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価値観の話(され竜:オキヨー)
「女が自分の体を磨くのは」


形のいい爪の先を整えながら、大賢者が呟く。
傍らの侍は椅子に腰掛け、背後から聞こえる声に耳を傾けた。


「女が自分の体を磨くのは」


大賢者は再度繰り返し続ける。

「他者の美意識の自己への投影に過ぎない」

「もう少し痩せたい、顔付きを変えたい、髪の色が、目の色が気に入らない、だからなんとかしたい、それらはすべて自己の願望のようでいて他者の願望だ」

「本人にあるのは『他者にこう見られたい』という欲望のみ」

「そのためだけに体を磨くというのはなんと愚かで哀しいだが真摯な行為だろうか」


そう言ってくつくつと大賢者は笑った。
それがさも面白いことだとでも言うように。

「自分に価値が持てぬなど、生きていても虚しいだけだ」

侍が何でもないように返す。

「だが価値も所詮は他人の物差しに過ぎない」
「自分自身だけが信ずる己の価値など、何処の誰にも通用はしない」


大賢者の唇が言葉を紡いでいく。


「それは真実だろう。だが自分に一辺の価値を認められぬならば、生きているのも死んでいるのも同じだ」

「それならば、一体何処
に自分の価値を見出だす?身体も今や咒式でどうとでもなろう。精神論に頼るか?そのような不完全なものを」

「それはそれがしのあやかり知らぬ所だ。だが、人間という存在が不完全である以上、己が信ずる自分自身も自ずと不完全にはなる」

「結局、我らは矮小な自己の価値観でしか世界を認められぬ、ということか」

大賢者はその虹色に輝く瞳を閉じた。

「そうだな。我らが如何に咒式を行使しようとも、その根本は変わらぬ」

「…寂しいことだな」

侍の言葉に、大賢者は再度笑みを零した。

「そうだな」

侍も再度同じ言葉を返す。
そして少し声の調子を変えた。



「だが、自分自身の定めた価値だけではなく他者の定めた価値も必要なのが我らだ」

「我らは自分の決めた虚構の世界にしか生きられぬからな」

「しかし、他者に価値を定められるということは、少なくとも価値を定めるだけの価値はそれに存在するということだ。それ以上の価値を人は求めるがな」

「それも真実だな」

「だが、それでは誰もがまた自分の価値を見出せない。誰もが価値を持っているという結論に達しては」

「なるほど」

「だからやはり、人間には他人の決めた自己の価値が必要になってくる」

「ふむ」

先程のやや固い顔付きから一転、侍は柔らかな笑顔を大賢者に向ける。

「そして、貴殿の価値も他人に決められている部分があるということだろう」

「今までの会話の流れからはそうなるが」

「貴殿の価値はそれがしが一番よく知っている。それがしの価値は貴殿が一番よく知っている」

「…そうか」

「矛盾すると言われるだろうが、貴殿とそれがしの価値は、やはり我らが知っていればいい」

自信に満ちて放たれた侍の言葉は、大賢者の失笑を誘った。

「それは随分と片寄った世界観だな」

「ああ。だが虚構の世界に生きる我らだ。それも構わぬだろう」

そういう侍に、大賢者は今度こそ本格的に呆れた、とでも言いたげに溜息を吐いた。

「汝は幸せな男だな」

侍はまた少し笑う。

「気に入らぬか?」

「…悪くはない」

大賢者は表情を変えずに答えた。




世界の理を知る私達は、絶対がないなんてことは知っているけれど。

(でも、だからこそ相手を絶対と信じていたいのだ。それこそ、心の片隅で)




あきゅろす。
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