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空想庭園



「これから一緒に住むわけだけど、香夜ちゃんは僕の事あまり知らないみたいだから教えてあげる」
「……それはどうも」

知らないも何も、いまだこの状況をよく理解していないんですけど。

うら若き乙女の部屋に何のアポも入れずに真夜中の訪問。
そして勝手に取り付けられた奴隷契約。このお時勢で奴隷とか……、時代錯誤すぎる。

「僕の奴隷たるもの、ご主人様をちゃんと知っていないとね。何も知らなさ過ぎる奴隷で、僕の躾けが悪いと勘違いされても困るし?何か聞きたい事ある?」

勝手につけられた私の身分を声に出さないでもらいたい。
私は認めたわけじゃないし。第一躾けてもらうほど私は子供じゃない。それなりに学校や社会で様々な事を学んできたんだもの。
口を尖らせて言いたい事を頭の中で考えていると。

「躾けってそう言う意味の躾けじゃないよ、僕を知った上での忠誠心を育てるための躾けの事」
「人の心を勝手に読まないでください!」
「香夜ちゃんの顔に全部出てたよ?」
「そんな事はっ……!?」

まさかとは思うけど、驚きながらもつい両手で頬を覆ってしまう。

「じゃ……聞くけど、アニスは人間じゃないって言っていたけど、どこの人なの?」

“人”と呼んで良いのかわからなかったけど、とりあえずこれで我慢しておこう。

「香夜ちゃんは知らないだろうから、お利口な僕が説明してあげるね。この世は人界、冥界、天界、魔界の四つの世界が司っている。香夜ちゃんはその中の人界の、ちっぽけな虫みたいな一小市民でしかない。僕は魔界の頂点に近い、王位継承権第二位にいる王子様なんだ」
「どうして一々身分をひけらかすんですか」
「僕と香夜ちゃんはヒエラルキーで言ったら、頂点と底辺の関係なんだよ?僕達の関係をハッキリさせるには最初が肝心だからね」
「じゃあどうしてその“王子様”がこの世界に来たんですか?」
「それは何となくだよ、そんな理由は香夜ちゃんが気にしなくても良い事。とりあえず覚えなくちゃいけないのは、僕が由緒ある偉大なる王子様で、香夜ちゃんは地べたを這い蹲る虫以下な奴隷だって事」

嫌味を言いたくてわざと王子様を際立たせて訊ねれば、お返しとばかりに王子様と奴隷の単語が見事に装飾された。
口では勝てないのだろうか?……不安だ。

アニスはソファにふんぞり返るように座り、対面に腰をかける私に上から目線で饒舌に喋る。
聞く話は部分的にサッパリ理解できず、大半は納得しがたい話であった。
もはや怒りを通り越して呆れてしまいそうだ。

「いい?香夜ちゃんのご主人様は僕、だから他の人の言う事は聞いちゃ駄目だよ?」

さっきも聞いたような台詞。
でも、アニスの表情は真剣そのもの。納得出来ないのに、何か大事な言葉のようにさえ感じてしまう。

訝しげにしていれば私が淹れた紅茶を飲み、アニスは小さく微笑んだ。

「そんなに不審がる事ないよ、僕の言いつけさえ守っていれば大丈夫。香夜ちゃんは僕が守ってあげる」
「アニスに守ってもらう覚えなんてないし、これからも守ってもらえるのか甚だ疑問なんですけど。私にぶつけられるのは我侭と棘のある言葉ばかりでちっとも信憑性が感じられないですよ」
「言うねー、香夜ちゃん」

軽い笑い声がリビングに響く。
一方の私はと言うと、眉間に寄せていた皺をより深く刻んでいるだけだ。
実際笑えないもの、本当の事だから。

「これから覚えてもらう事はたくさんあるけど、とりあえず僕の身の回りの世話をしてね」
「それは拒否出来ませんか?」
「面白い事言うねー」

アニスは屈託なく笑い、緑の髪を掻き上げ落ちてきた前髪の隙間から私を見つめた。

「私には全然面白みがわからないんですけど、第一タダ働きなんて……。衣食住、ある程度の保障はありそうですけど、もしここを放り出されたら目も当てられないんだけど……」
「労働の対価が欲しいの?」
「率直に言えば」

短く息を吐き出したアニスは立ち上がり、隅に置かれたサイドボードへから電卓を取り出した。

「これくらいの給料を用意してるんだけど、これでも不満?」

電卓のキーを叩き終えたアニスは持っていた手を私に差し出し見せる。
一度アニスを横目で掠めれば、得意そうに口角を上げていた。電卓を見ると、そこには0が一杯のデジタル数字。

「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、……ひゃ、百万?」
「そう、百万。まだ不満?なら」
「待って!これって年収で百万……だよね?いや、でも、年収百万はかなり少ないけど……」
「違うよ、月に百万だよ」
「月収百万……」

月額給料百万に思わず、今まで我慢していて買えなかったモノが頭を過ぎる。

「足りないならもう一つ桁を増やすよ?」
「要らない!人には分相応ってモノがあって、それ以上に欲をかいちゃいけないの!それで十分だからっ」

勝手にアパートを引き払った時にも十数万のお金を簡単に払ったみたいだし……、引越し屋さんにもチップをはずんでいたみたいで私の大事なモノ達を梱包済みの中から丁寧に取り出しながら何度もお礼を言われた。
引越し作業員のオジサンにいたっては、涙ながらに「これで子供の大学を辞めなくて済みました」と両手で握手までされたくらい。
一体どれだけのお金を渡したら、オジサンはあんな事を言うんだろう。下手したら引越し代金よりも、チップの方がはずんだんじゃない?
この嘘くさい王子様はどれだけのお金を持っているのか……。
右から左に動かすように桁を一つ増やそうともしたし、……とんでもないお金持ちなんだろうか。

「そう?それで良いなら僕は構わないけど」

そもそも一介のOLが月に百万も稼ごうだなんて、普通に出来る事じゃない。
それがアニスの身の回りの世話で手に入る。
欲しかったモノが躊躇なく買える、それでも余るくらいの金額。

あわよくば秘密裏にこの家から出て行く算段も出来る。
アニスじゃないけど、世の中金って言うのもあながち嘘じゃない世界だし。

「ユベールに言って契約に追記してもらうから。もう反故は出来ないから約束は守ってもらうよ。ちゃんと僕の世話、してもらうからね?」
「……わかりました」

既に夢見心地な私は取らぬ狸の皮算用をしていた。


しかし給料日と決めたその日。

「な……何ですか、この紙」
「何って、香夜ちゃんの給料だよ」

目の前に無造作に置かれた紙の束。
アニス曰くそれはお金らしいが、見た事のない図柄にあまりありがたみが感じられない。

「ち、ちなみにどこの国のお金?」
「アンゴラの通貨。これだと日本円にして二百円くらいかなぁ?」
「ちょっと!話が違」
「僕は百万って言っただけで、どこの国の通貨だとは言わなかったよ?まして香夜ちゃんも聞かなかったよね」
「それはそうだけど、普通なら日本にいるんだから日本のお金だって思うじゃないですか!」
「そう?僕は思わないけどなー。あ、草がぼうぼうになってきた」

私の訴えなど聞く耳持たないとばかりに庭に目をやり、全く関係ない話を呟いたアニス。
それからは私の怒りなどどこ吹く風で、苦情を訴える私は軽く無視された。

そんなアニスのふてぶてしい態度に、発散出来なかった未消化の怒りをトニーに聞いてもらおうと思った。




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