「暫く留守にする」
そう言って、ユベールは数日姿を消す事が度々あった。
姿を消すと言うのは比喩ではなくて、家にも会社でも会う事がない。本当に姿を消す、のだ。
でもそれは徐々に減っていった。
前までは互いに干渉もせず、ある程度の決め事を守って気楽な同居生活を送っていたのだけど。
ユベールの背中の傷。
あれを見てからと言うもの、ユベールの態度は変わらなかったけど、私の態度は明らかに変わってしまった。
同情とか憐れみとかじゃなくて、ただあんな傷をつけられなければならない状況が理解出来なかったから。
これといって関心がなかったのに、不思議とユベールが気にかかるようになっていた。
一緒に暮らしてて何も関心がなかった人物が一度気にかかるようになると、今まで知らなかった面がたくさん見えてくる。
例えばユベールの外泊が少なくなっていった事。
仕事で遅くまで職場に残る事が少なくなった事。
家にいる時間が増えてきた事。
何の心変わりか私にはわからないけど、一緒にいる時間が増えたと思う。
いつものようにリビングでコンビニ弁当を広げていれば、ユベールはユベールで目の前で酒を浴びるように飲んでいる。
たまに何か食べているかと思えば肉だけ。それも高級老舗のすき焼き弁当の……肉。
肉以外は見向きもしないで残りはゴミ箱行き。ユベールにはもったいないと言う気持ちはないのだろうか。
ちくしょう金持ちめと、軽くイラッとしてしまうけど、所詮他人のする事。余計な事は言わないでおこう。
今日もユベールは早めの帰宅をしていて、私がリビングで弁当を食べ始めると姿を現した。
もう恒例と言うか、ユベールの身体は酒と肉で出来ているんじゃないかと思うくらい、一人でブランデーを飲み始めた。
「月胡、アニスから聞いたか?」
「にゃにお」
弁当を口に一杯頬張っていたものだから、言葉がはっきりと出ない。
お茶で口の中の食べ物を流し込み、ユベールにもう一度聞いた。
「何を聞いたって?」
「件の災厄の話だ」
「いや、聞いてない。ってか、最近話をしてないし、話をしたくもない」
私の返事にややあって、ユベールはブランデーを注ぐ。
「災厄はとりあえず沈静化したそうだ」
「災厄って変態緑の兄ちゃんだよね」
「ああ」
私はご飯、ユベールは酒を飲みながら会話を交わす。
あの変態緑の兄にして、ユベールの背中の傷を作った張本人が沈静化……ねえ。
「そ。……でも、なんで沈静化したの?」
「王が直々に灸を据えたからだ」
「王って事は、そいつ等の父ちゃん?」
ユベールは無言で頷き、グラスに注いだブランデーを一口煽った。
アニスが嫌いでユベールにあんな狂った事をした奴が、父ちゃんに怒られたくらいで大人しくなるもんなの?
「フェンネルは王が絶対。子供に甘い王は滅多に怒る事はないが、強い怒りを見せられればフェンネルは一溜りもない」
私が疑問を口にしようとすると、ユベールは見越したように話し始めた。
しかし更に疑問は深まる。
「ユベールがやられた時は父ちゃん怒らなかったの?」
「ああ」
「どうして!?」
兄弟喧嘩じゃなきゃ父ちゃん怒らないんか!?
ユベールが傷つけられるのは別にどうって事ないって意味なの!?
理不尽だと怒りにまかせてユベールに食ってかかる。当事者で被害者であるユベールののんきな声に、私は他人事ながら怒りで心が落ち着かない。
一方のユベールは涼しい顔でグラスを空けた。
「俺が王に言わなかったからだ」
「はあ!?」
「フェンネルはアニスに対しての悪事を、王には見つからないよう配慮をしてアニスにだけわかるようにしている。前提として元々アニスは王に頼ろうとする気がないからな。俺が言わなければ、王が関知する事はないだろう」
「変態緑のせいで誰かが傷ついてるのに、それを言わない変態緑も最悪だけど、やられた本人が言わないって一番性質が悪い!何?身分が上の奴には何も言えないって事!?」
「俺はそれほど身分を感じた事などない。アニスはアニスなりに責任を感じているのを、俺は知っている。だからアニスのやりたいようにやらせているだけだ」
「最悪!変態緑最悪!」
「アニスをあまり悪く言うな」
荒れる私に、ユベールは至って冷静に変態緑を庇う。
こんな理不尽で不可解な話はない。変態緑もその兄ちゃんも、ユベールも。何を考えてるかなんて知りもしないし知りたいとも思わない。けど納得出来る話じゃないのは、今の話を聞いただけで理解は出来た。
「色々なしがらみもある。それはアニス達兄弟の事は、俺が口出しして良い領域ではない」
「でもっ」
「それを理解出来ないと言うなら、理解しなくて良い。別にお前に理解を求めようとも思わない」
拒絶を意味するように、私の怒りの原因なる話は強制終了したユベールは言葉を終わらせた。
あっそ。
まだ収まらない怒りを心の中で吐き出し、ご飯の続きへと箸を弁当に向けた。
「とにかく被害が広がる前に落ち着いたのだから、とりあえずは問題なく生活出来るだろう」
私に安心させるための報告とも取れる言葉なのに、なぜかユベールの表情はいつになく硬い、と言うか暗い。
変態緑の兄ちゃんが静かになれば万々歳で、これでなんの憂いもなくなって私生活に支障はきたさないのに。
目の前の男はなぜに言葉とは裏腹な顔でいるのだろう。
「何か他に問題でもあるの?」
「なぜだ?」
「ユベールが暗いから」
端的に言えばユベールの柳眉が不快そうに吊り上った。
「別に暗くない」
「暗いって言われたから機嫌悪いの?」
「そんな事はない」
「じゃあなんで機嫌悪いの?」
「機嫌など悪くない」
「でも怒ってるじゃん」
「怒ってなど!」
私に乗せられるように感情的に声を上げるユベール。
いつもであればそんな事ないのに、どうしてか。
勢いよく立ち上がったユベールは言葉を全て言い切ることなく、そのまま再度ソファーに腰を下ろした。
「……疲れている。それだけだ」
「最近は早く帰って来てんじゃん。外泊もしないし」
「お前はどうして俺の行動を知ってるんだ」
「気にするようにしてたらわかるもんだよ。一緒に住んでるし」
弁当の最後の一口を食べ終え、私は咀嚼しながらユベールを窺えば、奴は黙したまま何も喋らなくなった。
……何か喋れよ。
「ごちそーさまでした」
手を合わせて空になった弁当をゴミ箱へと捨てる。
食後にお茶を飲み、一息ついた所でユベールを再度見ればやっぱり暗い顔をしていた。