「速水くん、ごちそうさまでした」 「おう」 速水くんにご飯をごちそうしてもらい、私はお礼を言った。 「死にそうな面してる奴と割り勘で飯なんて食えねえ」と言われて、何だか釈然としなかったけど。でもごちそうしてくれるのに文句なんて言えない。 お店を出ると今度は取られるなよと念を押され、私は速水くんから名刺を再度貰った。 絶対に連絡を寄越せと言われながら。 仕事に戻る速水くんに手を振り、私は脱力感に襲われた。 速水くんと話をしてわかった婚姻届の存在。 結婚したという実感がわかないのはそのせいだったのだろうか。 アニスの友達に承認してもらうだけの、半ば口約束な結婚。 「はあ……」 本当、口約束なだけ。 結局私はアニスにからかわれているのだろうか。 アニスの嘘ではなさそうな気持ち。確証がないからと信用しないわけじゃないけど、どうしても心に引っかかる。 あの女の子の存在を見る事が、知る事がなければ、何もここまで悩む事もなかったのに。 それに家出して来たのに行く場所がない。あんな話の後に、どこか遠い南の国になんて考えられないし。 速水くんには家出の事は言わなかったけど、言っておけば今日の宿くらいにはなったかもしれないのに。と、相手の迷惑も考えず、一人で勝手に思ってしまった。 お店を出てトボトボと歩く。 お昼休みが終わるような時間のせいか、職場に戻るサラリーマンやOLの姿が増えてきた。 一年前まで私もあの中にいたのに、今は奴隷と言う名の家事手伝いをしている。 そんな事が頭を過ぎれば、さっきよりも更にヘコんでしまう。 何だか切ない。無性に寂しさが込み上がり、顔が力なく下がってしまった。 またアデルさんのお店に行こうかな……。 でもこの間は迷惑をかけてしまったみたいで、お店にいたと思っていたのに気付いたら自分のベッドで寝ていた。その事に関してアニスは何も言わないし、私も聞こうとしなかった。どんな事実があったのかわからない分、怖かったし。 もし昨日の話を聞き出そうとすれば、……あのお人形のような可愛い女の子の話も言ってしまいそうになるし……。 だから……アニスと話をしたくなかった。 今日はアニスを避けるようにして生活をしていた。けれど今後、それにも限度はある。今日だけでも十分に限界を感じたし……。 引き摺るように動く足を朧気に見ながら前に進めば、頭に強い衝撃を感じた。 「うわっ……」 「ご、ごめんなさいっ」 咄嗟に顔を上げて謝れば、見た事のある顔と変わらない出で立ちをした心ときめくフル装備の男の人。 「サフィニアさん……!?」 ぶつかった衝撃でずれた眼鏡を直しながら、サフィニアさんは私を見つめる。 「あなたは王子と一緒にいた……」 「宮田香夜と言います。ボーっとしてて本当にごめんなさい。怪我はありませんか?」 「私は大丈夫です。あなたこそ大丈夫ですか?」 丁寧に私を気遣うサフィニアさん。 アニスは随分邪険に扱っていたけれど、それほど悪い人にも見えない。 「何か……心配事でもあるんですか?表情が暗いですね」 私の事をろくに知りもしない人にまでそんな事を言われるくらい、表情が暗くなっているのだろうか。 実際私の心はどんよりとしているし、家に帰りたいとは思えない状況だもの。暗くなって当然か……。 心配そうに顔を覗き込むサフィニアさんに視線を向ければ、眉尻を下げた顔で私を見つめていた。 「私に気遣いは無用です。私でよければ話を聞きますよ」 話なら少しだけど速水くんに聞いてもらった。 それに知り合いと言えるほどの関係でもないサフィニアさんに相談できる話でもない。 首を横に振り、私は断りを入れた。 「王子にお聞きになりませんでしたか?私はこれでも神の御使いでした。ですから……どうかあなたの苦しみを私にも分かち合わせてください」 「でも……」 「遠慮なさらずに」 真摯な顔で私を見つめられ、弱りきった私の心にサフィニアさんの声が深く響く。 神の御使いに相談できる内容ではないけど、でも。 今、誰かに聞いてもらいたくて。 アニスに顔を合わせる事が出来なくて。 昨日あった事が何も解決していない今。 私一人で考えた所で何もならなくて。 「……私、どうしたら良いのか」 胸の中に渦巻く苦しみを、どうにか吐き出したくて。 「頭の中が混乱しちゃって……」 道端で恥ずかしくはあったけど、そんな事はもう気にならないくらいに。 苦笑いで喋っている途中で涙が滲んできてしまい、困惑の色を隠しきれないサフィニアさんの前で声を押し殺しながら泣いてしまった。 |