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創作(長編)

京の都の隅にある桜の木。
京にある桜の木に比べて小さい木ではあったが毎年見事な花を咲かせていた。
そして今年も春が巡ってきた。

 京の端に小さな桜の木がある。その木に腰をかけた緋色の狩衣を着た男が一人。太刀を腰に差し、肩まである焦げ茶がかった髪を風になびかせている。
 その男、名を筐(かたみ)という。筐は何故自分が此処にいるのかを知らない。気がついたときには此処にいて、此処の木から動けないから、調べようがなかったのだ。だが、それは筐にとってあまり問題ではなかった。
 筐にとっての一番の気がかりはある一人の女。
『また来た……』
 名の知らない女。使い古した小袖を来ていた。外見は下仕えにしか見えない女であったが、その内から滲み出る雰囲気は高貴なものを漂わせている。漆を塗ったような黒髪を背中の辺りで一つにまとめた女の瞳の色はまるで黒真珠。その女は毎日の様にここにきては木に手を当てていた。傍から見れば変な光景だが筐はどうしてもそう思えなかった。それ以上に彼女の瞳に哀しみの色を宿していることに酷く心が痛んだ。
『あいつと似てる』
 よく夢に出てくる女。長い髪をしていて……とそこまでは見ることができるのだが、それ以上見ようとすると目が覚めるのだ。
 女が去ったのは半時後のことだった。空には今宵も独り、月が浮かんでいた。


 今宵の月は満月。京の一角にある屋敷の廊下に寝間着の女が座っていた。月光が髪に優しく彩りを添えている。その瞳に映るのは白い満月。黒真珠をはめ込んだように美しく光っている。女は名を葱(なぎ)という。葱の膝の上には可愛らしい寝息を立てている幼い女童(めのわらわ)の姿あった。あどけないか背中を流れる髪は葱によって整えられていた。そのあどけない寝顔に葱は微笑んだ。この少女、名を桔梗という。
 葱は毎晩月を見ていた。桔梗を撫でながら祈るように月を見ていた。遠くにいる想い人の無事を祈っていた。半年前から便りがはたと途絶えたまま今に至っている。
「あれからもう一年……」
 彼が武蔵の地を目指して出発してからなぜか吸い寄せられるように桜の木に向かっていた。そして月を見るようになった。
(あなたも今同じように月を見上げているのかしら……?)

「葱、そんな格好で夜風に当たっていたら風邪をひくだろ」
 そういって暗闇から男が姿を現した。月光を受けて光る腰の太刀、藍色をした狩衣の菱形の文様。通った鼻筋に強い眼光を持つ彼の名は直という。最近は今光源氏とも世でうたわれ、もてはやされている。
「あなたこそこのような時間にどうしたの?」
「夜這いだといったら?」
 直は口の端をあげていった。
「まさか。あなたに限ってそれはないでしょう」
 くすりと笑って葱は桔梗の髪に手のひらを滑らせた。
 直と葱は幼い頃からの馴染みである。直の家は代々葱の家に使える一族で陰陽道や多少武術に優れているため重宝されていた。その跡取り息子の直は葱と歳も近いこともあり、護衛もかねて共にいることが多かったのである。故にこうして夜に密かに会うときのみ昔のような言葉遣いに戻ってしまうのであった。
「例の件、やっぱり難航しているらしい」
 といって直は紙を差し出した。
「詳しいことはここに書いてある」
 手渡された紙を静かに開いた葱はゆっくりと内容を読み出した。
「あいつ、いったいどこで何をやっているんだ」
 呆れたように見せる直が握りしめているわずかに震える拳。それを紙の隙間から葱はちらっと見た。
 紙―いわゆる報告書―にはもはや絶望的であろうということが回りくどい言い方で書かれていた。
「どこかで誰かを助けているんじゃないかしら。あの人困った人、放っておけないから」
 直に優しく笑った。

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