ここに来てからと言うもの、本当に私は家政婦なんじゃないかってくらい家事をやらされた。 実際、アニスに勝手に取り付けられた契約は奴隷と言う肩書きではあるけれど……。 そりゃ給料百万を言われた時はこの奴隷と言う名の仕事を本気で頑張ろうかなと思った。 しかしそれは偽りの百万。百万は百万でも、百万円ではないどこの国の通貨かわからない百万。 日本円で二百円くらいの価値だとか。 アニスの掌でまんまと躍らされている自分が情けないけど、一度自分で決めた事はやり通してやる。それが欲に目が眩んだ事だとしても、また同じ過ちを繰り返さないためにも奴隷と言う名の家政婦業をやってやろーじゃない! 「香夜ちゃん」 「何?」 「洗濯物溜まってるんだけど」 「洗濯は朝から七回も回して、やっと終わったばっかりなんですけど」 洗濯機が回ってる間に、リビングの掃除やキッチンの片付け。 洗濯物を干している間に、また洗濯機を回して、それの繰り返し。 漸くひと段落したと思って、冷たいモノでも飲みたくなったからたまたま来た冷蔵庫。 キッチンカウンターの向こうから、ソファに座ったまま背中を向けたアニスが話しかけてきた。 そして。 「だって、ほら」 大量の洗濯物を抱える腕を持ち上げ、アニスは振り向き様に笑顔を見せた。 「それ、何ですか?」 「見てわからないの?香夜ちゃんて、痛いだけでなくて目も悪いんだね。ついでに頭も」 無邪気に笑いながら、私に同意を求めるように首を傾げるアニス。 自分の目を、今見ている光景が信じられなくて聞いただけなのに。 たった二人で住んでいる一軒家は意外に広く、毎日の掃除が本当に大変。 それにパッと見は綺麗な部屋でも、アニスは容赦がない。 まるで一昔前の姑のように、ドアの桟などに指を滑らせて薄っすらついた埃を見せつける。それも笑顔で。 もっと小さい家……、いやアパートでも良いのに。 でも陽当たりの良い裏庭は洗濯物がよく乾き、私の大好きな場所ではある。 けど、そんな理由で好きだなんて、未婚なのに所帯染みててすごく嫌だ。苦しめられる生活の中で見つけたささやかな幸せみたいで、軽く自己嫌悪。 「香夜ちゃん、早く」 「わかりましたって……」 急かすアニスに、諦めの声音で渋々と冷蔵庫のドアを閉める。 休憩はもう少し後にしよう。 「あ、そうだ。これからユベールと出かけてくるね。帰りは遅くなるから、んー……やっぱり今日中には帰れないかもなぁ」 明日まで一人で過ごす事が出来ると思い、私の顔は一瞬にして喜びで溢れてしまう。 今日はもう洗濯から解放されるし、厭味を聞く事もない。 毎日の馬車馬のように働かされて、悪戯好きなアニスから様々なトラップをしかけられながらの家事に心身共にクタクタになっていた私。 だから鬼のいぬ間になんとやらで、可愛いミミやトニーとベッドでゴロゴロしたい。 アニスにはバレている私の趣味。 この家では隠す必要もないと思えば、あながち悪い生活ではないとさえ思えてくる。 ……しかし思い返せば、危うくミミやトニーと離れ離れになってしまいそうだった。 アニスが勝手に引越し業者に私の荷物を処分される一歩手前で、私のお気に入り達を救出する事が出来た。 あの子達がいなくなってしまう事に気付いてすぐに行動を起こして正解。 他にも大事な写真とか、買ったばかりの服とか。 とても置いていけないモノ達がたくさんあって、処分されるはずだった道具は引越し業者によって今住んでいるアニスの家へと運ばれる事となった。 いい齢して半泣きになりながらアニスにお願いして、どうにか出来た救出劇。 かなりの屈辱を伴ったけれど、背に腹は変えられない。 アニスから洗濯物を受け取り、重いため息を吐き出していれば満面の笑みのアニスが私を見下ろすように徐に立ち上がった。 私は……彼が一筋縄ではいかない性格だったのを忘れていた。 浮かれて久しぶりの休日に夢を馳せていると、アニスは柔らかい笑みで口を開いた。 「庭木の手入れと、草取り。あとリビングの絨毯が飽きたから、新しいの注文しといたんだけど……」 アニスが喋っている途中で家のチャイムが鳴り、ニコニコしながら話を切り上げて軽快な足取りで玄関へと進んだ。 「あ、来た来た。絨毯張り替えるついでにリビングの模様替えもお願いね」 運送屋のお兄さんが営業スマイルで「ありがとうございました」と言って荷物を残し、去って行く。 私を荷物扱いでも良いからここから逃がして。 心の悲鳴を知ってか知らずか、無情にも玄関のドアが閉じられた。 そしてアニスはご丁寧に鍵までかけてくれた。 「はい、香夜ちゃん」 アニスが宅配物の丸められた長い絨毯を私に手渡した。 「お……重いんだけどっ、ん〜……わぁっ!」 腕にズシリとくる重みに堪え切れず、廊下に軽く地響きのような音を立てて絨毯を落としてしまった。 「力がないなぁ、香夜ちゃん。仕方ないからリビングまでは持って行ってあげる。感謝してね」 「あ、ありがとう」 アニスを見ていると重さなんてないような感じで、絨毯を軽々と運んだ。 しかしその間「王子様の僕に〜肉体労働をさせる奴隷は〜どんなお礼をしてくれるのかなぁ〜」と、歌を歌いながら私にあからさまな催促していた。 リビングに着き、アニスは持っていた絨毯を転がすとそのままソファへ腰を下ろした。 「あー重たかった」 「全然重そうに見えなかったんですけど」 「肩が痛いなー」 アニスは自ら肩を叩き、横目で私を見ながら呟く。 たったさっき言った私の言葉は無視で。 「腕も痛いなー」 「アニス、マッサージしてあげようか?」 「疑問系で聞くんじゃなくて“させてください”でしょ?」 一瞬にしてムカついたけど、さっさとやる事をやってアニスのいない家を堪能したい。 「さ……させてください」 「仕方ないなぁ」 アニスは「どうぞ」と言いながらソファに身体を投げ出し、瞼を閉じた。 それから三十分、私は延々とアニスの肩や腕、足と腰に背中をマッサージし続けていた。 疲れたのは腕や肩だけなはずなのに、なぜこんなにも広範囲をマッサージしなければならないのか解せなかったけど、あえて何も言わなかった。 アニスの事だ、文句の一つも言ったら何倍にもなって返ってくる事は必死。 長々と居座られても困るし。 「香夜ちゃんって、掃除だけじゃなくてマッサージも下手なんだね」 散々……散々マッサージしたあとに出た言葉が労わりの言葉ではなく、これ……。 「だったらもっと早く言ってください。すぐに止めたのに」 悔しくてブツブツと文句を言っていれば。 「ともかくさっき言った仕事、僕が帰って来るまでに終わらせてね」 もうすぐ陽が落ちる。 非力な私が絨毯の張替えや模様替えをするだけで、一体どれだけの時間がかかるのか。 頭の中で簡単に計算すれば、それだけで一日終わってしまうんじゃないかと思う。 そして更に庭の手入れ……。 「じゃあ行ってくるね」 軽く手を上げ、アニスはリビングを出て行った。 計算上では今日だけで終わらないと、描いた一人きりの休日と言う夢は見るも無残に木っ端微塵。 アニスは休日と言う単語を知らないのかもしれない。 |