「恥ずかしい?」 それまで上に向けていた視線は私に向けられ、アニスは小さく微笑んでいた。いつになく穏やかで、優しい声。 だからなのか、簡単に狂わされた調子を取り戻す事なんて出来なくて、逃げるように視線を満点の星空に向けた。 「大好きな人と一緒にいる幸せを、僕は手に入れる事が出来て本当に嬉しい」 「そ、それは良かったですね」 誤魔化すようにグラスを持ち、水を一気に口に入れた……が。 グラスを傾け鼻にアルコールの匂いが掠めた時には、口の中いっぱいに含んでしまった後で。 「ううっ!?」 水だと思って飲んだ物が、水でなくて。 吐き出す事を戸惑い、口の中の物を無理矢理嚥下した。 「香夜ちゃん、どうしたの?」 「ゲホッ、ゲホッ!んっ、はあっ、はあっ、これ、お酒!」 「うん、大吟醸だよ。それがどうしたの?」 「だって、水だと!」 「僕、水だなんて一言でも言ったっけ?」 そう言われれば、そんな事一言も言ってない。 だからって、いきなり大吟醸とかどうして!? 「ユベールが大吟醸飲まないから、もらってきたの。ユベールはブランデー派だから」 だからって!だからって! 水だと思っていたから、意外な味に一気に飲んだ私はおもいっきり面食らってしまって。 「冷たく冷やしておいたし、美味しいでしょう?」 「それ所じゃありません!お酒ならお酒と言ってください!」 別にお酒が飲めないわけじゃないけど、それほど強くもない。 心構えくらいは欲しいから、言っておいてもらわないと慌ててしまう。 せっかく静かな夜で天体観測と洒落込んでいるのに、台無しじゃない! 「たまには大人のデートもしてみたかったから、大吟醸持って来たのに。そっか、香夜ちゃんは僕の好意を踏み躙るんだね」 怒る私とは反対に、アニスは冷静を装って私を責める。 「僕がわざわざお菓子とお酒を用意して、あまつさえ香夜ちゃんのお風呂が終わるまで待っていてあげたのに」 「……それとこれとは」 「香夜ちゃんは僕が何をしても気に入らないんだね。僕は奥さんのためを思って、ロマンチックな夜を演出しようとしていたのに」 上半身を起こした状態で、アニスは顔を俯かせている。 何やら私が悪者のようなムードに、私は口を閉ざした。 「僕はこんなにも香夜ちゃんを愛しているのに、僕の愛は香夜ちゃんに届いていないんだね」 わざとらしいくらいに盛大なため息をつき、アニスは私を横目で見た。 ここまでされて、私の取るべき行動はただの一つしかない。 「……ごめんなさい」 素直に謝る事。 謝りたくないけど、放っておいたらいつまでも愚痴を聞かされる羽目になる。 「僕をいっぱい傷つけたんだ。それだけじゃ足りないよ」 「足りないって、どうしたら良いんですか……」 「……じゃあ、こっちに来て」 アニスは自身の太腿を叩き、来るように促す。 まさかとは思うけど、アニスは私に乗れと言っているのだろうか。 ははっ、まさかね。 一抹の不安を覚えながら、一気に飲んでしまったお酒のせいで覚束ない足取りで隣に行く。 テーブルを迂回して歩く事数歩、椅子に座るアニスの元へと到着した。 「ん」 アニスは再度、自身の太腿を叩いた。 こ、これはっ!まさかが当たっていたりするの!? 前に行く事が出来ずにおろおろとしていれば、アニスは私の腕を強く引っ張った。 「ひょええっ」 簡単に倒れてしまい、私の身体はアニスのご希望通りの場所へと座ってしまった。 しかもアニスに凭れるような恰好は、見る人が見なくても、いかにも私が甘えていますと言った恰好なわけで。 いくら誰も見ていないからって、恥ずかしい恰好には変わりない。 咄嗟に身体を起こそうと、アニスの胸に手をつけば。 「香夜ちゃんも結構乗り気なんだ?」 にんまりと口角を上げたアニスと目が合う。 「香夜ちゃん、青姦ってやった事ある?」 突然何を言う! 知識としては知っているけれど、実際そんな事した事もないし、したいとも思った事はない。 だから私は、全力で否定した。 「した事ありません!したくありません!」 「まだ未経験なら、僕が初めての体験を経験させてあげる」 「結構です!間に合ってます!」 逃げようともがいても、アニスは私の腰に腕を回していて簡単には離れる事が出来ない。 この間の玄関での出来事に引き続き、当初の予定がどんどん狂っているように感じるのは気のせいではないと思う。 「あんまり大きな声出してると、ご近所さんに聞こえちゃうよ?」 そうアニスが言うと、喚く私に唇を重ねてきた。 興奮していた私はその一瞬で冷静さを取り戻し、辺りを見回した。 騒がしくしてしまってごめんなさい、ご近所の皆さん! 「もう少し慣れたら、外でしてみようね」 何をするんですか、何を! 声を出して突っ込みたかったけど、また大きな声で反論してしまいそうだったので心の中で突っ込む事で納める。 一気に飲んだお酒と、喚いた事で回るアルコール。 お風呂上りと言う事もあり一日の疲れがドッと押し寄せ、力が抜けるように私はアニスの胸に凭れた。 目が回る中、見上げた夜空は星がぼやけて見えた。流れている星も、最初に見た時より増えているようだ。 次々に落ちる星を見ながら、アニスはポツリと呟く。 「たまにこんなデートも良いね」 「私は疲れました……」 軽い笑い声が頭上で聞こえる。 細やかな抵抗として、やたらと初めてにこだわるアニスに初めての天体観測がアニスと一緒ですとは教えてやらなかった。 |