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謎の薬

「九郎。く―ろ―う」


不意に遠くから聞こえてきた自分を呼ぶ声に、九郎はぎくりと身を竦めた。

(……この声、は)

声の主が、この声で自分を呼んでくるときは碌なことがないと、九郎は身を以て学んでいた。


(……よし、ここは)


普段なら退却を潔しとしない源九郎義経だが、このときばかりはさっさと立ち上がり部屋の戸口へと向かう。

でないと、間もなく奴は自分を見つけるだろう。悪魔のように美しく、しかし底の知れない微笑を浮かべて。



六条堀川の屋敷を抜け出して、梶原邸へ。神泉苑でもいい。

――とにかく、魔の手から逃げ――




がらりっ



障子戸を開けて、九郎の動きが凍り付く。

自分の浅はかさを、もしくは奴の狡猾さを、九郎は心底呪いたかった。



「見つけましたよ、九郎」



予想と寸分違わぬ笑みを浮かべて、武蔵坊弁慶が目の前の道を塞いでいた。


「僕から逃げようなんて、甘い甘い」


気持ちを読むな!と頭を抱えたくなった。

が、良くも悪くも馬鹿正直な九郎に、誤魔化すという選択肢は…ない。

「……で?用は何だ」

渋々ながら問うと、弁慶は内心の苦悩を全て見透かすように笑みを零す。

そうして、不意に九郎の眼前に小瓶をずいっと差しだした。

小瓶のなかでは透き通った液体が少量、揺れていた。

「実はこれは――」

「実験台なら断る」


九郎は断固とした口調で言い放った。


が、弁慶は無視してにっこりと極上の笑みを浮かべた。


「飲んでください」

「………」


こわい。


いつもと変わらぬ穏やかな笑みなのに、有無を言わせないこの無言の威圧感が、怖い。


「……お前は俺の部下なんだぞ、弁慶」

「そうでしたか?」


さらり、と弁慶はとぼけてみせる。

「まぁ、大事な友人に害なすようなものではありませんので、安心してください」


ふふ、と花も綻ぶような笑みだ。


だが九郎には、そんな笑顔も恐怖を煽るものでしかない。

なにより、「大事な友人」を強調する辺りが、胡散臭すぎる。


暫く睨みつけてみたが、全く効を奏さない。

一歩もひかない様子の弁慶を見て、九郎は諦めの溜息をついた。



目の前に掲げられたままの小瓶を、弁慶の手から取り上げる。


「……飲めばいいんだな?」

「はい」



こうと決めた時の九郎の行動は早い。

小瓶の栓を抜くと、ぐい、と一気に中身を呷った。


「…………」

「…………」

「何も……ないが」

「ええ。遅効性ですから」

笑顔で言い放った弁慶に、九郎の口端が引きつる。

「遅効…性?何のだ」

「ふふっ、秘密です」

「弁慶っ!?お前、実験台にしといて何を」

「暫くしたらまた来ますね。逃げ出したらまたやり直しですから、そのつもりで」


にこりと笑みを残し、弁慶は踵をかえす。


「お、おい弁慶!?」


その颯爽として悪びれない後ろ姿を、九郎は呆然として見送った。





死角になっていた庭には色とりどりの紫陽花が咲き乱れていて。

青や紫や薄桃色の美しい色彩と寂れたような褪せた色合いのミスマッチが、なぜか今去ったばかりの男を想起させる。



「……結局、何の薬だったんだ……」




紫陽花の植木を茫漠と眺めながら、いいように遊ばれ逃げる手段も絶たれた哀れな総大将はぽつりと呟いたのだった。




END








長くなってしまってスミマセン…!!!

7月の拍手御礼SSは、アンケート結果にそって弁慶さんメイン。2位の九郎はヤラレ役での登場でした(`∀´)


弁慶視点にするとどうしても彼の複雑な感情が垣間見えてしまうので、敢えて九郎視点で得体のしれない感じを醸し出してみました。(笑)




20080701

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あきゅろす。
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