[携帯モード] [URL送信]

裏夢
本能(ZONE-00 弁天)

夜半の月は穏やかな光を落とし、花の香りを含んだ風は心地よい静けさをもたらす。

こんな夜は、深い深い…眠りに落ちる為にあるというのに…。



「――――――ッ」

喉の奥から絞り出すような声をあげ、アサヒは白いシーツを握りしめた。

その顔は血の気を失っていたが、闇を溶かしたような黒の瞳だけが爛々と…おぞましいほど強い光を放つ。

シーツの上で小柄な体を丸めたアサヒは、誰の目にも苦しげに映る事だろう。

彼女を苦しめているモノ…それは、彼女自身が持つ本能だ。

女郎蜘蛛としての本能

それは食欲とも性欲とも判断し難いものだった。

古来より美しい女人の姿で現れては、男を惑わし食らう。

その一転において彼女たちほど、恐ろしい魔物(モノノケ)はいないのかも知れない。

なんせ…

「愛した者を食らうのだから、あたしたちほど他者と交わり得ぬ魔物はいないだろう…?」

自嘲的な笑みすら浮かべアサヒは呟く。

その声は少しばかりの狂気と恐怖を入り混ぜた不可思議な音色で投げかけられる。

彼女の問いに答える者など彼女しかいない空間に存在しないのだが、そう問わずにはいられなかった。

それはアサヒの心の奥底にある自身の本能を誰かに否定して欲しいという気持ちの表れだったのかも知れない。


『何を耐える必要がある?お前はその苦痛から逃れる術を知っているだろう?』


そう囁く声は、紛れもなく自分自身の声だ。

逃れる術…?

あぁ、確かに。

このまま本能に任せ食い殺してしまえばこんな苦しみを味わう事もないだろう。

それは、ひどく甘美な囁きで…気を抜けば簡単に声に従ってしまいそうだとアサヒは思った。

そもそも、何故あたしは苦しむ事を理解していながらあえて本能に逆らっているのか…?

アサヒは何度となく繰り返した問いを自身に投げかける。

他者を食らう行為に抵抗はない。

むしろ、それは自然の摂理だとすら思う。

皆何かを食らい生きているのだ。それがどんな生き物であろうが、食うという行為は同じだ。


『ならば…何故?』

頭に直接響き渡る自身の声が煩わしい。

うるさい、静かにして!

両耳を塞いでも、頭の中で声は響く。

惑わすな。

考えたくない。

何も考えたくない!

「早く、消えろ!」

かすれる声で告げれば、後頭部に衝撃があった。

「――――ッ!」

声にならない悲鳴をあげ、後頭部を抑えれば澄んだ声が響き渡る。

「この俺様がわざわざ足を運んでやったというのに消えろだぁ?何様だ。」

ズキズキ痛む頭を抑え、うっすら涙の浮かんだ瞳をあげる。

薄暗い室内の中でも光を零す金の髪と青の瞳…神に愛されたと言っても過言ではないような美しい姿の男が立っていた。

「弁天…っ」

名を呼べば、美しい顔にニヤリとした笑みを浮かべる。

「ヒデェ顔…」

「煩い!何をしにきた?」

「…お前が何時までも顔を出さないから様子を見に来たんだよ。」

そう答えながら、握っていた袋から机の上に缶ビールを並べていく。

その内の1本がひどく凹んでいることから先ほどの衝撃の正体を知りアサヒは目を細める。

「…ほら」

そんなアサヒに気づいていないのか弁天は机に並んだビールを一つ取り開けてからアサヒに差し出した。

「…弁天、悪い事は言わないわ。今すぐ帰って。」

渡されたビールには目もくれずアサヒは告げた。

「…何で?」
それに答える弁天の声からは、彼の心情は読み取れない。

アサヒの忠告など聞かず弁天はビールを煽る。

ごくごくと鳴る細い首筋を見つめアサヒはゴクリと喉を鳴らした。

頭に浮かんだ考えをかき消すように首を振り、弁天を睨む。

「帰って!死にたいの?」

その言葉に弁天はにんまりと笑う。

「つまり、それはオレが好きって意味だな」

「――――!」

「女郎蜘蛛は、愛した男を食うんだろ?」

弁天の言葉にアサヒはくしゃりと顔を歪める。

それは、随分と幼い顔に見えた。





アサヒが顔を見せなくなってから3日目。

「…心配しなくてもすぐに元気な顔を見せにくるよ。」

まるで天気の話でもするかのように呑気な口調で白狐は呟いた。

周期的なものだ。

いずれはおさまる。

それは、白狐に教えられずとも弁天にもわかっていた。

それでも毎日顔をあわせる相手の姿が見えない事は、やはり不安になるものだ。

「心配かも知れないけど、会いに行ってはいけないよ。」

煙管をくわえた口元がにたりと笑う。

その笑みは、お前の考えなんぞお見通しだ。と告げているようだった。

「行かねーよ。」

ぶっきらぼうに言い捨てた弁天は乱暴な仕草で閉店の札をさげる。

チラッと此方を向いた青い狐目から逃げるように店を後にした弁天の足は自然とある場所へ向かう。

人気のない住宅街のすみにポツリと立つ古びたマンション。

ホラー映画か何かに登場しそうなくらい傷んでいるが中は驚くほど綺麗に手入れされている事を弁天は知っていた。

「相変わらずボロいな…」

外観に対し率直な意見を口にすれば

『誰も来ないように手を入れないのよ』

とアサヒが答えた気がした。

様子を覗くだけだ。

ちょっとだけ、あの窓から…

そう何度も繰り返す彼の手には言い訳めいた缶ビールの袋が下がっている。

空いている窓から軋んだ音をあげる建物へ身を滑り込ませ、 弁天はゆっくり息を吐く。

ここまで来てしまったから、部屋に行くだけだ。

窓さえ空いていなければ、彼女に会いはしなかった。

鍵のかかったドアを乱暴な仕草で開け放つ。

ドアの鍵を壊し、部屋に侵入した段階で弁天の言い訳めいた主張はすでに意味をなさなくなっていたが、当人は気にした様子もない。


絡みつくようなしょう気の満ちた部屋の片隅。

簡素なベッドの上にお目当ての人物は縮こまっていた。

震える小さな背中が、両耳を覆い告げた言葉…

それは自分に向けられたものでない事はすぐにわかった。

しかし躊躇う事なくその後頭部へ袋をぶつけたのは嫉妬からだ。

彼女を支配する見えない何か…

苦しむ彼女を見たくない。なんて馬鹿げた感情はない。

アサヒが苦しむとしたら…自分の事で思い悩んで欲しいという救いようのない感情。

久しぶりに見たアサヒの顔は少しやつれていたが、じわりと涙の浮かんだ黒の瞳がギラギラと輝き蜘蛛の本能をむき出しているようだった。

むき出した本能を抑えながらアサヒが自分の身を案じ口にする言葉に身体が震える。

ぞくりとするその感覚は、優越感に似ているかも知れない。


「帰って!死にたいの?」


アサヒの口にした言葉…

その言葉を耳にした瞬間の歓喜を表す言葉はないと思う。

「つまり、それはオレが好きって意味だな」

ふざけたように答えればアサヒの顔が朱に染まる。

「女郎蜘蛛は、愛した男を食うんだろ?」

その言葉に朱に染まっていた顔は血の気を失い…アサヒは泣き出しそうな表情を浮かべる。

違う…

そんな顔をさせたかったワケじゃない。

「アサヒ…」

ごめん…そう言えば良いのか?

名を呼んだものの弁天は、何と言えば良いのか分からなかった。

「アサヒ…」

白い頬に手を伸ばす。

びくりと身を引いた身体は、想像していた以上に小さいものだった。

「…弁天?なに…して…」

トクトクと脈打つ心臓の音が煩い。

捕まえたい。

小柄な体を引き寄せればアサヒは目を見開いた。

「…馬鹿ッ…離せ」

力を込めれば、アサヒの鋭い声が飛ぶ。

「…んっ…んむ」

わめき立てる唇を塞げば、黒い瞳に恐怖が浮かぶ。

優しく体を押し付ければ白いシーツに黒い髪が舞った。

「アサヒ…」

「何、考えて…殺されたいの??」

伝う糸をアサヒは指先で断ち切る。

熱に浮かされたようにも見えるその顔を美しいと弁天は思った。

「…いいよ。お前になら。」

らしくない。

そう思ったのは、自分だけではないバズだ。

それを証明するように下から見上げる顔は、一瞬驚いたような顔をして笑った。

「…弁天、あんたって馬鹿ね」

「うっせえよ。」

「一応…言っとく。ありがとう」

与えられた口づけは、ひどく甘美でこのままアサヒに食い殺されるのも悪くないと思った。




「…ふっん…あっ…」

甘い声

誘うような表情は、彼女が生来持つ本能から計算されたものなのだろうか?

荒い呼吸

柔らかな身体が此方の指先の動きに反応するのは、随分と心地よい…

「アサヒッ」

かすれた声で名を呼べば、伏せられていた黒の瞳がゆらりと揺らぐ。

「…弁、天…」

アサヒの唇が俺の名を呼ぶ。

それは、ずっと心の奥底で求めてきたものだった。






「…なぁ、食わねえの?」

白い肢体を惜しげもなくさらした女に問いかければ、冷ややかな視線が返ってきた。

「あんたなんか食べたら、寝込みそうだわ」

「アサヒ…」

「何?」

「好き」

短い告白。

頬を朱色に染めたアサヒは、忌々しそうな顔をして笑う。

「…弁天、あんたって本当に馬鹿ね。」

「…答えは?」

からかうように呟けばアサヒは、穏やかな微笑で答える。

「殺したいほど、愛してる」



彼女なりの精一杯の言葉。

アサヒが女郎蜘蛛でなければ…そんな事は言わない。

女郎蜘蛛である彼女を愛した。

その一点に偽りはない。

だから、そんな泣きそうな顔をするなよ。

俺だけは、お前を愛し続けるから。




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


アンケートで頂いた葵さんのリクエスト
弁天で甘々裏夢

甘くない上に、裏も中途半端な感じとなり…すみません。

補足
きっと色々理由をつけて、主人公は弁天を食べたりしないと思います。


葵さん、アンケート参加ありがとうございました。

アサヒさん、お付き合いありがとうございました。


[*前へ][次へ#]

5/21ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!