青年Aの変調
「後でユリさんに殴られそうだな〜」
人込みに紛れながらアゲハは騒動が起きている街の入口からさっさと離れていた。
─アゲハ・ケツァルク・オーヴ
“邪神の片目”のたった1人の構成員。
その名は有名であったが、実際に姿を見たものは少なく、目立つ行動を取らなければアゲハがダングレストの街中を歩いたところで騒ぎになるほどではなかった。
「てゆーか、一応怪我人ですしー!でも利き腕じゃねーじゃん!治してもらったじゃん!…とまぁ1人でツッコんじゃうわけで、」
「ふふっ。楽しそうですね、アゲハさん」
「エス姫さん!?うーわー!エス姫さんにバッチリ俺の独り言聞かれたー!」
頭の後ろで両手を組んで悠長に歩くアゲハにエステリーゼが声をかけた。エステリーゼは宿屋から出てきたところだった。
「アゲハさん、まだ手首は痛みます…?」
「んー?大丈夫大丈夫!昨日より全然マシ!エス姫さんのおかげだね。ありがと〜」
「どういたしまして。でも念のためもう1度術をかけておきましょうか」
「え?いいよいいよー。そっとしときゃ治、」
「いけません!怪我を甘くみちゃダメです!さぁ!ここに座ってください!」
エステリーゼの気迫に負けたアゲハは大人しく宿屋の横にあったベンチに腰をかける。エステリーゼはアゲハの左手をとり、手のひらをかざした。
左手首に暖かいような心地よさを感じながらアゲハはエステリーゼの手を見つめる。
「治癒術って便利だねー。俺も使えたら楽なんだけどな」
「アゲハさんは使えなくていいです」
「えー!なんでー?」
「使えていたらもっと無茶をしそうですから」
「…やばい、エス姫さん。それ否定できなーい!」
アゲハはおどけるように笑ってエステリーゼを見上げた。エステリーゼは怒りながらもつられるように微笑む。
やがて術をかけ終えると、エステリーゼはアゲハの隣にゆっくりと腰掛けた。
「そう言えばアゲハさんは、」
「ちょ、ストーップ!」
「は、はい?何です?」
「エス姫さん。その〜、さん付けやめない?しばらくは一緒に旅する仲間なんだしさ」
「あ、えっと…じゃあ、アゲ…ハ」
「そうそう!それで?俺は、何?」
「アゲハは私達と会う前は何をしていたんです?」
エステリーゼは小首を傾げながら隣のアゲハを見る。アゲハはその言葉に耳を傾けると毛先の髪飾りをいじり、微笑みを浮かべる。
「なになに?興味あるー?…そーだなぁ…まぁあてもなくぶらり旅だったな。特に何か探してるわけじゃないし…時々依頼受けたり?やっぱお金は稼がないといけないわけで〜」
「探してる……あっ!アゲハ!」
「ど、どったの?エス姫さん」
「ヘリオードに来る途中エフミドの丘で人を探してるという旅の人に出会ったんですけど…アゲハは心当たりないです?誰かが探していたとか…」
「探し人かー…今までに聞いたことないなぁ」
「そう、ですか。見つかるといいのですけど…あの人…セセリさん」
「…セセリ、さん……セセリ…」
エステリーゼに顔を向け、アゲハは真っ直ぐ見つめた。一瞬眉をひそめたがエステリーゼも、当のアゲハも気付かなかった。
“セセリ”ともう1度だけ呟くとアゲハはベンチから前触れなく立ち上がる。
「心当たりないや。お役に立てなくてゴメンね?あと…ちょっと用事を思い出したから行くよ。また後でね?」
「あ、はい。私ももう少し石碑のことを聞いてみます。左手、あまり使わないようにして下さいね?」
エステリーゼも立ち上がり、アゲハに軽く一礼をするとその場を離れていった。
手を振っていたアゲハはやがてその動きを止め、そのままこめかみへと移動させる。
「…〜っ、…久々だな、この頭痛…」
ズキンズキンと走る頭の痛みに、アゲハは建物と建物の間へと入り、人目につかない所でしゃがみ込んだ。
閉じたままの右目と同じく左目も閉じる。
脳裏によぎるのは先ほどの“セセリ”という名前。
そして、ふと、見覚えのない男の顔が浮かんだ瞬間、その思考は強制的に遮断された。
「─いけない、アゲハ」
閉ざされた両目が開き、次に彼の口から漏れた声は少しばかり低くなっていた。
自分を抑えるように右手を胸元へとあてると、少し悲しげな表情を浮かべる。
「アナタは、思い出しては…」
ぽつり、と呟く。
イールと為ったアゲハの身体はゆらり、と動きを見せると1歩足を踏み出し、そのままその場から立ち去った。
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