「バレンタイン……」 去年は職場の女の子達は部署ごとに皆でお金を出し合って、男性職員全員に義理チョコを用意した。 特にあげる人のいなかった私には男女のイベントは無関係だったから、ちょっと楽しみにしていた。 バレンタインに合わせて、各お菓子メーカーがこぞって様々なチョコレート製品を商品にする。勿論、ケーキ屋さんなどもそう。 この時期になると、そんなチョコレート巡りがとても楽しい。 義理とはいえ、私は選ぶのも楽しくて、ついでに自分の分のチョコレートも買ったりもした。 今年は……、職場なんて言える職場じゃないし。 あげる相手って言ったって、今の私に接点のある異性はアニスやユベールさんくらい。 本当であれば好きな人に渡したいけれど、好きな人はいないし。身近な異性はさっきの二人しかいない。 と言ってもこの家からは出られないから、チョコレートを買いに行く事も眺める事も出来ない。 厳密に言えば、この家のある敷地から外には一人では出れない。そしてチョコレートを買うようなお金がない。 敷地から出られない理由、それは。 「香夜ちゃんはね、僕、若しくは僕がいない時はこの家に拘束されているんだ。だから僕がいない隙を狙って家を飛び出しちゃ駄目だよ?」 アニスや家に拘束されるとは尋常じゃないと思い、私は聞き返せば。 「簡単に言えば、香夜ちゃんには見えない鎖が付いてるんだよ」 「どこですか!どこに鎖がっ」 「香夜ちゃんは馬鹿だねー。見えないって言ったでしょ?それは拘束の表現を鎖と表しただけで、本当に鎖があるわけじゃないんだ」 「だからってアニスや家に拘束される理由なんて」 「頭悪いなぁ。だからね、僕と契約をしたでしょ?それが効力になって、僕やこの家に香夜ちゃんを縛り付けてるの」 「奴隷を逃がさないためにね」と、恐ろしい言葉を言いながら最高の笑顔を見せるアニス。 その言葉と表情に眩暈がしそうだった。 「本当に性質が悪い……」 「誰が性質悪いの?」 「誰ってアニスに決まって」 「僕ー?」 「ヒィヤアッ」 突然現れたアニスに驚き、畳み途中の洗濯物を空中に豪快に投げてしまった。いきなり後ろから声をかけられ、顔を覗き込まれたんだから堪ったものではない。 「い、いきなり声をかけないでください!」 「何度も声をかけたのに、一人でブツブツ言って気がつかないのは香夜ちゃんだよ?」 確かに、今考え事をしていたから話しかけられても気がつかなかったかもしれない。 私は投げ捨てた洗濯物を再度畳み、先に畳んでいた物の上に重ねて置いた。 「それはすいませんでしたね」 「香夜ちゃんはチョコが嫌いなの?」 「え?どうしてですか?」 「だってさ、チョコ特集の番組見ながらシブーイ顔してたよ」 それはチョコレートを見ていてのシブイ顔をしていたのではなく、あの契約云々の事を思い返していたからだろう。しかし……そんなにシブイ顔をしていたのだろうか。 「違います。嫌いな所か、チョコレートは大好物です」 「へぇ、そうなんだ」 テレビはチョコレートファウンテンを映し出していて、私はその映像にうっとりとしてしまう。 今はアニスの相手よりも、このチョコレートファウンテンの虜になりたい。 苺やパイナップルのフルーツ系、プチシュークリームやスポンジなどのケーキ系を、噴水のように流れる液状になったチョコレートを絡めて食べる。 そう紹介されているその画面に釘付け。 行ってみたいな、食べてみたいな。 この現状を考えれば自分でも無理だとわかるけれど、でも夢見ずにはいられないほどの力がチョコレートファウンテンにはあった。 「香夜ちゃん、ご飯食べに行こっか」 「えっ!?」 「そんな時は随分良い反応するんだね」 アニスの厭味なんて平気。 滅多に所か、ここに一緒に住むようになってから初めての外食。私がご飯作りから解放される、初めての外食! 「じゃあ、僕が最近気に入ってるお店に行こ?」 「準備してきます!」 「畏まったお店じゃないから、ラフな格好でね」 ご飯作りから解放されるならどこでも構いません!ラフな格好ですね?了解です! 心の中の声のトーンはとても高く、浮き足立ちながら私は自分の部屋に行った。 鼻歌を歌いながら着替えを済ませ、簡単に化粧をする。 アニスのお気に入りのお店って言ってたけど、一体どんなお店なんだろう。 曲がりなりにも社長と言う肩書きがあるんだし、それなりに色々なお店に行ってるだろう。 でもラフな格好で良いお店ならば気取らなくて、私にとっても気楽に食事を楽しめそうで嬉しくなる。 「香夜ちゃーん、行くよー。そんなにメイクしなくても変わり映えしないんだからさー。早くー」 何やらカチンと来る言葉が階下から聞こえたけど、今の私には軽く聞き流せる。 「今行きまーす」 小さなバッグを一つ持ち、玄関へと向かった。 嗚呼、身体が軽い。こんな気持ちになるのは本当に久しぶり。 「遅いー」 「ごめんね」 玄関に立つアニスは家の鍵を振り回し、退屈そうにしていた。 急いでブーツを履き、外に出れば。 「わ、雪」 「家の中にいるとわからないけど、これだけ寒ければ雪も降るね」 空から降ってくる雪が道路に落ちては消える様を見ていると、家の鍵をかけ終えたアニスが白い息を吐きながら前を歩いて行った。 「どこに行くんですか?」 「寒い時期にぴったりの鍋料理の美味しいお店」 熱々の土鍋から湯気が立ち上ぼる絵を想像し、私は期待に胸を膨らませる。 暗くなり始めた空に降る雪を眺めながら、私達は目的のお店に向かった。 |