ユベールに連れられて歩いていただけなのに、いつの間にか風景がガラッと変わった場所を歩いていた。
そうか、これが魔界。ユベールの生きていた世界……。
「わー、すごーい」
物珍しくて、落ち着きなく辺りを見回していると無遠慮に首根っこを掴まれた。
「離してよっ」
「この世界でお前は単なる獲物に過ぎない。死にたくなかったらちゃんと付いて来い。……それは絶対に外すな」
仏頂面をぶら下げて適当に返事をし、前を歩くユベールに付いて行く。
それと言われたのはここに来る前に付けられたドラゴンを象った小さなチャームのついたネックレス。
私は視線を金色のドラゴンへと落とし、指先で軽く触れてみた。
ユベールから初めて貰う物に驚きはしたけど、なんだか不気味なネックレス。
「ネックレスどころか、ここも不気味だけど」
ネックレスから周りの景色を見回せば、気味の悪い造形の木々が辺りを覆っている。
さながら森の中を歩いている、となるんだろうけど。
気味の悪い木々……と言うのも、枝と思われる部分が手のような動きをしては歩く私達を見下ろすように囲っている。
触れようとしているのか、近づきはするものの一定の場所からは私達に近付く事が出来ないようだ。
足元に触る草花は道を開けるように地面から抜き出て逃げて行く。逃げて行くと言うのは比喩でも何でもない、本当に逃げているのだ。
根っこが足のようにスタコラと私達二人分の歩く場所から離れて行く。……踏まれるのが嫌なのだろうか。
ユベールに誘われてから瞬く間に一週間が過ぎ、唐突にその日が来た。
休日だったため、休みを取る事もなく行けるのはとてもちょうど良かった。急に休みたいなんて言ったら受付けの先輩が青筋を立てて怒るだろうし。
不気味ながらも珍しい場所への好奇心は止まる事はなく、どうせならカメラでも持って来れば良かったと軽く後悔した。
ヨーロッパの古城を思わせる、重厚かつ歴史の感じる洋風のお城が開けてきた視界に飛び込んだ。
「すごっ」
「立ち止まるな。行くぞ」
圧倒される城の姿に足が自然と止まるけど、ユベールによって意識はすぐに戻された。
珍しい世界に来たのも束の間、ユベールは「待ってろ」の一言だけを残し、私を城の一室に押し込んで出て行った。
閉じ込められたのは良いけど、ゲストルームとは言えないような粗末な部屋。こんな殺風景な場所じゃ息が詰まりそうだ。
ユベールの言いつけなんぞどこへやら。
暇だったのと、好奇心に負けた私はドアから顔だけを出して廊下を窺った。
「……誰もいない」
よし、と一人頷いて足を一歩踏み出す。
古臭さの感じるお城はひんやりとした空気で、まるで私一人しかいないようなほどの静寂さ。
部屋も殺風景なら廊下も殺風景。長い廊下に、同じようなドアが均等に置かれている。
赤い絨毯が敷かれた廊下を突き当たると、右手に上へと続く階段が現われた。
迷う事なくそこを上がり、階上へとたどり着く。
「変わりばえがないし」
本当につまらないとばかりに新たに見つけた廊下を見る。
赤い絨毯に同じようなドア。
階段はまだ上へと続いている。そして私は、再び階段を上がった。
繰り返す事数回、さすがに歩き疲れた。同じ風景ばかりで飽きてきたせいもあるけど、この階段を最後に、また部屋に戻ろうと思って階段を上りきった。
「ん?」
その廊下は様相は一変していた。
青い絨毯に、それまで見る事のなかった装飾品が廊下を飾っていた。細部まで手の込んだ金細工が明かりに反射して煌びやかな雰囲気だ。
「にしても違い過ぎだ」
さっきまでの殺風景さと違う事に、やや呆れる。
この城に住む王族は貧乏なのだろうかと、余計な心配をしてしまう。
そんな事を思っていると、女の呻き声が細く聞こえた気がした。
途端に怖くなった私は、声の元となる音を耳を澄ませて聞いた。
……まさか誰かが食われてるとか…。
咄嗟に思ったのはそんな事。
悪魔って人間を食ったりするって何かの本の挿絵で見たような気がする。私だって見つかればただじゃ済まない。
ユベールに言われたのだってそうだ。単なる獲物に過ぎないって。やっぱりそれは……人間を食べたりするからで……。
「あぁっ!ユベール……、んアッ、アッ!」
壁に張り付きながら震えていると、今度はハッキリとした声を聞いた。呻き声ではない、……喘ぎ声?
しかもユベールとかって……。
呻き声じゃなかった事も手伝い、聞いた事のある名前が聞こえ、私の恐怖心はどこかへ飛んでいった。
足音を立てないようにゆっくりと声のする部屋へと近付く。
「……もっと、もっとぅ……ユベール。はっ、アアッ!」
薄らと開いたドアの前に立つと、女の声は格段に大きくなった。
媚びるように甘えた、厭らしい声。
ソファーに座るユベールの上に、銀色の見事な長毛を揺らした女の子が乗っていた。
互いに服は着ている。
ただ、女の子の丈の短いドレスから伸びた白い足首には、下着らしき物が纏わりついていた。
明らかにセックスをしているんだと、わかった。
「ユベールゥ……、胸も……ぁっ、あッ、胸も触ってぇ……」
女の子の腰に回されたユベールの手を取り、自分の胸へと恥ずかしげもなく導く。
胸元が肌けているのか、指先で服を軽くさばいて乱す。すると。
「ああぁンッ!気持ち…イ……。ユベール、舐めてぇ…、いっぱい奥に突いて…っ!」
喉元をのけ反らせ、天井に顔を向ける女の子は荒い呼吸を繰り返している。
女の子の喘ぎ声は聞こえるのに、ユベールの声はまったく聞こえてこない。それどころか、息も乱していない様子。
私がいる事に気付いていないのか、女の子は尚も淫らな言葉を並べ立ていた。
まずい現場に遭遇してしまったと、この場から立ち去りたい衝動に駆られる。が、足が凍り付いたように動こうとしつくれない。
そうこうしていると、女の子はか細い悲鳴のような声を上げて背中をのけ反らしていた。
グッタリとした女の子はユベールに身体を預けて荒い息を整えているようだ。そしてそれを見つめるユベールは、冷めた視線で女の子を見ている。
「満足しましたか?」
「ユベールの意地悪……、まだ終わったばかりなのに」
情事を終えた二人の会話にしてはどこかおかしい。ユベールにいたっては聞いた事もない丁寧な言葉遣い。かなり刺のある言い方ではあるが…。
そんな事を思っていると、ユベールは膝の上から女の子を下ろし、少しだけ乱れた衣服を直して立ち上がった。
「では仕事があるので失礼します」
「お兄様達なんて放っておけば良いのに」
女の子の言う事が聞こえていないのか、軽く頭を下げ、ドアに向かって歩いて来る。
まずい……、まずい!こっちに来る。
逃げなければ……と、重い足に心の中で叱咤しながら辺りを見回す。
「……俺の言った事を忘れたのか?」
「うひゃあ!」
肩を押され足がよろめきながら後ろへと進み、萎縮した身体で何とか態勢を保っているとユベールは後ろ手でドアを閉めた。
隠れる場所を探していた私の頭上から響く、重い声音。
目の前には黒いスーツをキチンと着こなした、髪の毛すら乱れていないユベール。
さっきまでの情事を感じさせないユベールが何食わぬ顔で見下ろし……、睨んでいた。
「俺は待ってろと言ったはずだ」
「だって……、暇だったんだもん」
ユベールの言いつけを守らなかった私に非がある分、あまり強気には出れない。
ただ自分を正当化したいと思うあまり、口を尖らせて不満げな態度を取ってしまうのは仕方ないと思った。
視線をユベールの足元へと落とし、沙汰を待つ。
「まあ良い。お前が大人しく待っているわけがないのはわかっていた事だ」
呆れ口調のユベールは怒る事をせず、ため息を漏らして階段の方へと歩き出した。
「……行くぞ」
ユベールの足元を目で追っていると不意に立ち止まり、私に向く革靴の爪先。
無言で追いかければ、ユベールは再び歩き始め、真っ直ぐ前を向いたまま行った。