夢小説(トリブラ)
彼女の立ち位置(トレス)
同じ白い尼僧服を纏う同世代の少女を見てアサヒはふと思う。
彼女たちは、生物を殺した事などないのだろうな…と。
彼女たちの纏う白は穢れなき色の象徴。
それに比べてあたしの纏う白はなんと血生臭い事か…。
例えるなら、花嫁衣装と死装束だ。
そこまで考えて嫌な気分になる。
今の状況に不満なんて勿論ない。ただ、時々思うだけだ。
もし…この能力がなかったなら、あたしは顔も知らない両親に愛されて、あの子たちみたいに戦場とは無縁の生活をおくれたのだろうか…と。
所詮は、『IF』の話…馬鹿みたいだ。考えるだけムダなのに…大事な時間を酷く浪費してしまったような気分を味わいつつアサヒは軽く頭を振る。
帰ろう…気分転換に出た散歩で落ち込むなんて馬鹿としか言いようがない。
ふと彼女の前を横切った人影がなければアサヒは、そのまま剣の館へ戻っていたハズだ。その歩みを止めた人影の名をアサヒは呟く。
「エステル…?」
何かを追うように、走り去った小柄な人影に嫌な予感を覚える。エステルは、無茶をするからなぁ…。
そう考えると堪らなくなりアサヒは小柄な尼僧を追いかけた。
ジメっとした路地裏に入っていく背を追いかけたアサヒの耳に言い争うような声が聞こえる。
路地裏で見失った少女を声を頼りに探す。狭い空間で反響する声
正確な位置を把握する事は酷く困難な事だった。
「やぁ、エステル。元気だった??」
「ディートリッヒ!あなた、ここで何をしているの?!」
「何って…可愛い君に会いに来たに決まってるじゃない。」
にこやかな微笑を浮かべる顔は、天使のようにさえ見える。
「それなのに…君ときたら、僕にこんなモノを向けて…悪い子だね。」
向けられた散弾銃の銃口を細い指先で撫で上げディートリッヒは笑う。
「ねぇ、エステル。僕は本当に君が大好きだよ。だって君ときたら弱いくせに何でも自分で出来ると思ってる。だから、僕たちに利用されてしまうんだよ。」
「利用ですって?!」
鋭い声をあげたエステルにディートリッヒは肩を竦めて笑う。
「…気づいてないの?君を心配して追いかけてきた子…確かアサヒとか言ったっけ??」
ディートリッヒの言葉にエステルは目を見開いた。
「何をするつもりなの…」
愛らしい唇から溢れた言葉には、恐怖と憎悪が詰まっている。
「別に『僕』は、何もしないよ。」
ディートリッヒの言葉に反応するかのようにエステルのそばで闇が動いた。
「彼女も随分と変わっているよね。これだけ世界から嫌われてるのに、どうして彼女は世界を滅ぼそうとは思わないのかな?」
「アサヒはっ、あなたなんかとは違うわッ!」
鋭く吠え、エステルは細い指先で引き金を引く。
「エステル、僕の糸のこと…あんなに教えてあげたのにまだ理解していないの?」
ピクリとも動かない指先に絶望的な表情を浮かべた少女のそばで蠢く闇は次第に形を無す。
闇だったモノが立ち上がり腰まである黒髪を優雅に翻す。闇色のスーツを纏った男をエステルが認識した時には、その体は宙に浮いていた。
細い腕の何処にそれだけの力を秘めているのか…
小柄な尼僧は軽々と壁へ投げつけられる。
もし割り込んだ影がなければ受け身を取る事も出来ない体は、容易く折れていただろう。
「―――――っ!」
耐えるような声がエステルの耳元で聞こえる。
「アサヒっ…」
自分の代わりに衝撃を受け止めた尼僧の名をエステルは呼んだ。
「…だ、大丈夫」
安心させるようにかけられた声は、覇気がなくエステルは自分の愚かさを悔やんだ。
来る途中、ケイトに通信を入れたからすぐに応援が来るだろう。問題は、どう時間を稼ぐか…だ。人形使いと機械仕掛の魔道士…薔薇十字騎士団幹部2人と動けないエステルを庇いながら戦えるほど自分は強くない。かと言って…逃げられる状況でもない。
エステルを背中に庇い、アサヒは男たちを睨み付けた。
禍々しい五芒星の瞬きを視覚の端におさめながらアサヒは、しなやかな指を魔術師に向ける。
「燃え尽きろ!」
アサヒの声と共に燃え盛る炎が魔術師を襲う…だが魔術師に触れた瞬間まるで手品か何かのように炎がかき消えた。
アサヒの炎をいとも容易く消した男は勝ち誇る事もなく優雅な仕草で細葉巻を口にする。
空へと昇る紫煙。
あまりに落ち着いたその動作は、嫌みなくらい余裕に満ちていて…自分の力など足元にも及ばない事を認識させられる。
時が止まったと錯覚するような静寂。それを破ったのは、場違いな拍手だ。
「アサヒ、君の力はすごいよ。まさに世界を滅ぼすためにある力だ。」
褒め称えるような人形使いの声にアサヒは眉を寄せる。
隠そうともしない表情に人形使いは、喉を鳴らして笑ってから魔術師に声をかけた。
「…魔術師、余裕ぶってるところ悪いけどもう時間だよ。」
その言葉に、ゆっくりと紫煙を吐き出してから魔術師はアサヒに近づく。
パサリと音を立てて落ちた尼僧帽…隠されていた漆黒の黒髪に笑みを浮かべ魔術師は細い指先でアサヒの髪に触れる。
燃やし尽くそうと襲いかかる炎など気にもとめずに魔術師は聞き覚えのない言語を口にした。
次いで、布を裂くような絶叫。
「やめて…」
ラピスラズリのような青い瞳から涙を溢しながら懇願するエステルの声は、アサヒの悲鳴にかき消される。
脳の回路を切断するかのような激痛に、抵抗する事も出来ない。
「もう、やめてぇ!」
泣き叫ぶエステルの声と、魔術師の紡ぐ言の葉、アサヒの悲鳴
「エステル、君に相応しい舞台だよ。自分を助けにきたアサヒが壊される様を泣きながら見る事しか出来ないんだからね。」
楽し気なディートリッヒの声が煩い空間の中でも響く。
異常過ぎる空間に、鋭い銃声が響き渡った。
「アサヒさん、エステルさん、無事ですか?!」
死神めいた装束を纏う二人の神父の登場に魔術師と人形使いは笑みを浮かべた。
ガクリと糸の切れた人形のように地面に倒れ込んだアサヒの姿に猟犬の瞳がチカリと瞬く。
大型戦闘拳銃の銃口を向けトレスは、感情を欠いた声で呟く。
「常駐戦術思考を索敵仕様(サーチモード)から殲滅戦仕様(ジェノサイドモード)に書換え(リライト) 戦闘開始(コンバット・オープン)」
死を告げる殺人人形の合図にもさして興味を示さず魔術師は倒れ伏すアサヒのそばで膝をつく。
「アサヒ、貴女がいるべき場所はここではない。」
まるで恋人へ愛を囁くかのように優しい声で告げたのと、空気を震わすような銃撃が魔術師と人形使いを襲ったのは同時だった。
撃ち込まれた弾丸は、無数の弾痕を残すが対象を穿つ事はなかった。
「目標失探(ターゲットロスト)」
もしも機械に感情というものがあったなら、この時のトレスの声は忌々しさを含んだものであったのだろう。
「アサヒさん、エステルさん」
アベルの声にエステルは大粒の涙を溢す。
「アサヒがっ…アサヒがぁ…」
「大丈夫です、気を失っているだけ…」
アベルの励ましも意味をなさない。
エステルの嗚咽が静かな路地に響き渡った。
「アサヒさんの容体は?」
医務室のベッドに横たわるアサヒを見てアベルは呟く。
『外傷は、問題ありませんわ。ただ…』
アベルの問いかけにケイトは言葉を濁す。
『気になるのは、エステルさんが仰っていた事ですわ。あたくしのチェックでは異常は認められなかったんですけど…』
心配そうなケイトの声に、エステルは黙り込んだ。
死んでいるみたいに身動き一つしないアサヒに不安になる。
あのとき、アサヒの様子は尋常ではなかった。もしかしたら脳に深刻なダメージを与えられているのかも知れない。
じわりと目の端に涙が浮かぶ。
「あたし…あたしのせいでアサヒがっ」
「エステルさんのせいじゃありませんよ。」
慰めるようなアベルの言葉が突き刺さる。
エステルの泣き声が響く医務室で軽いノックの音が響いた。
「シスター・エステル・ブランシェ…ミラノ公が呼んでいる。至急、執務室まで」
平坦な彼の声に俯けば、トレスは冷たい視線をエステルに向けた。
「今回の卿の行動は軽率だったと判断せざるを得ない。」
「…す、すみません…でした…。」
自身の言葉に、ポロポロと真珠のような涙が溢れ落ちてもトレスの表情に変化はない。
嗚咽をもらし医務室を後にしたその背を追う事もない。
「トレス君、あんな言い方はないでしょう?エステルさんは、十分反省しています。」
同僚の冷たい物言いに眉をひそめたアベルにトレスは平坦な口調のまま答える。
「事実を指摘しただけだ。彼女の軽率な行動がなければ、シスター・アサヒの負傷はあり得なかった。」
「だからと言って!」
「うっ…」
声を荒げたアベルの声に、アサヒは小さなうめき声をあげる。
ゆっくりと黒い瞳を開きアサヒは、辺りを見渡した。
「アサヒさん…良かった」
アベルの安堵した声にアサヒは答える。
「エステルは…?」
「大丈夫ですよ。」
「アベル、悪いんだけどエステルの様子…見てきてくれない?」
怪我をしているというのに、他者の心配ばかりするアサヒにアベルは泣きそうな顔で笑う。
『あたくし、カテリーナ様に報告してきますわ。トレスさん、アサヒさんをお願いします。』
嬉しそうにケイトは告げるとその姿を消す。
アサヒは、白いベッドの上で体を起こす。まるで、自身の体を確かめるように手を開いたり閉じたりを繰り返した。
「損害評価報告を、シスター・アサヒ」
トレスの問いかけには答えずアサヒは自身の両手を見つめた。
「シスター・アサヒ?」
回答を促すようにトレスが名を呼ぶ。
アサヒは、両手をしばらく見つめてから傍に飾られていた花を掴む。
握り潰すように掴まれた花はアサヒの手の中でぐしゃりと形を変えた。
「シスター・アサヒ」
「トレス…どうしよう」
トレスの声にアサヒがポツリと呟く。
「能力が…使えない」
『アサヒさんが目覚めましたわ』
嬉々としたケイトの声にカテリーナの怒りがおさまる。
彼女の報告が少しでも遅ければ、鉄の女の異名に相応しい慈悲の欠片もない言葉がエステルに浴びせられたかも知れない。
「それで…アサヒは??」
『今は、トレス神父がついてくだ・』
ケイトの報告を打ち消したのは開け放たれたドアだ。
そこに立つ小柄な人影にカテリーナの瞳が揺らぐ。
「アサヒ」
「カテリーナ…様…あの、あ、あたし」
アサヒの声が震える。
「アサヒさん、何かあったんですか?」
エステルの傍に立つアベルの声に答えたのは平坦な男の声だ。
「シスター・アサヒの能力が発動できない。」
トレスの回答にカテリーナの瞳がアサヒを見る。
「アサヒ」
「原因が…わかりません。」
敬愛する主人の問いにアサヒは小さな声で答える。
「そう。」
カテリーナはアサヒの言葉に一度目を閉じ、ゆっくりと呼吸した。
まるで判決を受ける罪人のようなアサヒに、カテリーナは剃刀色の瞳を向けると告げる。彼女が最も恐れている言葉を。
「シスター・アサヒ。貴女を今をもってAXのメンバーから外します。」
「…はい。」
アサヒは消え入りそうな声で答える。
「まっ、待って下さい。アサヒさんはっ」
「念力発火能力を失った今、彼女をメンバーに加えておく事はできません。」
アベルの抗議は、カテリーナの冷たい声に遮られる。
「アサヒ…ごめっ…ごめんなさいっ」
震えた声を出したエステルにアサヒは笑う。
「エステルのせいじゃない。だから…泣かないで。」
優しい仕草でアサヒはエステルを抱き締めた。
彼女がカテリーナ様に抱く思いの強さは知っている。
一番辛いのはアサヒのハズなのに、なぜ彼女は自分を慰めてくれるのだろう。
「失礼します。」
にこりと笑いアサヒは執務室を後にする。
その笑みは泣いているように見えた。
能力を疎んだから罰が当たったのかも知れない。
剣の館の中庭のすみに設置されたベンチでアサヒはそう思った。
止まる事なく溢れる涙が忌々しい。
「シスター・アサヒ」
「…ト、レス」
名を呼ぶとトレスは相変わらずの無表情でアサヒの隣に腰を下ろす。
彼の突然の登場に止まってしまった涙の跡をアサヒは尼僧服の袖で拭う。
「シスター・アサヒ…卿の能力は、心理状態にも左右されやすい。悲観は推奨しない。」
「慰めに来て…くれたの?」
「…データを元に発言しているに過ぎない。」
「ん…トレス、悪いけど外してくれないかな…ちょっと泣き足りないから。」
今だけ、泣いて全部流してしまいたい。
敬愛する主君に切り捨てられた事を理解する為にも。
「シスター・アサヒ」
トレスが名を呼ぶ。
「なに…わっ!」
問いかけを言い終わる前に、トレスに体を抱き寄せられた。
小柄とはいえ、機械の体を持つ彼とあたしでは力の差は歴然だ。
意図も簡単に抱き抱えられると、膝の上に乗せられる。
丁度、親が子供を膝に乗せたような格好だ。
硝煙の香りがする。
「あの…トレス?」
ぐいっと頭を胸元に押し付けられると、彼の温度が伝わる。
「こうすれば、誰にも見られない。」
ポタポタと頬を涙が滑り落ちた。
「汚れるよ…」
彼の纏う僧衣に染み込んだ涙を見て告げれば
「問題ない(ネガティヴ)」
という短い返事。
「アサヒ、俺は人(マン)ではなく機械(マシーン)だ。卿が忘れろというならこのデータも消去できる。」
「うん…」
「だから泣け。」
彼の言葉に、塞き止められていた感情が溢れる。
何でこんな事になったのかとか、あの時エステルを見つけなければとか…嫌な感情も溢れ出して涙が次々に溢れ落ちる。
すがるようにトレスの僧衣を握りしめ顔を寄せれば、黒い僧衣に涙のシミができる。
ぎこちない手つきで背を撫でる優しさが嬉しくて、壊れた人形みたいに泣き続けた。
ひとしきり泣いた事で疲れ果てたのか、アサヒはトレスの胸元に顔を埋めたまま寝息を立てる。
その頬には涙の筋が残っていた。
白い尼僧帽を外し、起こさないように慎重な仕草でトレスはアサヒの髪をすく。
白い手袋に覆われた手を艶やかな黒髪が滑り落ちる。
「アサヒ」
そっと耳元で囁き、トレスは涙の後の残る頬に唇を寄せた。
「アサヒ、卿は俺の…」
躊躇うようにトレスは言葉を紡ぐ。
「…大切な」
「ん…」
微かに身動ぎをするアサヒにトレスはゆっくりとつげる。
「大切な人だ。」
感情のない彼が、思い付くアサヒの立ち位置。
それは、同僚でも友でもなく、大切な人
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
終
リクエストを頂いたトレスから主人公に触れる話。
捕捉
魔術師たちの行動は、カテリーナの部下という立ち位置を失ったアサヒなら、薔薇十字騎士団に誘いやすいって意図からです。
何だか続き物みたいな終わり方になってしまいました(汗)しかも無駄に長い。エステル夢かってくらいエステル登場するし…
ユキさんリクエストありがとうございました。
アサヒさん、お付き合いありがとうございました。
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