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倉庫
そんなことも知らない君だから(BASARA:長市)
「…赤は、嫌い」

そう私の妻は言った。
丁度この前見た椿がどんなに鮮やかな赤で美しかったかを話している最中のことだったように思う。

その時は、それを意外には思わなかった。
人にはどうしても好き嫌いという物が存在する。
何故かは分からないが、妻は赤という色が気に入らないらしかった。
私の着る鎧兜は銀に赤なのだが、と少し寂しく思う気持ちはあったが、それも然程重大なことにも思えなかった。


だが、その次の妻の言葉でその考えは綺麗に消え去ることになる。




「でも、黒はもっと嫌い」




「何?」

思わず聞き返してしまう。
おかしな話だ、黒が嫌いだとは。
自身は何にも染まらぬ美しい黒を身に纏っているというのに。

黒は彼女の長く艶やかな髪の色で、私はその色が酷く好きだった。
(実際、通常黒と呼ばれる色も彼女のその色を前にすれば途端に霞んでしまうと私は常々思っている)
それなのに、彼女は黒が気に入らぬというのだ。

…腑に落ちない。
そう言うのが一番近いのだろうか。
何故か釈然としなかった。


「…長政様?」


気付くと、市が黙り込んでしまった私を気遣って私の顔を覗き込んでいた。
彼女は周りの人間の感情の変化に聡い。

「いや、なんでもない」

安心させるためにそう言うと、彼女は少しほっとした顔をした。
そんなに気を張り詰める必要もないと思うが、私はそれを彼女に伝えられる言葉を知らない。
少し沈んだ気分を振り払うように、

「しかし、何故黒が好かないのだ」

と努めて明るく聞こえるように問うてみた。
何か理由があればこそ、彼女はそう言うのだろう。
答えは完結だった。




「だって赤は血の色、黒は闇の色だもの」



少し俯き影が差した彼女の顔。
うっすらと紅を引いたその唇からはそんな言葉が出てきた。

「…………」

私は返す言葉を見つけられなかった。

いや、彼女の発した言葉の意味を理解出来なかったと言った方が正しいかもしれない。

何故そんなことを言うのだろうか。

彼女は自分の髪を見たことがないのだろうか。

再び黙ってしまった私を見て、彼女はまた心配そうな顔をする。
今度はなんでもない、とは言えなかった。
それほどに私は驚いてしまったのだ。


「何故そんなことを言うのだ、市」


気付けばそんな言葉が口から出ていた。

「何故そんなことを言うのだ、市」


長政様はそう言った。
…市には何故そう言われるかの方が分からなかった。

だって赤と黒は兄様の色なのだ。
兄様がそこに立つだけで周りは全てその色に染まってしまう。

小さい頃からそれを見ていた自分は、その色にある種恐怖のような感情を抱いていた。
だけど、この返答は長政様のお気に召さないだろう。

市が兄様の話をすると、長政様はほんの少し、苦い顔をする。
そんな彼の顔を見たくはないのだ。
いつまでも答えない市を見て、長政様はしまった、という顔をした。

そんな風に思わなくても良いのに。
市が長政様のすることで嫌なことなんてないのだから。
そして、彼にそんな顔をさせてしまった自分に少しだけ苛立ちを感じる。

「…本当に、そう思っているのか?」

長政様が、少し声を和らげて私に尋ねる。
市には、彼のその優しさがどうしようもないほど嬉しい。
いつだってその気持ちを彼にうまく伝えることは出来ないでいるのだけれど。

一度こくりと首を縦に振ると、長政様は

「何故そんなことを言うのだ」

ともう一度、今度は独り言のように呟いた。

市にはそれがとても寂しそうに聞こえて、

「どうして?」

と聞いてしまう。

何故だかは分からないけれど、市の答えはやはり気に入ってもらえなかったらしい。
どうして自分はそんな回答しか出来ないのだろう。
苛立ちはつのるばかりだ。



「赤は血の色だけではないぞ、市」


唐突に長政様はそんなことを言った。

「え?」

「確かに血は赤い色をしている。だが、林檎も椿も紅葉も皆等しくだが違う赤ではないか」

「…違うか?」
「…………」
「…市?」


「…………そんな、」

そんなことを考えたことはなかった。
自分の目が丸くなるのを感じる。
林檎が赤いのを知らなかった訳じゃない。
椿が赤いのだって知っている。
紅葉が赤いのも。

だけど、それを「赤」と強く思ったことはなかった。
思えば、長政様だって身に赤を纏っていたというのに。
いつだって赤は自分にとって兄様の色だったのだ。
市は、兄様の影に怯えて他の物に目を向けていなかっただけだったのだろうか。

固まってしまった市を見て、長政様がまた慌てる。

「そっ…それに私は黒は嫌いではないぞ!お前の髪の色ではないか!」

勢い任せではあるかもしれないけ
ど長政様なりに一生懸命言った言葉なのだろう。
目を反らしてしまった彼の顔は真っ赤だ。


ああ、また、
        「赤」。

赤はこんなに幸せな色だっただろうか。
ふと可笑しくなってしまった。
そして、市の髪の色も。
ここに来る前、市はこの誰よりも黒く夜を写し取ったような髪が酷く嫌いだった。
その髪を手に取る度、自分はあの人と血が繋がっているのだという事実を実感させられた。
いっそ切ってしまおうかとさえ思ったこの髪を伸ばしたのも、自分の罪を意識し続けるために他ならなくて。

市の髪を、黒という色をそんな風に誉めてくれたのは、長政様だけだった。

「…それでも、気に入らぬか?」


長政様がゆっくりと尋ねた。
彼のそんな所がどうしようもなく愛しくて、市は自分の髪を少し撫でた。

さらさらとした手触りはいつものまま、だけど彼が誉めてくれた今は随分と優しく柔らかに感じる。


「ううん…市、嬉しい」


そう言うと、長政様は少し笑った。
ああ、市はその笑顔が好きだ。

彼の笑顔一つ、言葉一つで市の世界はこんなにも美しく色を変える。

彼の光は、いつだって市の世界を明るく照らしだしてくれる。


「お前が織田信長の妹であり浅井長政の妻であるように、色も一つの物を表すとは限らないではないか」


そう言う長政様の声はとても優しくて、市はゆっくりと長政様の話に耳を傾けた。





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