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創作(短編・中編)
本編
 この気持ちはなんだろう。
 目の前の赤ん坊の首を捻りたくなる。幸せそうに笑う顔を苦痛に変えてしまいたい。
 周りを通る人たち皆の表情が張り付いて見えるのはなぜだろう。笑顔の仮面を剥いでやりたくなる。
 よれた上着を着て髪が乱れた男でさえ一サラリーマン、しっかりアイロンをかけたスーツを着た私は未だに内定がない。
 世の中は理不尽だ。
「業界にこだわりがなくちゃダメだよ。そうじゃなきゃ自分なりの志望理由なんて言えないじゃん」
 友人の絵里子が手に持った生中をテーブルに置いた。
「業界にこだわり、ねえ」
「ゆかりもそうじゃなきゃいつまでたっても内定でないって」
 手元のグラスが汗をかいている。手から伝わるひんやりした冷気が私の心をなだめる。
「そうかね」
「そうよ、絶対。私はそれで内定貰えたんだと思うし」
 絵里子が顔を一つ前に突き出した。目が自信にあふれている。
 5月。それが内定ピークだと皆が口々に言っていた。
 私もそうだと信じていて、夏に向けて遊びのプランだって立てていた。でも掴みかけていたそれが目の前で砂になって消えた。
 どこに向ければいいのか分からない、心に渦巻くドロドロを吐き出すすべが欲しい。話を聞いてもらいたかった。それでたまたま会った学校帰り彼女をこの居酒屋に誘った。
「業界にこだわったら求人の数少ないじゃん?」
「だからこそでしょ。みんな業界研究がおろそかになるんだからチャンスじゃない」
 私だって行きたい業界がなかったわけじゃない。
 金融関係に行きたくてメガバンクから信金、証券、保険にも手を出した。書類をなんとか通過させて、ほとんど面接に進むことができたのに。最終面接で残った4社すべてが落ちた。
「そりゃ金融の求人だって探すさ。でもそれ以外も考えなきゃダメだと思うんだよね」
「なんで?」
 料理を運んできたお兄さんから柳葉魚を受け取った。香ばしい匂いが鼻をかすめた。
「だって、求人のピークはとっくに過ぎたんだよ。もう7月だし」
「だからって内定でたからってそこでずっと働いて耐えられる確証ないじゃない。だから好きな物とか納得いく物を仕事にしなくちゃ」
 よく言うよ。自分だって働いたことないくせに。
 私が話し相手の人選を誤った。もう別の話に切り替えよう。そう思ったときだった。
「ゆかりはさ、そういうところ中途半端なんだよ」
 手が止まった。ゆっくり顔を上げる。絵里子は生中を飲み干して店員さんに追加の注文をした。
「だいたいさ、4社も最終まで行ったのに1個も内定でないなんておかしいでしょ。あんたいつも詰めが甘いんだもの。気持ちが抜けてたんでしょ」
グラスを持つ手が震えた。取っ手をぎゅっと握りしめる。心の中で何かが煮えたぎっている何かを必死で抑えつけた。
「別に気持ちが抜けてたわけじゃ」
「そんなに面接受けてきたのにダメなんて、あんた気が小さすぎるのよ。最初から無理よ、それじゃ」
 この気持ちはなんだろう。
 絵里子が猛毒をもった蛇の集合体に見える。目や口の輪郭、肉体、髪の毛の一本一本が蠢きながら周りを熱病へ誘うんだ。私もそれに侵されようとしている。
 でも、心の片隅で思った。この物体に裁きを下す鍾馗(しょうき)になればいいと。
 手元にある箸を右手で掴んだ。これが私の剣だ。


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