夢小説(トリブラ)
触れ合う手 前編
「アサヒさん、アサヒさーん。起きて下さい」
遠くの方で、誰かが名前を呼ぶ声がする。
ゆっくりと、目を開くと冬の湖を思わせる青い瞳と目があった。
「おはようございます。」
にっこりと人好きそうな笑みを浮かべ、アベルはのんびりとした口調でアサヒに話しかけた。
「お疲れのようだったので、申し訳なかったんですが…この書類を教授から渡すよう頼まれまして。待ち合わせ時間を過ぎても来ないって笑ってらっしゃいましたよ」
「え、ちょっと待って…今、何時…」
アサヒの問いかけに答えたのは、目の前に立つ神父ではなく、業務終了を告げる鐘の音だった。
「嘘…」
唖然とした表情で壁に掛かる時計を見つめるアサヒに、アベルは軽く肩をすくめた。
「トレス君に見つからなくて良かったですね〜…」
アベルの言葉に、ガラス玉めいた瞳の神父の顔が浮かぶ
「『聖職服務規定違反だ。シスターアサヒ。改善を要請する』って言われそう…」
真似するように平坦な声を出すと、アベルが吹き出した。
「アサヒさん、トレス君に聞かれたら怒られますよぅ」
腹を抱えて爆笑しながら咎められても説得力はない。
「笑いすぎ」
半眼で呻くと、アベルは必死に笑いをかみ殺した。
何がそんなに面白かったのだろう
怪訝そうな顔をするアサヒの横でまたアベルはクスクスと笑い声を零す。
その笑い声を聞きながら、アサヒは小さなため息をついた。
「アサヒ君、何かあったのかね?」
昨日の謝罪の為に訪れた部屋の主は、そんな言葉と共に紅茶を差し出した。
「いえ、特に何も…」
首を横に振ったアサヒを見てから、教授(プロフェッサー)こと、ウィリアム・ウォルター・ワーズワースは苦笑を浮かべ答える。
「その割には、勤務時間中のうたた寝が目立つようだが…」
う、しっかりバレてる
バツの悪そうな顔をしたアサヒに、教授は責めることもたくにこりと微笑んだ。
「アドバイスくらいなら出来るかもしれないよ」
優しい教授の言葉に、アサヒは少し悩む仕草の後、ゆっくり口を開く。
それを妨害するように控えめなノックの音が響いた。
「すみません、教授。アサヒさんを知りま・…あぁ、こちらにいらっしゃったんですね。トレス君が探してましたよ。」
「トレスが?何かしたかな…」
「肯定(ポジティヴ)」
眉をひそめたアサヒに答えたのは、およそ感情のこもらぬ平坦な声だった。
「いつから、そこにいたんですか?」
ぎょっとしたようなアサヒの声にもトレスの声は変わらない。淡々とした口調で事務的な言葉を紡ぐ。
「28秒前だ。それより、シスターアサヒ。昨日、卿が提出した収支報告書並びに、添付資料計6枚にミスが見つかった。訂正後、再提出を要求する。」
渡された書類は、誰の目にも明らかな計算ミスや記入漏れがある。
深いため息と共に書類を受け取ったアサヒに、
「いよいよ、君らしくないねぇ。」という呑気な声がかかった。
「悪い事は、言わない。ひとまず、話してみなさい。」
教授の言葉に一つため息をついてから、アサヒは呟いた。
「最近、寝れなくて…」
「不眠症かね?それなら丁度良いものが…」
そんな言葉を口にしながら引き出しを漁りはじめた教授の動きを止め、深いため息と共に吐き出す。
「最近、おかしいんですよ。家に帰ると明らかに出た時と物の位置が変わっていたり、何かがなくなっていたり…差出人不明の手紙がポストに入っていたり…はぁ…。正直、気持ち悪くって。安心できるのがここくらいしかないんです」
ぐったりとうなだれたアサヒの言葉に、教授とアベルは引きつった笑みを浮かべた。
「犯人が分かれば、消し炭にしてやるんですけどね…」
ふつふつと沸き起こる怒りを含ませながら呟かれたアサヒの言葉にますます、顔色を変えながらアベルは怯えたような視線をアサヒに向ける。
ソテル・アシエル(神の火を燃やす者)と名付けられた彼女のコードが示す通り、念力発火能力者(パイロキネシスト)である彼女ならば不可能な話ではない。一瞬で人間を炭にしてしまえるだろう。
「それで、犯人の目星はついているのかい?」
気を取り直すような教授の言葉にアサヒは首をふる。
「わかっていれば、今頃犯人は墓の下ですよ」
「ふむ、君がこのままというのもあまり好ましくない。どうだろう。ここは、一つこちらから仕掛けてみては…?」
不安そうなアサヒに悪戯っぽい笑みを浮かべた教授は、パイプから浮かぶ煙を見ながら答えた。
「その犯人は、アサヒ君に好意を抱いている可能性だ高い。誰か異性を引き連れて歩けば、引っかかるかも知れないよ」
ローマ1の頭脳と言われる彼にしては、ずいぶんと頭が悪そうな作戦だ。
しかし、いつまでもこんな調子で敬愛するカテリーナ様に迷惑をかける訳にはいかない。
アサヒは、もう一度深い深いため息をついた。
続 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
前編終了。
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