家に戻り玄関のドアを開けると廊下を歩くユベールさんと目が合った。 「ユベール来てたの?」 「ああ」 リビングを抜けキッチンに向かったアニスは荷物を下ろし、やおら私に振り返った。 「ユベールと話してくるから、ご飯出来たら呼んでね」 そう一言告げると、アニスはユベールさんを連れ立って自室へと行った。 二人がいない間、私が一人で料理に勤しんでいると時折二階から聞こえた大爆笑する……アニスの声。 まさか私の事で笑っているんじゃないだろうか。 ユベールさんにでも知恵を借りて、またくだらない悪戯でも考えているのではないだろうか。 不安ばかりが全身を包み、その笑い声に私は過剰に反応して身体をビクビクとさせていた。こんなに怯える体質にしたアニスが恨めしい。 割り下を作った所で、そろそろ頃合いだと思い二階にいるアニスへ声をかけた。 間延びしたアニスの「今行くよー」と返事があり、私の夕食作りは最終段階へと向かった。 切り揃えた材料、美味しそうな霜降りのお肉を皿に盛り付ける。 鍋もIHクッキングヒーターもテーブルに出した。 今までガスコンロを使っていた私は、オール家電なこの家にいたく感動した。なんて掃除がし易いんだろう、と。 出来ればしたくない掃除が簡単なのは本当に嬉しかった。 そんな事もあったなぁ、なんてしみじみ思っていると、階段を下りる二人分の足音が聞こえてきた。 「お腹空いたぁ」 お腹を押さえながらよろめくアニスはダイニングテーブルに並べられたすき焼きを見て、目をキラキラと輝かせた。 「ユベール、これ香夜ちゃんが作る、僕が今一番好きなご飯。すき焼き!」 「香夜が作るすき焼きではないが俺も好物だ」 「そう思って今日はこれをリクエストしたんだー!香夜ちゃんのも結構美味しいんだよ、だから毒見してみて!香夜ちゃん、卵っ、卵っ」 取り皿を並べていると、アニスからの失礼な言葉と卵コール。 毒見ってなんですか、毒見って。普通なら味見とかって言いませんか? そんなアニスを意にも介さず、ユベールさんは静かに席に着いた。 すき焼きを待ちかねるアニスに怒りをぶつけたいのを我慢しながら、鍋にすき焼きの材料を順序良く入れる。 グツグツと音を立てる鍋を前に、甘辛い匂いに巻かれた肉の香りが部屋に立ち込め、すき焼きが食べ頃になるとアニスの興奮は最高潮。 すき焼き用の肉を5キロも買ったは良いけど、これ、誰が食べるんだろう。 確かにアニスも結構と食べてはいたけど、それ以上にあの細身のユベールさんはどれだけ食べれるのだろうか。 そんな事を帰り道に思った事は、全て杞憂に終わった。 絶好調のアニスと、すき焼きを好物だと言ったユベールさん。 アニスは特に好き嫌いがなく、満遍なく大量のすき焼きと卵を胃に流し込んでいた。これは合い変わらず。 問題はユベールさん。 ユベールさんはお肉の入った大皿を一枚自分の手元に置くと、皿から鍋へ、取り皿の卵に絡めては口元へと箸が順序良く動いていて、瞬く間に大皿一杯にあったお肉がなくなっていた。 好き嫌いが激しいのか、鍋の中のシラタキや春菊、ネギや豆腐には一切目もくれず、お肉ばかりを全部たいらげていた。 「ユベールさん……、野菜は嫌いですか?」 「好きとか嫌いの問題ではない。身体が受け付けないだけだ」 それを嫌いって言うんじゃ……とは言えなかった。 黙々と食べるその姿を見ていると、口答えしたら私もすき焼き鍋に投入されて食べられてしまいそうな勢いだったから。 それにアニスもユベールさんに何も言わず、ただお肉のお皿を勧めるだけでしかなかった。 アニスにいたっては美味しいを連呼し、いつの間にか五個目の卵を取り皿に割り入れていた。 それにしても……お肉を盛り付けたお皿は全部で十枚。 うち六枚はユベールさんの胃の中で、三枚はアニス。 残る一枚は私が今食べている途中で、すでに満腹で具合が悪い……。 私を除く二人は既に満足そうに食後のお茶を飲んでいた。 「ふー、満足満足。すき焼きは週一ペースでも良いね」 「同感だ」 「食後の日本茶も美味いしねー」 「同感だ」 まったりとした空気の中、なぜか一人で緊張しながら食事をする私。 滅多にないユベールさんを交えた食事、食欲を満たした獣達の穏やかな雰囲気。 そこで徐に交わされる会話に耳を疑った。 「仕事順調?」 「まずまずだな。しかしお前もたまには顔を出せ。前も久しぶりに来たかと思えば月胡を玩具代わりに遊んでるし、その後は急に行方を眩ます始末」 「軌道に乗ったら僕がいなくても大丈夫でしょ?僕だって忙しいんだから、会社ばかりにかまけてられないよー」 「……金儲けがしたいと、お前が立ち上げた会社だろ?月胡で遊ぶ暇があるなら仕事しろ」 「だってある程度の金額が手元に入ってくれれば良いんだもの。それに月胡ちゃんで遊ぶのは単なる暇つぶし。とりあえず現状維持よろしくー」 「あ、あのー」 すき焼きを食べ終え、漸く二人の会話に入れる。 「あの、会社って。前も仕事って言って家を空けた事があったけど……」 「僕がこの世界で生きるために立ち上げた会社。ほら、お金がないと生活出来ないでしょ?」 「だからってこの不景気に何をやったら成功するんですか」 「金融屋だよ、……表向きはね」 「裏もあるんですか!?」 「内緒」 不穏な空気をより一層濃くするアニスの笑顔。 裏の仕事って何……。 仕事に表も裏もないでしょ、普通。 顔を青褪めさせる私をよそに、アニスは微笑をそのままに口を開いた。 「今度会社に連れてってあげようか?あ、健全な表の会社ね。立派な会社で香夜ちゃん僕の事もっと敬うと思うなー」 「いいですっ、行きませ」 「そこにね、面白い子がいるんだ、香夜ちゃんにも紹介してあげる」 「いいですって言って」 「いつが良いかなぁ。ユベール、明日でも良い?」 「来るついでに仕事をしてくれるなら別に構わない。しかし面白いとは、月胡の事か?」 「そう。ユベールに食ってかかる子、今までいなかったじゃん。僕新鮮でー」 それから……、私の意見どころか存在すら忘れられてしまい。 話に花が咲く男二人を尻目に食事の後片付けをし、お風呂上りの牛乳を一杯飲んで一日が終了した。 |