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空想庭園
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初めてユベールさんから電話をもらったと思えば。

「アニスに仕事をやるよう説得しろ」
「嫌ですよ。第一、私の言う事聞くわけないですもの」
「今日中にアニスを引摺ってでも無理矢理会社に連れて来い。たまにアニスの面倒を見ろ」

面倒を見ろと言われても、いつも面倒を見てると思いますけど。
私の意見をろくに聞かない所か何かしらの偏見を私に持っているとしか思えないユベールさんに、一方的に言われ切られた電話。

のんびりとテレビを見ているアニスの後ろ姿に、自然とため息が出た。

この世界で生きてゆくためにはお金が必要なわけで。
だからこそ会社を経営する側であろうアニスが仕事をしなければならないのはわかる。
解せないのは私がどうしてアニスの面倒をユベールさんに押し付けられなければならないと言う事だ。

今までもユベールさんが仕事をしろと言っても、アニスはのらりくらりかわしていて仕事をする体勢を一切見せてなかった。
ユベールさんが駄目だったから私に……と、バトンタッチ、と言うより、匙を投げたと言っても過言ではないのだと思うけど。
私にはとても荷が重過ぎる頼まれ事に、挑戦する前から私も匙を投げたい。

言いたいのは山々なのに言いたい相手は電話を切ってしまっていて、私の反論もろくに聞いてもらえずに終わった。

当の本人を憎らしげに目をやれば、テレビに飽きたのか呑気に雑誌を手に取る始末。

無責任なアニスに代わってユベールさんはアニスの立ち上げた会社を取り仕切っているのだろう。
まぁ、無責任なアニスを見ていれば、危うさを感じて必然とやらなければならないと言う使命にも似た責任感が湧いて出たのかもしれない。

そう思えばユベールさんはある意味被害者なのだ。立場は私と同じなのだと思えば同情してしまう。

しかしそれはそれ、これはこれ。
通話終了の音がする受話器を置き、拒否を許さない、命令に近いセリフを思い出してはまた重いため息が出る。

掃除をしながらアニスのご機嫌伺い……ではないけど、言うタイミングを計ろうとしてつい何度も見てしまう。
まともに言った所で、絶対に会社になんて行ってくれないだろうし。

了承してないのだから無視してしまえば良いとも考えたけれど、何となく後が怖いと思った私はアニスに屈辱的なお願いをして一緒に来てもらう事となった。
ユベールさん。こんな頼み事、二度と聞きたくないですと心の中で泣きながら。


あまり来たくない、このオフィス街。
田舎の母の看病を理由に辞めた私が、こんな場所にいたら不信に思われる。
前の職場の人達に出会ったりしたら、なんて弁解したら良いのかわからない。
正直に話した所で理解をしてもらえるわけはないだろうし、言いたくもない。

「たまに電車で行くのも良いねー」
「久しぶりの満員電車に辟易しますよ……」

会社に着くまでに疲れ果てた私とは対照的なアニスは、まだまだ元気一杯な様子。

駅からテクテクテクテク、春の麗らかな陽射しを浴びながらの出勤。
ああ、こんな日は車よりも歩きの方が確かに気持ちが良い。さっきまであったすし詰め状態の電車からの解放感も手伝い、信号待ちをしながら春風に身を任せるのに小さな幸せを感じた。

「あれ?……宮田?」
「は?」

ぼんやりと交差点に流れる通りゃんせを聞いていると、久しく聞いていない「ミヤタ」の音。私の姓。

振り返れば驚いた表情をした元同僚、速水徹生。
いつかは会社の人に会うだろうと思ったけど、よりによって速水くんだとは。
ましてこれから行く場所は、私の元職場の隣りの建物。こんな偶然にでも、職場の人と会わない方が難しいかもしれない。

「やっぱ宮田だ。お前どうしたの?急に仕事辞めたって聞いて、電話もメールも繋がらねぇ。つーか解約されてるしよ」

持っていた携帯はアニスが鍋で煮ていたんです。気付いた時には、携帯がスープになっていたんです。なんて言った所で信用してもらえないだろう。

あの衝撃的なシーンは忘れようにも忘れられない。

「香夜ちゃんに美味しいスープを作ったよー」
「どんなスープですか?」
「包丁で切れなかったから、具を丸ごと煮込んでみたんだー」
「へぇ……、ええっ!?そ、それ、私の携帯!?ちょっ、何をしてるんですか!」
「大丈夫、解約しておいたから。今はただの鉄くずだし、資源を大事にしようと思ってこれで出汁を取ってみたんだ」
「そうじゃなくてっ!」

鍋を覗き込みながら、お玉で鍋の中をかき回すアニス。
彼は鼻歌交じりで呑気にしているが、対する私は顔面蒼白。
慌てて携帯を救出しようと鍋に手を入れそうになった所をアニスに止められた。

「ハゲに聞いても家族が病気だから看病のために辞めたってだけで、それ以上は知らねぇってだけだし。……おい、聞いてんのかよ?」
「はっ、ごめん。ああ……、あの、それは」

はたと我に返り、嫌な記憶を思い出してしまって頭が痛くなる。
あれから携帯は私の手元にはなく、まして新しい携帯を買えるようなお金もない。
勿論アニスが新しい携帯を買ってくれるわけもなく。

一緒に住むようになってすぐの話、もう何ヶ月前になるのだろうか。

「コンビ組んで仕事やってた俺くらいには、挨拶があっても良いんじゃね?薄情ってもんだろーよ」

捲し立てる喋りは止まらず私の言葉を挟む隙所か、回想する暇すら与えない。そして信号が赤から青、そして再び赤に変わりそうになっていた。

「……うん。本当、どこから話したら良いのかわからないんだけど」
「最初から話して、俺が納得するまで話せば良いだろーよ」
「でも仕事中でしょ?話長いから、また今度」
「仕事中だけど大丈夫だし。何ならどっか入る?勿論断らねぇよな」

駅前通りに並ぶカフェを指差し顎で私を誘いかける。
半分脅しのようなものだけれど……。

「香夜ちゃん」

あ、と。
アニスがいた事を思い出して、後ろにいる姿に目をやった。

「何立ち止まってるの?」

私に隣りにぴたりと寄り添い、前に立つ元同僚に不躾な視線を向ける。

「それ、誰だよ」

速水くんはアニスの態度が面白くなかったのか、負けじと挑発的な声を発っした。

急遽仕事を辞めなきゃならなくなった元凶です。なんて事は言えず。
俯いたまま「あー」とか「うー」とか唸る事しか出来ないでいると。

「僕は香夜ちゃんのご主人様。香夜ちゃんは僕のドレ」
「ヒイィッ!」

いつものパターンだとわかっていたはずなのに、目の前で苛々した様子の速水くんに気を取られていたせいでアニスの無駄に動く口に反応が遅れた。
慌ててアニスの口を両手で塞ぎ、引きつった笑いで速水くんを見た。

「ご主人様ァア?」

片眉を吊り上げ、速水くんは低い唸り声を上げた。
怖い、怖いよ速水くん!まるで仁王様だよ!

「いや、違う。違うの」
「だって、そいつそう言ったじゃねーか」
「あー、もう!ヒッィ!アニスッ、今、今、舐め」
「だって香夜ちゃんが口を塞ぐからー」
「おい、お前、何やってんだよ!てか、お前も何されてんだよ、馬鹿か?」

悪戯っぽく笑うアニスは私を責める。
こめかみを引き攣らせる速水くんもなぜか私を責める。

何をどこから説明したら良いのかわからなくて。
ともかくこの場から逃げ出したくて。

「名刺に携帯の番号、あるよね?速水くんの名刺ちょうだい。あとで連絡するから!」

慌てる私に舌打ちをしながら速水くんは名刺入れを取り出し、その中から一枚を抜き取った。
私はすかさず名刺をひったくるようにし、何度変わったかわからない点滅し始めた青信号目指して走り出した。
無論アニスを引き摺るようにしながら。
「絶対連絡寄越せよ!」

後ろから聞こえる声に頷き、私はとにかく走った。速水くんから離れたくて、アニスにこれ以上余計な事を喋らせないために。




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あきゅろす。
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