アニスは私にお使いをさせない。 あれほどの肉体労働をさせるならば、お使いくらい当然のようにさせると考えるのが普通だと思う。 私の主な仕事場は家の中、もしくは敷地内と言うごく限られた場所だった。 しかし、仕事の延長でたまに外出する事もある事はある。 でもそれはいつもアニスと一緒。 休日なんてないから一人でブラブラとショッピングを楽しむ事も出来ない。 ……まぁ、月給二百円の私にショッピングなんて楽しめる立場ではないけれど。 「今日はユベールが来るよ、夕食一人分追加してちょーだい」 「突然言われても困るんですけど。今日のメニューはもう決めてて、今更変更したくないです」 「冷蔵庫に材料あるでしょ?一人分の追加くらいどーって事ないよ」 実際はそうなのだ。 確かに困らないほど冷蔵庫には常に多種多様な食材が入っている。 それこそ日本人のソウルフードなる漬物、どう調理してよいのか全くわからない高級品なフォアグラ。見た事もないグロテスクな魚が正面を向いて冷蔵庫に鎮座していて、ドアを開けるたびに目が合うのが嫌だ。 今晩の夕飯はこのグロテスクな魚をどうにかやっつけようかと、魚の捌き方を勉強するべく料理の本を眺めていた所に言われた追加。 小さい魚のクセに目玉ばかりが無駄に大きく、そして飛び出ている。それが二匹、冷蔵庫を開けるたびに私と目が合ってかなわない。 見れば見るほど気持ち悪い魚、呪いの人形とはまた違った気持ち悪さがある。アニスが言うには、その目玉が美味しいと……。考えただけで吐き気がしそうだ。 「魚二匹しかないから、ユベールさんとアニスだけで食べる?」 出来ればあの魚、食べたくないから好都合なんですけど。 私は他のおかずでご飯を食べるからと言えば、アニスから返ってきた答えは。 「駄目、一緒のモノを食べるって約束したでしょ?魚が二匹しかないんだったら、別のメニューにして」 「他のメニューに変えたとしても、材料は全部二人分ずつしかないんですけどね」 いつもなら食事に絡まる時刻に姿を現す事のなかったユベールさん。 増える事なんてないと思っていた分、一人分余計に作るのは面倒。 追加の分のボーナスでも貰えるなら少し考えても良いけど。……でも、またあのわけのわからない通貨の百万を貰っても、ここから脱出するほどのお金にはならないし。いや、塵も積もればなんとやら。地道に貯めていればいずれアニスから逃げれるかもしれない。でも月二百円の給料をどう貯めれば……。 悩まなくてもいい突発的な問題に頭を回転させていると。 「じゃ、お買物行こっか?」 「外食の方が簡単じゃ」 「駄目、奴隷が面倒臭がってどうするの?まったく、仕方ないなー」 不満気に投げやりな態度でため息交じりに言えば、当然のように返されるアニスからのお言葉。 そして徐に立ち上がり、アニスはリビングを後にした。 どうしたんだろうと廊下を歩く足音を聞いていれば、アニスの声が玄関の方から聞こえてきた。 「ほら、行くよ。もたもたしてるんだったら香夜ちゃんの制服、露出の激しい衣装にするよ?」 「ただいま参りますー!」 アニスの声に過剰に反応した私は、慌てて廊下に飛び出した。 最初、仕事着だとアニスは複数の服を用意してくれた。 しかし、それらは全て素直に受け取れないような代物ばかりだった。 メイド服はまだ良い。でも年齢的に痛い。 ナースなんて、どんな仕事の時に着るものでしたっけ? セーラー服は着た事がないなぁ、中高ともブレザーだったし。 体操着は何年振りだろうなんて思いながら顔を引きつらせた。 スケスケの全身網タイツ……。これ、着る必要性を教えてもらいたい。 全ての衣装を私の悲鳴と共にアニスの顔へぶつけ、全身全霊をかけて拒否をした事を思い出す。 結局、服くらい自由にさせてと訴える半泣きの私を見て、不満気ではあったけど渋々とそれを許してくれた。 あれ以上に危険な衣装があるのかと聞きたいくらいだったけど、新しい衣装を見せられるのが怖くて玄関まで走って行った。 「遅いよ、香夜ちゃん」 「ご、ごめんなさい」 「ご主人様を待たせるなんて随分偉くなったもんだねー」 待たせるって言ったって、そんなに待たせてないじゃない。ほんの一〜二分でしょ? でも謝ってしまう私は弱いなぁ。知らず知らずの内に奴隷体質にでもなってきたのかしら? 「って、思うわけないでしょ!少しぐらい待つって事を覚えた方が良いんじゃ」 「ほら、行くよ」 「人の話を聞いてくださいよ!」 自分自身に突っ込みを入れる私の訴えなど無視し、知らん顔でいたアニスはさっさと外に行ってしまった。 また何か言われては堪らないとばかりに、急いでミュールを履き後を追いかける。 「メニュー、何するか決めた?」 とっとと先に行ったかと思えば、アニスはドアのすぐ側で待っていて勢いよく飛び出した私は驚いた。 しかし驚く私をよそに、アニスは今晩のメニューが気になる様子。 「……別にないですけど」 「じゃ、アレ食べたい。すき焼き。香夜ちゃんにしては上手だったし美味しかったから、ユベールにも食べさせてやりたい」 「特に手を加えるような料理じゃないんですけどね」 ……それ以外の料理はユベールさんに食べさせられるようなモノじゃなかったって言うの? 確かに、料理は苦手だ。一人暮らしで自分が食べるには困らない程度の腕だった私が、今じゃ毎日のように料理の本を眺めて四苦八苦しながら食材と格闘して、何とか他人に食べさせる事が出来る料理をどうにか出している。 アニスと暮らし始めて毎日のように三食キッチリと作っているんだから、もっと料理の腕も上達しても良さそうなものだけど、そうもいかない。 なぜなら、見た事もない食材が常に冷蔵庫の大半を占めているからだ。 誰だってそうだと思うけど、見た事も聞いた事もない食材を調理するなんてそうそう出来るものじゃない。 だから同じ状況に立たされれば、誰でも私と同じ気分に陥ると思う……そう思いたい。 決して私が不器用だからとか、料理が苦手だからって理由だけじゃない……はず。 「ぶつぶつ考え事なんてしてないで、買物して早く帰るよ」 アニスはノロノロと歩く私の手を引き、近くの商店街を練り歩いた。 肉屋や八百屋などを回り、お目当ての食材を買い揃える間、店のオジサンやオバサンが「お兄ちゃん、目が高いねー」と感嘆の声を上げていた。 値段が高いから良い物だと言う概念で買わず、自分の目で見て的確な品物を選ぶアニスに向けられた賛辞。 人は誰でも取り得があると言うけど、アニスはまさに目利きが取り得なのかもしれない。少しばかり見直した。 帰り道、買った食材がたっぷりと詰まった袋が重い。 一人手ぶらなアニスを前にし、私は少し傾いたお日様を背にして歩く。 女の子が荷物を両手に抱えて重そうにしているんだから、ちょっとは気にかけて後ろを向くとかしなさいよね。 ビニール袋の持ち手が指に食い込んで、痛い。このまま指が切断してしまいそうなほどだ。 いくら奴隷だからって、もう少し労わっても良いんじゃない?常に休みなく仕事を押し付けられているんだから、過労死とかでいずれ殉職してしまいそうだ。 「もう、持って欲しいなら言いなよ。そんなに大きな独り言で恨み言呟かないでよね」 1メートル前を歩いていたアニスは一歩二歩と戻り、私の持つ買物袋へと手を伸ばす。 「や、私が持ちます。良いです、結構です」 「散々指が痛いとか労わって欲しいとか言ってたでしょ?だから持ってあげる」 「また借りを作るような事したくありません!」 意固地になって取られそうになる買物袋を後ろに隠す。 呆れたような顔のアニスがため息をつき、私を抱き締めるように腕を回した。 「良いから、……貸しにしないから。こっちに渡して?」 私の頭の上にはアニスの顎が乗せられ、頭蓋を通して声が余計に響く。 アニスの胸に顔を覆われてしまい、突然の事に慌てる私は息が止まりそうになる。 いつになく優しい声。 包まれる温かさに力が抜けそうなると、指の痛みが途端に楽になった。 「持ってあげるから、帰ったらすぐにご飯作ってね。僕、お腹ぺこぺこ」 三つの買物袋を片手に下げ、アニスは空いた左手を私に差し出してきた。 |