。

振り返って後ろを見ても、ここからは速水くんの姿は見えない。
ここまで来ればと、アニスを睨み見た。

「なっ、何であんな事言ったんです!?」
「だって本当の事だもん」

だってじゃないし、だもんじゃない!
そんな可愛い感じに言った所で、私に対する悪意は消えないんですよ!?

「ともかく、早く会社に行きますよ。ユベールさんが待ってますからね」
「やっぱりユベールに頼まれたんだね」

呆れ口調のアニスを前に、しまった!と私は慌てて口を手で覆うが、一度言葉にしてしまったものは覆しようがない。

アニスは晴れ渡る空を見上げながら前を歩く。

「フェンネルが動いてるかもしれないのに、香夜ちゃんは仕事をさせるつもりー?」

仕事もさせるも何も、私はユベールさんに頼まれただけ。
今まで散々サボっていたツケを、ユベールさんに持ち出されたのだろうし。

……でも、実際はそうかもしれない。
あの毒入りケーキを持っての訪問以来、フェンネルさんは何も接触をしてこない。

アニスやユベールさんが言うには、フェンネルさんはフェンネルさんなりに下準備をしているに違いない。
一度姿を現しているにも関わらず静かにしているのは、様々な計画を練っているからだろうと。

フェンネルさんがまた良からぬ何かをして来るかもしれない、そんな状況下。
アニスにいつも何でもかんでも仕事を押し付けられるユベールさんは、フェンネルさんに対しての警戒心を持ちながらも仕事を黙々とこなしているようだった。それこそ、アニスが仕事をしない分の負担もあるから本当に大変そうだった。

反してアニスはその日暮しが似合うほどの、緊張感を全く感じさせない、のんびりしたものだ。
今はフェンネルさんの脅威を一番に見据えているんだろうけど、それにしても違い過ぎる二人。

「で、でも。……仕事じゃなくて、対フェンネルさんの話があるのかもしれないし……」
「そんな話ならユベールは直接僕に言ってくるよ。仕事だって僕に感づかせないように、香夜ちゃんを使って来たんだと思うー」
「それにしても回りくどいやり方じゃないですか……」
「まぁ、ここまで来ちゃったから仕方ないけどー?本当は仕事だなんて悠長な事してる暇はないんだけどなぁ」

カチンと引っかかるアニスの言葉に眉を潜める。
普段だって仕事してる所を見せた事なんてないくせに!暇がないってどの口が言うか!

「今良からぬ事考えてたでしょー」
「いえ、ぜんぜん。まったく」

疑いの眼差しでいるアニスの目を見ないようにして、漸く見えてきたビルに視線を向けた。


元職場の隣りにある立派なビル。
自動ドア越しに見える人影の一つがツキちゃんだとわかり、足取りが軽くなる。

毎度のお馴染み、と言ったアニスとツキちゃんのやり取りに苦笑いを浮かべつつ、ツキちゃんの休憩時間に合わせて待ち合わせを約束し、その場を後にした。

ユベールさんにアニスを引き渡せば、それで私の仕事はお終い。
浮き足立ちながら社長室に入れば、スラリとした長身にスーツ姿のユベールさんが書類から私達に視線を移した。

やはり見た目のイイ男はスーツも似合えば、仕事をする姿も素敵。
アニスとユベールさんの会話は耳に入ってこないくらいにうっとりと眺めている自分に気付き、頭を振って自分を取り戻した。

これで私は自由!ツキちゃんとゆっくりと話をしよう!
勝手に出て行ってアニスの機嫌を損なうと悪いので声をかけたけれど、無反応だったので自分の中でオッケーだと解釈をしてその部屋を後にした。


会社勤めが当たり前と思っていた私にはどこか懐かしい雰囲気を眺めながら、待ち合わせ場所であるロビーに向かう。

エレベーターから降りて吹き抜けの高いロビーに行くと、ツキちゃんはぎこちない笑顔でお客さんの応対をしていた。
ロビーに設置してあるソファに腰を下ろして、ツキちゃんが休憩になるのを待つ。

接客業なんて学生時代にアルバイトでやったきりで、随分昔の話だ。

学校近くにあった花屋さんでのアルバイト。

開店準備は大変だった。
店長が市場から花を買ってきて、それらは水が張られたバケツに入っている状態で店先に下ろされる。
水と花の重みが指先や腕にずっしりと圧し掛かるから、バケツの運搬はなかなかの重労働。
可愛い花に囲まれた素敵なアルバイトだと表面的にしか見ていなかった私には、随分なカルチャーショックだった。

そんな事もあったと懐かしき若かりし過去を振り返りながら、現在は月給二百円の家政婦なのだと思い出して肩を落とした。
あ、違った。奴隷なんだった。
二重にショックを受けた事で私のテンションは急降下を辿り、気持ちが抉られる。

「カヤちゃん、早く行こ!」
「アレ?仕事は……」
「とりあえず終わり、だから早くご飯食べに行こっ。社員食堂で良い?」

思い出にふけすぎたのか魂が抜けてしまっていたせいか、いつの間にか休憩に入っていたツキちゃん私の目の前に立っていた。
弾む声を出すツキちゃんに手を引かれ、私は社員食堂までの道のりを歩いた。


社員食堂に着くと早めの休憩を取っているOLやサラリーマンがちらほら食事を楽しんでいた。

「カヤちゃん、何食べる?」
「……えっとー」

ここまで来て、持ち合わせがないなんて言い難い。
月給二百円で、今それをコツコツ貯めているなんて言えない。

とりあえずアニスにでもお金を借りて…………。
駄目だ、それは一番やっちゃいけない。
アニスに借りを作りでもしたら、何倍にもなって恩を返さなければならない。それだけは避けたい。

「香夜ちゃん」

私があれこれ頭を悩ませていると、後ろから聞きなれた声がした。
振り向けば、アニスが笑顔で立っていた。そして私の隣には不機嫌全開なツキちゃんの顔。

「ど、どうしたの?」
「ご飯食べるんでしょ?これ、社員食堂のフリーパス。これ使って好きな物食べたら良いよ」
「え、良いの?」

差し出されたカードを受け取れば、アニスは笑顔で頷いた。
たまにはアニスも優しい事をしてくれるのね!

「だって、月給二百円じゃ何も出来ないでしょ?」
「はい、そうですね……」
「じゃあね。あ、月胡ちゃんの休憩が終わったら香夜ちゃんは社長室に来てね」
「……はい」

少し見直す事が出来たかと思えば、月給二百円を強調してくるし、時間の制限までしてくるし。
気分の上がり下がりが激しくて、それだけでグッタリとしてしまう。

でも私の自由時間はツキちゃんの休憩中だけ。
この際嫌な事は忘れてしまおう。
短い時間だけど、与えられた猶予を思い切り楽しもう!

去って行くアニスを見ながらそう考えていれば。
食事を楽しんでいたであろう人達はアニスに仰々しい挨拶をしたり、会釈をしたり。様々ではあるけど、皆一様に同じような行動を取っていた。

ふと気がつけば、周りからの好奇心一杯な視線。
それは私を見ていて、私は不思議に思いながら去って行くアニスを眺めていた。

「ツキちゃん、皆に見られているような気がする」
「社食のフリーパス貰ってたでしょ?アレ、ここの上層部のごく一部にしか支給されないカードだもん。それに、一応社長である変態緑と一緒にいたし?」
「それだけで?」
「変態緑はさ、何か知らないけど結構人気があるんだよ、社内外で。あとユベールもね。無駄に目立つから、あの二人」

あんな破壊的性格なのに社内の七不思議だと言いながらツキちゃんは和食Aランチ、私は洋食Bランチの食券を買い、食堂のおばちゃんに出した。
ご飯が出来るまでの間、ツキちゃんには月給二百円の事を突っ込まれ、そして慰められた。実に切ない話だ。

ご飯の乗ったトレイを持ち、空いている席に腰を下ろし短い時間ではあるが様々な話をしながら食事をした。
主に私の愚痴を聞いてもらっていたのだけど、ツキちゃんとユベールさんの生活も気になって聞いてみた。

「ユベールさんの食生活ってどうなってるの?」
「ユベール?知らない」
「知らない?」

私は咀嚼し終えたナポリタンをスープで流し、ツキちゃんに聞いた。
一緒に住んでいて知らないとは一体?

「だって、別に会わないし。ただ一緒に住んでいるだけって言っても、本当に顔を合わせる事があんまりないんだよねー」
「話もしないの?一緒にどこか行ったりとか……」
「うん。ユベール、会社に来ないで家にも帰らない事もあるし。あいつ等の予定を見れば休日扱いにはなってるけど。だから一緒になんて一番ないよ。どこで何してんだかさっぱり」

ツキちゃんは話をしながら黙々とご飯を食べる。
対する私は食べる手が止まってしまった。

過干渉と言うくらい、アニスは私の行動をよく見ている。
私が話をしたくなくても、どこからか涌いて出てきて要らぬちょっかいを出してくる。
なぜかツキちゃんもそんな感じなんじゃないかって思っていたから、とても意外だった。

まぁ、ユベールさんの性格を見ているとそんな事をしそうにはないと簡単に落ち着いてしまったのだけど。

でもアニスもたまに家を空ける事が度々ある。
いつも予定を言ってから出かけているのに、外泊となるとユベールさんとちょっと出かけて来ると言うだけで詳しい行き先を告げない。

「二人で魔界にでも帰ってるのかな?」
「魔界って何?」

肉じゃがを頬張り、ツキちゃんは不思議な事を聞いてきた。
魔界って何って……。

「ツキちゃん、アニスの正体って知ってるよね?」
「変態緑の正体?ここの社長でしょ?」
「うん、まあそれもそうなんだけど。魔界の人……人間じゃないって事。ユベールさんも」
「魔界ね……。……ふーん、そうなんだ。初耳」

ツキちゃんは驚きもせず、味噌汁を飲み干すと手を合わせた。

「ご馳走様でした」
「それでね、アニスは魔界の王子様なんだって!……驚かないの?もしかして信じてない?」
「信じてないわけじゃないよ。ただ、ふーん、人間じゃないのかって……。でもやっぱりって方が強いかな?」

肝が据わってると言うか、何というか。
私よりも何歳も若いせいなのか、柔軟性があるのかもしれない。
あの時は一気に色々な事があって頭の整理がつかなかったけど、私は少なからずともパニックになったのに。全く慌てる様子も、驚いた様子も見せないツキちゃんに感心してしまう。

って言うか、ユベールさんと何にも話してないんだね、ツキちゃんてば。

「それに今の生活わりと気に入ってるんだ。お互いが干渉しないでいれるし、家賃も光熱費もかからないんだもん。最高。だからユベールが何人であろうが別に良いかな」

変態緑が姿を見せなければもっと最高なんだけどね、と言葉を続けた笑顔のツキちゃんは一瞬にして顔を曇らせた。

でもツキちゃんの生活が楽しそうに聞こえてくる。干渉されない自由のある生活……、かなり羨ましい。
そしてアニス達が人間じゃないと聞いても平静を保っていられるその度胸が欲しい。

「あ、休憩終わる。カヤちゃん、ごめん。もう時間」
「こっちこそごめんね。急に来ちゃって」

慌しく席を立つツキちゃんに習い、私もトレイを持って返却口へと行った。
短い時間ではあるけれどツキちゃんと話が出来てスッキリ出来た私は、悩みの種であるアニスの元へと向かった。



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