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いつか時々1秒でいい(ソウルイーター:ギリアラ)
「…あれからもう800年も経つのね」彼女は透き通るシャンパンを眺めてそう呟いた。

〈いつか時々1秒でいい〉

アラクネが復活したその日の夜、俺は彼女の元を訪れた。
彼女の部屋はその持ち主と同じように品があり落ち着いた雰囲気で、入ってすぐ、こういう所は昔と変わらないな、と思わされた。

先程までは復活を祝う人間達が煩く騒いでいたが、この時間になるとさすがに静かだ。
俺はしんとした空気に耳を傾け、それから手元にあるグラスも一緒に傾けた。
俺も彼女も、久々の再会だというのに口数も少なく、同じ部屋にいながら別々にシャンパンを開けたりつまみを齧ったりしていた。

「…懐かしいな、この雰囲気」
「ええ、そうね」
「貴方も、変わらないのね」
「…まあな」

時折交わされる会話は、万事がこんな調子だ。
俺は800年ぶりの再会に何を話せば良いか分からなかったし、彼女は彼女でずっと何処かうわの空だった。

本当はこんなつもりではなかったのに、とふてくされたように最早何杯目か分からないシャンパンを注ぐ。
くるくるとグラスの中で渦を巻くそれは、今日の昼に見た光景とよく似ていた。
彼女の姿を見て、喚声をあげ、何事かを喚いていた人間達。
あの渦巻くような熱気と狂喜は、まるで酷く出来の悪いワインのようだった。

「アラクネ様万歳」

今日幾度となく繰り返されて当の昔に聞き飽きた台詞を、俺は思い出す。
涙を流しながらひれ伏した奴らは、一体どういうつもりでその言葉を口にしたのだろうか。
奴らがきっと彼女の復活を心底から祝っている訳では無い事くらいは、俺にも何となく感じ取れた。
きっと奴らがそう見せ掛けて、或いは思い込まされているだけで、奴らが崇拝し、求めているのは彼女が作り出す世界であり彼女自身では無いのだろう、と。
まあそれはそれで構わない。
事実彼女は全てそうなるように仕向けたのだし、その状況に満足してもいた。


彼女自身の復活を悦ぶのは俺だけでいい、と俺は嗤う。
彼女を崇めるのも求めるのも、俺一人だけで良かった。
あんな気味の悪い集団も、彼女の右腕を自負する老いぼれも、彼女自身を見る必要は無いのだ。

そんな事だって本当は彼女に伝えてしまえば良いのだし、彼女に言いたい事は800年よりももっと前からたくさんあるのだった。
(それらはまだ彼女には伝えていないし、ひょっとしたら永遠に伝わらないかもしれないけれど)

けれど俺は、やはり黙った儘もう味もよく分からないシャンパンを煽るばかりだった。
ちらり、と彼女の方を見ると、相変わらず何か物思いに耽っているようだ。
々に見た彼女は昔と変わらず美しかったけれど、もっと違う顔も見たいと思った。

「アラクネ」

取り敢えず彼女の名前を呼んでみる。
それが聞こえたのか聞こえなかったのか、彼女はそっと口を開いた。

「長いものね、800年って」
「…そうだな」

俺は彼女が何を言いたいのか分からずに、そう答えた。
彼女がこちらを向く。

「貴方をずいぶん待たせることになってしまったわね」

それから、苦笑のような表情を浮かべた。
妖艶ないつもの彼女らしくない笑みだった。

「別に、もう会えたから良いだろ」

俺の返事は無愛想にも聞こえる台詞で、それでも彼女は少しだけ嬉しそうに笑った。

「私の居ない間は、何を考えていたの」
彼女が尋ねた。
「…そうだな」

俺はこの800年を思い起こす。
退屈な毎日の繰り返し。つまらない人間共。煩わしい規則に、死神。
何度も狂いそうになった日々をそれでも生き延びて来れたのは、彼女に再び会える日を待ち侘びていたからだ。

「お前の事、かな」

結局俺は、彼女の事しか考えていなかったように思う。
彼女はそれを聞いて、また少し、何か考える素振りをした。
長い睫毛が伏せられ、目を閉じる。

「私の事を忘れたりしなかったかしら」

当たり前だろ、とそう言い掛けて、けれどその言葉が声になる事は無かった。
再び開かれた彼女の目は、哀しげな色を帯びていた。

不安だったのだろうか、と思う。
800年も離れていて、俺の心も彼女から離れて行ってしまう、事が。
そんなはずが無い、とか俺を信じろ、とか言葉では何とでも言えるけれど、そういう事を伝える前に 、俺はそっと彼女の事を抱き締めた。
「ギリコ、」と彼女の驚いた声がしたが、返事はしなかった。こうすれば言いたい事は彼女に伝わると思ったからだ。
腕の中の彼女は少し戸惑った様子だったが、しばらくしてそのまま俺の胸に顔を寄せた。
白く滑らかな肩は俺のそれよりもずっと細くか弱げで、いつも堂々としている彼女が、酷く頼りない存在に思えた。

「もしも私がまた貴方の前から消えたとしても」

戸惑ったようにほっそりとした手が肩に添えられる。
ギリコ、と彼女は俺の名を呼んだ。
俺は黙ったまま頷く。

「きっと私の事を思い出して」

はっきりとした声の後、ほんの1秒でも私は構わないから、消え入りそうな声で、そう一言だけ呟く。
俺はまた黙って、彼女の言う事に頷いた。
1秒だなんて、彼女を待ち続けた800年に比べたら一体どれほどのものだろうか。
俺は何故か泣き出したいような気持ちになって、一層強く彼女を抱き締めた。



(いつか時々1秒でも良い、なんて)
(そんな哀しい事を言わないで)
(例え1分1秒でも、貴方の事は忘れないから)








あきゅろす。
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