どれほどの時間が経ったのか。薬の効果が切れた頃、私はソファにカバーを纏って小さく座っていた。 目の前には笑みの絶えないフェンネルさん、私の隣には呆れ顔のアニス。 「知らない人を家に入れない。知らない人からモノを貰わない。小さい子でもわかるような事だよ?」 薬が抜けたとは言え、副作用なのか関節が痛む腕を擦りながらアニスのお小言を聞く。正論を言っているだけに、実に耳に痛い話だ。 「それに僕の言いつけを守らないし……、躾けし直さなきゃいけないね」 「だってアニスの知り合いだってフェンネルさんが……。丁寧な喋り方で、そんなに悪い人には見えなくて」 躾け直されたくなくて、おどおどしながらも必死でアニスに食いかかる。 それにフェンネルさんが悪い人に見えなかったのも事実だし……、あまりにも素敵だったからって言う理由もあるけど。 語尾を小さくしながら上向いていた視線を徐々に下げる。 なぜならアニスの顔が見る見るうちに険しくなって怖くなったから。 「そう……、悪い人に見えなかった……ねぇ。フェンネル、カッコイイ顔してるもんね。物腰も柔らかいし、本物の王子様だとでも思っちゃったんだねー」 その通り過ぎて何も言い返せない。 だって……本当に王子様みたいだったんだもの。 目の前の嘘くさい王子様とは格段に違い、背中に花でも背負いそうな本当の王子様に見えたんだもの。 「でも後悔したでしょ?知らない人を家に入れるって」 「……うん」 ケーキを食べるまでは本当に楽しかった。年甲斐もなくかなり浮かれていたと、自分でも思う。 それから押し倒されて背中に感じた熱に……恐怖から生きる事すら諦めようとしていたのだから。 うな垂れる私は一人落ち込んでいた。 アニスの言う通りだから……アニスの言う事を聞かなかったからこんな目に合ったんだ。 フェンネルさんだったから、アニスと知り合いのフェンネルさんだったからアニスが来た時にすぐ手を止めてくれた。 でもそれまでは、フェンネルさんがやった行為に微塵の躊躇も感じられなかった。 これがアニスの知っている人じゃなかったら、確実に私の背中は焼け爛れた紋章の痕を残していただろう。 「じゃあ……、私は戻るとしましょうか」 「待って」 空気が悪くなったのがわかったのか、暗い雰囲気に疲れたのか。 フェンネルさんは静かに立ち上がると、アニスがそれを止めた。 「本当に、何しに来たの?」 「……別に。城に来ても会いに来ないから、たまには私の方から……と、顔を見に来ただけの事ですよ」 凛々しく立つ姿は横目でアニスを見下ろし、綺麗な微笑みで顔を緩めた。 しかしそんなフェンネルさんを前に、アニスは冷めた表情で返していた。 「では、また会いましょう……香夜さん」 釈然としない様子のアニスをよそに、フェンネルさんは出て行った。 閉じたドアを見つめていると、途端に静かになるリビング。 無言の重圧に、アニスはその表情を保ったままで私に視線をくれた。 「フェンネルには気をつけてね」 「どうして」 「あいつ、何か企んでる」 親指を噛み、忌々しそうに呟くアニス。 面倒な事になったとか、どうしてここがバレタんだとか、あの時魔力を解放したせい?と散らばるケーキを見ながら眉間に皺を寄せていた。 「フェンネルさんてアニスの何?」 薄々感づいていた事。 どこかで見た事があると思っていたフェンネルさんの瞳の色、あれはアニスにとても似ていた。 王家だとか城だとか、アニスにどこか共通する事を口にしていた。 「王位継承権第一位の僕の兄。あいつには気をつけて、油断しちゃ駄目。あの笑顔の裏には汚い欲望が渦巻いているんだからね」 いつになく真剣な眼差しのアニスの目は、やっぱりフェンネルさんを彷彿とさせて……甦る熱が背中を疼かせる。 アニスが戻ってからのフェンネルさんは棘のある言葉ばかりで、私にした悪戯とは言えないような怖い事を謝りもしなかった。 でもあの出来事が嘘のように和やかな空気になった。たとえ一瞬でも。 あの笑顔の裏に図りきれない何かが渦巻いているなんて、知る由もない。 何も言えなくて黙っていると。 「また騙されたりしたら、奴隷としての再教育しちゃうから」 アニスは悪戯っぽく笑って、私の頬を指で突いた。 |