サフィニアさんに促され、私達は静かな公園にやってきた。 夏の暑さから逃げるため、木陰の下にあるベンチに腰を下ろした。 乾きそうもない涙は止めどなく次から次へと流れてくる。 それに見かねたのか、サフィニアさんは白いハンカチを出してくれた。 「どうぞ、お使いください」 「ありがと……ございます」 すでに私の持っていたハンカチは吸い取る部分がないくらい濡れていて、あまり用を足す事ができない。だからサフィニアさんの好意に、素直に甘えさせてもらった。 「落ち着いてからで良いですから、あなたをそんな顔にさせている悩みを話してください」 サフィニアさんに借りたハンカチで涙を拭き、大きく深呼吸を繰り返した。 徐々に落ち着く心に、私は息を細く吐き出した。 「実は……私、アニスと結婚したんです。でもそれはアニスの友達に承認してもらっただけで、こっちの世界での婚姻届とかは書いてないんです。だから正式に結婚してるわけではないんですけど……」 私とアニスの婚姻の時点ですでに曖昧だ。こんな説明を聞かされても、サフィニアさんも困りものだと思う。 けどサフィニアさんは穏やかな表情で私の話に頷くだけで、次の言葉を待っているようだ。でもそれは急かすような様子は一切なく、私の喋るタイミングを見計らっているように見える。 無理強いはさせないと、そんな雰囲気を醸し出しているせいか、私はゆっくりと整理されていない頭の中から言葉を探しながら口にした。 「昨日はアニスと可愛らしい女の子が一緒にいる所を見てしまって……、アニスの昔の彼女なんだと思います。私とアニスが結婚する事を許さないと言っていました。きっと彼女はアニスの事がとても好きなんだと思います。それも私なんかが足元にも及ばないくらいに」 サフィニアさんは何度も相槌を打ちながら話を聞いてくれる。否定も肯定もせず、ただ黙って。 だからなのか、少しずつすっきりとしてゆく頭の中で、私の気持ちの結論を見つける事が出来た。 「私なんかより、きっと彼女の方がアニスの事を好きだと思います。だから私がこんな気持ちのまま結婚なんて出来ないって思って……」 「そうですか……」 出した結果は単なる私の気持ちだけど、これが彼女に対して感じた事。思いを吐き出したのに、胸の中のモヤモヤは消えなくて心が苦しい。 それはきっと……アニスがまた連絡を入れる約束を彼女にしていたからだ。 結婚できない、一緒にいられないなんて思いながらも、どうしてもあの女の子の事が気になって仕方がない。 自分でも矛盾していると思えるけど、でもその矛盾は何なのか考えたくはない。我ながら狡いと……思う。 「それにアニスはその女の子に連絡をする約束をしていました。また、私の知らない所で会おうとしているのかなって思うと……、結局私が邪魔者なんじゃないかって思うんです」 彼女が私に罵声を浴びせる前に、私が身を引く。アニスにごめんと言われる前に身を引く。 そうした方が自分が傷つく事を最小限に抑える事が出来る。 結論は出た。 その結論が出るまでの過程での私の気持ちは不明瞭にしたままではあるけど。 でも良い。 「……サフィニアさん、ありがとうございました。気持ちが少し楽になりました」 「そのような表情ではありませんよ?無理はしない方が」 「いえ、本当に大丈夫です」 ベンチから立ち上がり、サフィニアさんに頭を下げた。 けれどサフィニアさんは私の腕を掴み、引き留めてきた。 「……私が知る王子は、女性に対して器用ではありません。私から見たら、王子はあなたの事をとても愛しているように見えましたよ」 今まで一緒に住んでて、確かにアニスに女の人の陰は全くと言って良いほどなかった気がする。 でもそれとこれとは話が別。 もう話はない。自分の中で区切りをつけ、私は首を横に振ってサフィニアさんの手を剥がそうと空いた手を伸ばしかけた。 「あなたは傷つく事が怖いのでしょう?」 いきなり触れてもらいたくない心の内を言葉にされ、私は強く動揺してしまった。 咄嗟に捕まれた腕を引き抜こうとしたけど、それに合わせてサフィニアさんの手に力が入る。 「あなたはそれほど王子が好きなんですよ。動揺する心、今見せてもらった表情がそう物語っていましたよ」 「そんな事……」 髪と同様の漆黒の瞳が私の心まで貫くように見つめる。 強く、真剣な瞳で。 「急に現れた第三者に遠慮してどうするのです?あなたの気持ちは押し殺して終わる事が出来るのですか?」 そんな風に言われたら、私は何も言えない。 言えるなら誰だって自分の気持ちを押し通したい。後悔のないように生きたいのだから。 でも私は自分を押し通すよりも、傷つく事が怖い……。 ……嗚呼、また矛盾が出てきた。 きちんと気持ちの整理が出来ていないから、自分の中でもどうして良いのかわからない。 「王子に不安を伝えてみてください。きっとあなたが思うほど、悪い答えは返ってこないと思いますよ」 捕まれていた腕から力が抜ける。 それに合わせたように、サフィニアさんは私の腕から手を離した。 「あなたは王子の元へ戻った方が良いです」 「……サフィニアさん、どうしてそんなに」 「言いましたよね?私はあなたの苦しみを分けてもらいたいと。そしてあなたが幸せになる事を考えると、王子の側にいる事が一番なのだと、私は思います」 私の、幸せ……。 「あなたがとても辛い心境なのは十分わかりました。ですから、その苦しんでる胸の内を、王子に打ち明けてもらいたいと私は思います。私の知る限りでは、王子はあなたを受け止めるだけの度量は兼ね備えています。素直になってみてください」 サフィニアさんは私の手を取り、それに自らの手を重ねた。そして最高の笑顔を私にくれる。 「大丈夫、あなたは幸せになれます」 背中を押してくれる言葉と笑顔。 私はゆっくりと頷いてサフィニアさんにお礼を言った。 アニスに私の胸の内を聞いてもらおう。 さっきとは真逆の気持ちを持ち、私はサフィニアさんと別れた。 「あなたは王子と一緒にいてもらわないと、私が困るんですよ」 不穏な声音で呟くサフィニアさんの声を私は聞く事はなくて、一縷の望みを胸に家に急いだ。 サフィニアさんに会ったおかげで、私は自分の気持ちと向き合えた。 アニスに聞いてみようと思える勇気を貰える事が出来た。 「悪魔に惑わされる人間を救ったとなれば、我が神は……きっとお喜びになるはず」 こんな良い人を嫌うアニスの気持ちが信じられないと思った。 |