結局明け方まで眠れず、気付いたら寝ていたという。 だからなのか、全く寝た気がしない。 下半身に感じる重みがやたらと生々しく、まるで人が乗っているようだ。 身体が重くて寝返りすらうてず、ベッド横の壁をボーッと見ていた。 「うぅ……」 「おはよー」 私が呻けば、背後から合わせて聞こえる声。 重たかったのはこいつの足が私の足に乗っかっていたからだ。 「いやああー!?」 怠さも重みも忘れ、私はスプリングを跳ねさせて飛び起きた。 「僕だよ、王子様」 壁際に背中をくっつけ、狼藉者を足で追いやる。 気怠そうに肘を立てて腕を着き、それを枕替わりにして私に笑いかけた。 「私はまた……夢でも見てるんだろうか」 「夢じゃないってば」 「近寄らないでー!」 延ばされる手に反射的に声を荒げる。 中途半端に絡まっていた毛布を手繰り寄せながら、私は少しずつベッドの端に移動した。 「だって、逃げるんだもの。仕方ないじゃん」 さも私が悪いと言っているのか、自称王子は悪びれる様子が全くない。 それこそ、塵の一つも。 いや、こんな自称王子に構ってる暇はない。 会社行く準備しなきゃ。 「どうでも良いけど、そこ退いてもらえます?」 「どうしてー?」 ベッドから下りようとする私とは裏腹に、自称王子は布団を被って丸くなり、顔だけを出して返事をした。 「仕事に行くからに決まってんでしょ!早く部屋から出て行ってください!」 「行かなくても平気だよ」 「あなたは良いかもしれないけど、私には死活問題なの!……嗚呼!もういいです、あっちで着替えるからここから動かないでください」 スーツとブラウスが掛かっているハンガーを持ち、お風呂場へと向かう。 昨夜のせいでろくに眠れず、タダでさえも苛々しているのに。 夢だと自分に言い聞かせていた事が、現実だった。 茫然としながら来ていたパジャマのボタンに手を掛け、洗面所にある鏡へ顔を上げた。 寝不足が顔に出ている。 化粧で誤魔化せるかな……? 「香夜ちゃんは会社を辞めたから、行かなくて良いんだってば」 「はァ?と言うか、何こっちに来てるのよ!絶対に開けないでくださいね!」 自称王子が薄い戸を一枚隔てて話しかけてきた。 慌てる私はブラウスのボタンを掛け違わぬよう慎重に、でも素早くつけていった。 「香夜ちゃんが寝てる時に社長さんに電話して、辞めますって言っておいたから」 「そんな嘘つかないでください!」 信憑性のない有り得ない話に、呆れてしまう。 バレバレの嘘にドッと疲れが増す。 自称王子なんて気にせず、ジャケットに袖を通すと突然脱衣所の戸が開いた。 「宮田香夜です、こんな夜中に申し訳ありません。田舎の母が急病で倒れてしまって仕事を続けられなくなりました。最期の親孝行をしたいんです」 目の前の自称王子が私の声色で何かを喋ってる。 と言うか、私の声そのままで気持ちが悪い。 何だろう、私はまだ夢を見ているのか? 「突然で申し訳ないので、未払いの給料は要りません。我が儘を言ってしまった罪滅ぼしに、好きに使ってくださーい」 最後の方は自称王子の声色になり、嘘泣きと言う臭い演技まで付け加えた。 「社長は快く辞職を受け入れてくれたよ。だから仕事は行かなくても平気だね」 「あ……、あなた」 「さっきから王子様をあなた呼ばわりしないでよー。僕にはアニス・ソロモンズシールって立派な名前があるんだからさぁ。アニスって呼んでも良いよ」 「アニス……」 「なぁに?香夜ちゃん」 どうしよう。 言いたい事、聞きたい事が山程ありすぎてどうして良いかわからない。 相変わらず楽しそうにしている自称王子……アニスが私の目の前に立つ。 少しだけ見上げなければならない身長差。 何も言えずに睨んでいると、アニスは首を傾げてニッコリと微笑んだ。 「じゃあ、行こう。あ、荷物は最小限にしてね、こっちに用意してあるから」 「……はぁ」 有無も言わさず次々に進められる話に、私は諦めに似た感情が出てくる。 あとから思えば、あまりに疲れていて私の頭が働いていなかったんじゃないかと思う。 「香夜ちゃんは今日から僕の奴隷になったんだから。はい、これ契約書」 「ど、ど、ど、奴隷ー!?」 アニスはどこか見覚えのある紙を見せた。 夜中に手を叩きつけた先にあった紙だ。 手に感じる鈍い痛みを思い出し、その手を出して恐る恐る紙を受け取った。 よくわからない文字らしきものの羅列の上に重なる、薄っすらと赤く浮き出した……たぶん私の手形。 「契約は香夜ちゃんが死ぬまで続くから、よろしくね?」 「死ぬまで!?」 私の手を握り微笑んだアニスが少しだけ可愛く見えてしまった。 きっと疲れた脳が壊れ始めていたんだと、強く思う事にした。 そして私は、新しい生活を強いられる事となった。 |