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空想庭園




家に着いた頃、陽は落ちかけていたけど、まだ暑さは十分にあって。
こっそりと家の中を窺うように中に入れば、人の気配は感じられなかった。

良かった、アニスはまだ帰っていないみたい。
夜にしか帰らないとは言っていたものの、言っていた時間よりも早く帰って来る事が度々あったものだからホッとした。

持っていたバッグを部屋へと運び、私はベッドに寝転がった。

サフィニアさんに背中を押してもらったは良いけど、そこから先は私がアニスと対峙して面と向き合わなければならない。

「結婚の事……、あの女の子の事……」

聞かなければならない問題を呟けば、また気分が暗くなってしまう。
けれど一度ここに帰ってきてしまった以上、やらなくてはならない。

瞼を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。

落ち着け、落ち着け。

落ち着け、落ち着け……。

昨日からの疲れが全身に重くのしかかる。
悩む頭が考える事を拒否するように、眠りにつく身体を休ませる事にした。

「香夜ちゃんの肌は丈夫そうだよね」
「そんな事ないです」

赤ちゃんのような柔肌ではないにしても、お肌の曲がり角ではあるけど。
唐突にそんな事を言われ、否定をしたくなるのは女心であって。

「大丈夫大丈夫。証拠を見せてあげるよ」

右手におろし金を持つアニスは満面の笑みで私の手を取った。

何ですか、いきなり!どうしてそんな物を持っているの!?
手を振りほどいて逃げようとリビングのドアに視線を向ける。

けれど暴れる私を物ともせず、片手でいとも簡単に両手を塞いできた。
床に押し付けられ、マウントを取られた私は身動きが出来ない。

どうしよう、一体何をするつもりなんだろう。

金属で出来たおろし金は無数の細かな牙を剥いている。
私を見下ろすアニスはおろし金をゆっくりと私の顔に近づけた。

え、まさか。そんな馬鹿な……。

あろう事か、アニスは私の頬におろし金を押し付け、強く擦り始めた。
ゴリゴリともガリガリとも取れる音をさせながら、アニスは何度もおろし金を往復させる。

「痛いですっ!助けて、イヤアーッ!」
「大丈夫だって。ほら見て。ちっとも削れないでしょ?」

押し付けていたおろし金を見せつけ、アニスは何やら得意顔でいる。
恐々とおろし金を見れば、確かに血液どころか皮膚の一つもついていない。

「これで香夜ちゃんの皮膚は丈夫だって証明されたね」
「そんな証明をして一体何のためになるんですか!」
「だって僕の言った事、否定したでしょ?そんな事ないって、ね?」

だからってこんな乱暴な事しなくても良いじゃない!
しっかりした痛みはあるから思わず涙目になり、止めてほしくてアニスを睨んだ。

「あ、何か反抗的な目をしてるね。もう一度試してみる?」
「滅相もございません!ごめんなさい、許してください!」
「だめー」

冷めた目のまま軽い笑い声を上げ、アニスは再び私の頬におろし金を押し付けてきた。

「いっ、痛いです!助けてくださいっ」
「本当、香夜ちゃんって丈夫だねえ。僕なんか真似できないよ」

私だってやりたくてやってるわけじゃないのに!

ザリザリと頬を擦る感触が徐々に痛みを増す。

「本当に痛いんですって!」

金縛りが解けたように私の身体は勢いよく起き上がれた。
そして傍らにはアニスはおらず、驚いたように目を丸くさせるロビンが二本の尻尾を立てていた。

「……あれ。……んん?」

少しヒリヒリとする頬を触れば、微かにしっとりと濡れていて。
引き気味にしていたロビンは辺りを見回す私の身体に前足を置き、そして一鳴きした。

「ロビン、どうしてここに?」

ロビンは私の手を猫独特のザラザラした舌で舐めているだけで、何も応えようとはしない。
このザラザラした感触。もしかして……。

「もしかしてロビンが……舐めてた?」

恐る恐る問えば、ロビンは景気よく「ニャアン」と鳴いた。

そうか、あれは夢か。
ロビンが見せた、悪い夢か。

怖かったし、地味に痛かった。

悪戯に私に悪夢を見せてくれたロビンを憎らしく思えば、それを払拭するように私に身体を擦り付けてきた。
黒く柔らかい純毛100%が私のささくれ立った心を癒す。

「もう、仕方ないなあ」

許す、こんな可愛いロビンに甘えられたら許すしかないじゃない。

カーテンの隙間から見える外を横目で見ればすでに暗くて、サイドテーブルにある明かりを灯した。
時計を見れば結構な時間を寝ていた事に気付いた。

ぼんやりとした明かりの中、ベッドの上でロビンと戯れながら、癒しの一時を過ごす。

嗚呼、幸せって意外に近い所にあったのね。
そんな事を思いながら、何か忘れていたような気になった。

はて、何だっけ?

ま、いっか。
今はこのモフモフに埋もれてニャンニャンしていたい。

「ロビン、可愛いなあ」

器用に二本の尻尾を揺らし、私の身体に当ててくる。
のんびりとロビンの尻尾でじゃれて遊んで、しばしの幸せの時間を堪能した。

遊んでいて思い出す、お腹の減り。
たとえロビンで癒されても、お腹の減り具合まで治まる事はない。

嗚呼、夕ご飯作ってないや。どうしよう。
今ある材料で最速で作れる、簡単手抜きメニューを頭の中で考える。

よし、今晩はオムライスにしよう。
そう考えた時。

「ただいまー」

階下からアニスの帰宅を告げる声がした。





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